宝石強盗
暑さもすっかり緩んだ十月五日。東京、銀座の宝石店ツキモトが二人組の強盗に襲われた。
事件が起きたのは、早朝四時頃。まだ日の出前である。
その事件の知らせを受け、警視庁捜査一課城戸班が現場に駆け付ける。
店は、入り口のガラスが突き破られていて、地面にその破片が飛び散っている。店内のショーケースも、残らず破壊されていた。
店主の槻本によると、店の二階にある自宅で休んでいた時、突如として物音がしたので階下に降りると、目出し帽をかぶる二人組が、スパナの様なものでショーケースを叩きつけては中の宝石を奪っていったという。
彼とその妻、由香は逃げようとするものの、その二人組によって、縄で縛られたという。
「では、強盗犯の顔は見てないわけですね?」
川上刑事が、槻本に尋ねる。
「ええ、見ていません。目出し帽で、見えませんでした」
「個々のお店では、緊急通報をする装置などはなかったんですか?」
「ええ、それなんですが、警備会社の緊急通報システムがあったんです。ですが、全く作動しませんでした」
彼は頭を掻きながら言った。
「そのシステムは、どういう仕組みで作動するんですか?」
「カウンターの下にあるボタンを押すんです。逃げようとする直前に、何度も押してみたんですが、全く作動しなかったみたいなんです」
その二人のやり取りを、城戸と南条刑事が聞いていた。城戸は、腕を組んでいた。
「警部、相当なプロの犯行でしょうね。その緊急通報システムをハッキングか何か細工をして、この宝石店に押し入ったんでしょう」
城戸の耳元で、南条が言った。
「ああ、素人ではないのは確かだろう」
城戸はそう言って、今度は彼が槻本に尋ねる。
「槻本さん、犯人の二人組に関して、何か覚えていることはないですかね?例えば、お互いのことをこう呼んでいたとかです」
「さあ、二人共、終始黙ってましたからね。それ以外に関しても、全くわかりませんでした。でも──」
「でも?」
「犯人は、二人組ではないと思います」
「どうしてそう思われるのですか?」
「確かに、実際に宝石を奪っていったのは二人組なんですが、彼らが店を出た後、入り口の目の前に止めておいた白のミニバン車の後部座席に飛び乗って、その車はすぐに発進したんです。ですから、車の中で待機していた運転手がいると思うんです」
「なるほど」
城戸は、肯いた。
「あ、そこの防犯カメラなら、ちょうど店の前の道の様子まで写っていると思います」
「防犯カメラは荒らされていないんですか?」
南条が訊いた。
「ええ、幸い。先程少し見てきましたが、ちゃんと映ってましたよ」
槻本は、笑みを浮かべてそう言った。
城戸と南条は、さっそく店の裏にあるモニターで、事件が起きた頃の防犯カメラの映像を見せてもらった。
確かに、入り口の前に白いミニバンが停まり、そこから目出し帽をかぶる全身黒を纏った二人組が出てきた。彼らは、後部座席から車を降りて、入り口のガラスをやはりスパナで破壊する。
宝石をすべて奪い終わった黒い二人組は、店を飛び出て白いミニバンに乗り込む。
確かに、彼らは後部座席に乗り込んだはずなのに、車はすぐに走り去った。
「警部、この映像ではよくわかりませんが、確かに運転席で待機していたやつがいますね」
「ああ、どうやら、二人組ではなく三人組の様だな」
城戸が、モニターを睨みながら言った。
「周辺を洗って、この車を見つけ出すんだ。この車は、盗難車で、きっとどこかで乗り捨てられているだろう」
彼の言う通り、近くの路地裏で、宝石店の監視カメラに写っていた白のミニバンが発見された。そのミニバンは、やはり盗難車だった。
警視庁に設置された捜査本部で、城戸は、彼の部下の山西刑事と小国刑事の報告を受けた。
「鑑識によると、宝石店の中からは、二種類の足形が発見されています」
山西が、城戸に鑑定書を渡して言った。
「指紋に関しては、検出されませんでした」
「手袋を使ったんだろうな」
城戸が、言った。
「それと、あの逃走に使用された盗難車の白いミニバンですが、その中に残っていた足形が、宝石店の中の二種類の足形と一致しました。つまり、あの車が強盗犯の逃走に使用されたのは、間違いないようです」
