貴族ボコボコ事件
時刻は午前7時半頃。この日、ルーチェは1人で城下町の大通りを歩いている最中であった。とはいえ特別な目的があるわけでもなく、単純にこの大通りが彼女の通学路になっているというだけであるが。
サンクトゥス女学園に通う生徒たちの登校手段は様々であり、ルーチェのように徒歩で通う者もいれば、家柄によっては毎朝馬車で送迎されている者もいる。
そんなルーチェの背後から、唐突に聞き慣れた声で彼女を呼び止める声が聞こえてきた。
「ルーチェさん、おはようございます」
「おはよう」
同じく登校中なのであろう、アイリスが小走りで駆け寄ってくると、ルーチェもアイリスに挨拶を返す。こうして登校中に学園の生徒同士が顔を合わせることは特別珍しいことではなく、無論他クラスの生徒と会うこともしょっちゅうある。
ちなみにS組においては貴族令嬢であるリリアのみが馬車での送迎で、他は全員が徒歩である。
そうやって2人が並んで大通りを歩いていると、何やら正面に人が集まっているのが目に入ってきた。
「あれ…何でしょうか?」
アイリスは率直な疑問を口にする。よく見ると人だかりの中心には台座の上に立った男がおり、手には紙の束を持っているようだ。男はその内の数枚を周囲の人々に1枚ずつ配りながら、大きな声で叫んでいた。
「号外!号外だよ!事件だ!」
事件という単語を聞き、ルーチェとアイリスは顔を見合わせる。そんな2人の元へ、台座の上にいる男によって今しがた配られたであろう紙が都合よく風によって運ばれてきた。
ルーチェは地面に落ちた紙を拾い上げると、その内容に目を通す。男の言葉通り内容は新聞の号外のようであり、一面にはこう書かれていた。
『昨夜の午後10時頃、大農園を経営するシュヴァルツ子爵の御子息が5人の手練れ剣士を護衛に連れて婚約者の女性と王城近くのレストランで食事をしていたところ、突如として数名の盗賊が店内に現れた。護衛の剣士たちは応戦するものの力及ばず、結果として子爵の御子息を含む6名が骨を折るなどの大怪我を負ったとのことである。不幸中の幸いとでも言うべきか、通報を受けた王国騎士団の到着が早かったために上記の6名以外には一切の怪我人は出ておらず、店内も全く荒らされることはなかったという。尚、盗賊は全員がその場から逃走しており、現在も騎士団が足取りを追っている』
記事に目を通したルーチェは、そのままアイリスの方を見る。一体何があったのかをアイリスが尋ねる前に、ルーチェは彼女に記事を手渡しながら簡潔に説明した。
「昨日の夜、貴族の男性がレストランで盗賊に襲われたそうよ」
「えぇっ!?大事件じゃないですか!」
アイリスは当然のように驚いた様子であったが、一方でルーチェの方はあまり驚いてはいないようだ。というのも、ルーチェにしてみれば王都の中心部でこんな事件が起こったという事実に対する恐怖心よりも、記事の内容に関してある疑問を抱いていたからであった。
「でもこの記事の内容、何か変なのよね」
記事を読むアイリスの横で、ルーチェが呟く。一通り読み終えたのかアイリスは顔を上げると、改めてルーチェの方を見た。
「変?何がですか?」
流し読みしただけであったが、アイリスには記事に特に変わった部分は見られなかったようだ。しかしルーチェとしては記事に書かれていたある一点がどうしても気になっていた。
「店内が全く荒らされていない、ってことよ」
ルーチェのその言葉を聞き、アイリスは改めて記事を見る。確かに記事には店内が全く荒らされていないと書いてあるが、同時にその理由に関しても明確に記されていた。
「でも記事には騎士団の到着が早かったから、って書かれてますけど」
アイリスの言うように、普通に考えれば騎士団が早々に到着したので店内が荒らされる間も無く盗賊が撤退したと考えるのが自然だろう。だが、ルーチェは記事に書かれている内容に矛盾を感じていた。
「よく考えてみてよ。記事の内容からすると騎士団が到着した時には既に貴族と護衛は盗賊にやられてたってことよね?」
「まあ、そうでしょうけど。あれ?」
ここでアイリスも何かに気付いたように、頭に疑問符を浮かべる。彼女が理解したのを見計らって、ルーチェは説明を続けた。
「気付いた?そうすると少なくとも騎士団の到着までに護衛と盗賊は間違いなく剣を交えた筈なのに、店内が全く荒れていないなんておかしいじゃない」
「ということは、この記事は嘘ってことですか!?」
アイリスは難しい顔をしながら、再び記事に目を通す。しかしルーチェは冷静なまま自身の見解を述べた。
「嘘というか、真実を隠すために捏造された、とかじゃないかしら」
確証があるわけではないが、ルーチェはそのように考えていた。それを聞いたアイリスは、首をかしげながら再びルーチェの方を見る。
「えっと、何のために?」
「さあ、そこまではわからないけど」
ルーチェは肩をすくめながら答えた。とはいえこれ以上ここで議論しても意味がないし、何より学校に遅刻してしまう。2人は人だかりを尻目に、サンクトゥス女学園への通学路を歩いていった。
それから数十分後。S組の教室では既に全員が着席した状態で、担任であるレクトの到着を待っていた。既に朝のホームルームの開始を告げる鐘は鳴った後であるが、いい加減なレクトが遅刻する事など今更珍しくもないので、皆黙って彼の到着を待っている。
そうやって鐘が鳴ってから2分ほど経過したところで、教室の扉が音を立てて開かれた。
「おう、揃ってんな小娘ども」
相変わらず教師とは思えない粗暴な挨拶をしながらレクトが現れる。が、何故か今日はいつもと比べ顔色があまり良くなく、時折目頭を押さえていた。その事にはメンバー全員が気付いたが、誰よりも先に声をかけたのはやはりアイリスであった。
「先生、体調でも悪いんですか?」
誰かの体調が悪そうな時、決まって一番に声をかけるのはアイリスだ。しかしレクトは軽く手を振って否定すると、その理由について語り出した。
「いや、ゆうべ少し呑みすぎただけだ。おまけに昨日は変な連中にケンカまで吹っかけられたからな」
「変な連中?」
フィーネは首をかしげながら言った。そもそも喧嘩を吹っ掛けられたということ自体が物騒な話ではあるが、その事に関しては誰一人として心配したような様子を見せていない。理由に関しては言うまでもなく、レクトが喧嘩に負けるという発想自体が最早彼女たちの頭の中に存在しないからである。
そんなメンバーの内心を知ってか知らずか、レクトはフィーネの質問に対して信じがたい回答を返す。
「胸元に家紋の入った装飾品を付けてたから、多分貴族だな」
「えっ、貴族!?」
レクトの返答を聞き、余程驚いたのかフィーネは素っ頓狂な声を上げた。とはいえ、貴族と揉め事を起こしたなど世間的には大問題ではあるのだが。
しかし唯我独尊という言葉が相応しいこの男は一切悪びれることなく、更に衝撃的な事実を話し始めた。
「そうなんだよ。酔った勢いで軽くイタズラしたってだけなのにムキになって護衛の剣士をけしかけてきやがったからよ、全員ボコボコにしてやった」
「「うわぁ…」」
さらっととんでもない事実をカミングアウトするレクトを見て、生徒たちはドン引きしている。だがそんな中、リリアだけが突然机をバン!と叩いて立ち上がった。
「あの事件、やっぱり先生が犯人だったのね!?」
「事件?どういうこと?」
状況がさっぱり飲み込めないといった様子で、ベロニカがリリアに尋ねる。リリアは険しい表情のままベロニカを見ると、その事件について簡単に説明を始めた。
「昨日の夜、ある貴族の男性が手練れの剣士を護衛に連れて婚約者と一緒にレストランで食事をしていたらしいの。けれどそこに突然とてつもなく強い盗賊団が現れて、立ち向かった剣士たちも含めてその男性が大怪我を負わされたっていう話よ」
その話を聞き、ルーチェとアイリスは今朝の記事を思い出した。どうやらリリアが言っているのは例の事件の事のようだ。フィーネとエレナも登校中に同じ記事を見ていたのであろう、思い当たる節があるような顔をしている。
「それとセンセイと、どう関係があるんだ?」
一方でベロニカは未だに状況が理解できないようで、腕を組みながら質問を続けた。何しろ関係者が貴族という共通点があるだけで、レクトの喧嘩と盗賊の襲撃が全く結びつかなかったからだ。
だが、そんな疑問もリリアの話によって一転する。
「ここから先が本題よ。実は盗賊に襲われたっていう話は貴族としての体面を守るための真っ赤な嘘で、本当は店内にいた酔っぱらいに婚約者のお尻を触られて怒った男性が、護衛の剣士たちをけしかけたっていうのが真実だっていう噂が貴族たちの間に密かに広まってるの」