小国が報告をした。城戸は、照合の結果が記された書類を見ている。
「しかし、ハンドルに関しては、指紋が検出されました」
そう小国が付け加えた。
「城戸君、捜査は順調に進みそうかね?」
中本捜査一課長が、城戸にそう訊いた。
「今のところ、わかりません。ただ、相手は素人ではないでしょうから、そう簡単にいかないかもしれません」
「しかし、妙だな。緊急通報システムが作動しなかったんだろう?」
中本は、腕組みしながら城戸に言った。
「その事なんですが、警備会社に調べたところ、事件の直前に装置は店の方から切られていたそうです」
門川刑事が、城戸に報告し、彼が、
「とは言っても、店主の槻本が装置を着るとは考えにくいな。ハッキングか何かだろう」
と、言った。
「それで、犯人の目星は付きそうなのか?」
中本が、仕切り直すように言った。
「ええ、それについてですが、今から質屋を隈なく洗ってみることにします。まずは、東京近辺から始ま用と考えています」
「なぜ、質屋なんだ?」
「犯人が、質屋で宝石を換金する可能性があるからです。もちろん、百パーセントではありませんが、可能性は高いと思うんです」
すると、彼の読み通り、翌日になって神奈川県警から連絡があった。藤沢市内の質屋で、、大量の宝石を持ち込んだ男二人がいたという通報があったからだ。
城戸は、南条を連れて、神奈川県藤沢市を訪れた。
所轄の川口警部に案内してもらい、問題の質屋に着いた。
そこは、六十代ぐらいの年輩の男が一人で経営する、こじんまりとしている質屋だった。
その男によれば、宝石店ツキモトが強盗に襲われた日の夕方、全身黒を纏った男二人が、ボストンバックに大量の宝石を詰めて持ち込んできたという。
東京・銀座での宝石強盗事件を知り、その質屋の店主が、宝石を持ち込んだのは銀座での事件の犯人だったのではないかと思い、警察に通報したという。
「それで、総額でいくら買い取ったんですか?」
南条が、店主に訊いた。
「大体、一億円ですね」
「身長は、どのくらいでした?」
「二人共、背格好は似ていました。百七十五はあったんじゃないのかな?」
「彼らは、歩いてきたんですかね?それとも、車ですか?」
これは、城戸が質問した。
「さあ、わかりません。でも、この店は駐車場がないからね。辻堂の駅を使って、電車できたんじゃないの?」
質屋の店主の言う通り、近くには辻堂駅があった。
「宝石を持ってきたのは、三人ではなく二人だったんですね?」
「ええ、確かに二人でしたよ」
「顔は、覚えていますかね?」
「覚えてますよ。あんなに大量の宝石を持ってきたもんだから、忘れられないね」
そこで、その店主に二人の似顔絵の作成に協力してもらうことにした。
「これでやっと、犯人の姿が分かりましたね」
できた似顔絵を見て、南条が言った。
「この店周辺と、辻堂駅周辺で聞き込みをしてみましょう。そうしたら、足取りを掴めるかもしれません」
川口が、城戸にそう言った。
そこで、城戸たちは、質屋周辺での聞き込みを所轄に任せ、東海道本線で東京に戻ることにした。
「この似顔絵の二人は、宝石店に押し入った実行犯でしょうか?」
その車中、南条が、城戸に尋ねた。
「ああ、恐らくそうだろう。運転手をしたのは、たぶんリーダー格の人間で、この二人に宝石の強奪や換金を指示したに違いない」
「そのリーダーに関しては、まだ情報が乏しいですね──」
「だが、この二人を逮捕して、取り調べをすればわかるだろう。まずは、この二人の身元を特定するのが先決だ」
城戸は、そう言って、二枚の似顔絵をじっと見つめていた。
「警部、どうかされましたか?」
その様子を見て、南条が城戸に声を掛けた。
「いや、この顔、微かに見覚えがあるんだ──」
「お知合いですか?」
「いや、そういうわけじゃなさそうなんだ。多分、以前に私が手錠を掛けた事があるような人間な気がするんだ」
城戸は、鋭い目で似顔絵を見続けている。
「では、前歴者と照合してみますか?そうすれば、名前も分かるかもしれません」
「ああ、是非そうしてくれ」
南条は、似顔絵を捜査本部に送り、前歴者と照合するように依頼した。