それを聞いて、メンバーは様々な反応を見せる。そして話の内容からすると、朝方のルーチェの予想は遠からず当たっていたということにもなる。
その事実に対して大半のメンバーは驚いたような様子であるが、中でもエレナが若干呆れたような様子で指摘した。
「そのセクハラ酔っぱらいは論外だとして、恋人のお尻を触られたってだけの理由で剣士をけしかけたっていう貴族も大人気ないわね」
確かにエレナの言う通り、セクハラというだけで剣士をけしかけるのもいかがなものかという部分はあるだろう。だがそんな話はさて置いて、リリアは話を続ける。
「けど、その酔っぱらいが信じられないぐらい強すぎて、懲らしめるどころか全員返り討ちにあったっていう話よ」
リリアの話を聞き終えて、S組メンバー全員が改めてレクトの顔を見た。手練れの剣士5人をたった1人で相手にするなどにわかには信じがたい話であるが、それでもこの男にとっては朝飯前に違いないだろう。
疑わしげな目で見ている生徒たちに対し、レクトはあっけらかんとした様子で答えた。
「いやー、あの女のケツは良かった。あんないいケツ、そうそうお目にかかれるもんじゃないぜ。できれば生で見たかったなァ」
「最低!」
「完全に先生が悪いじゃないですか!」
セクハラ行為を堂々と公言するレクトに対し、怒り心頭といった様子でリリアとエレナが声を荒げた。他の生徒たちにいたっては呆れながら頭を押さえるか、ため息をついているかのどちらかだ。
そうやってレクトに対しての罵詈雑言が飛び交う中、話の続きが気になったのか1人冷静なままのルーチェが質問する。
「それで先生、最終的にはどうなったんですか?」
その質問が発せられると同時に、教室の中が静かになった。やはり皆としても事の結末は気になるようだ。そして1人面倒くさそうな表情をしているレクトは特に隠す様子もなく質問に答える。
「店員が通報して騎士団の連中がレストランに乗り込んできたんだが、相手が俺だとわかった途端に弱腰になってな。“今日のところはどうかお帰りください”ってしきりに言うもんだし、俺も大分酒が回ってたから仕方なく帰ったよ」
次から次へと、レクトは衝撃的な事実を平然とした様子のまま明かす。どうやら王国騎士団の中では、既にレクトと剣を交えるという行為自体がタブーになっているらしい。
だがそんな情けない騎士団の対応を聞いて、リリアが憤慨した様子で声を上げた。
「何やってんのよ王国騎士団は!それじゃあ先生の悪事を見逃したのも同然じゃない!」
彼女の言うように、このフォルティス王国では最早レクトの悪行は完全に黙認されている、というか野放しになってしまっている状態のようだ。憤るリリアに対して、ルーチェが冷静に指摘する。
「けど仮に先生と戦ったとしたら、捕らえるどころか下手すれば騎士団壊滅よ」
「そりゃそうだけど…!」
王国騎士団、というより誰もレクトに勝てないのは既にS組メンバーの中では周知の事実ではあるが、それでもリリアは納得がいかないようだった。
一方で、同じく憤慨しているエレナは別の角度からレクトの行動について指摘する。
「というか、まず先生の行動が非常識過ぎます!初対面の女性のお尻を触るなんて、どういう神経してるんですか!?」
今更ではあるが、根本的な部分に突っ込むエレナ。しかしレクトは肩をすくめながら開き直った様子で答える。
「悪い、酔ってたからそこんところよく覚えてねえんだわ」
「絶対ウソだ!さっきまで事細かに話してたじゃんか!」
どう考えても嘘丸出しなレクトの発言に、すかさずベロニカが言及した。しかしレクトは聞かなかったフリをし、さっさと話を切り上げようとする。
「さーて、つまんねえ話は終わりだ。最初の授業は魔法史だから、全員教科書用意しとけよー」
「うえー、魔法史の方がつまんないー。実戦練習の方がいいよー」
授業と聞き、それまでただ黙って話を聞いていただけのニナがテンションガタ落ちといった様子で口を開く。
しかし今問題になっているのはそこではない。危うくニナの発言によってうやむやになりそうだったが、リリアが無理矢理話を引き戻す。
「まだ問題は解決してないわよ!というか先生もせめて反省ぐらいはして!」
未だ怒り心頭のリリアはレクトを指差しながら言うが、当のレクト本人は目を細めながら反論する。
「アホな事言うな。こっちは武器も持たない丸腰だったのに、向こうはいきなり剣で斬りかかってきたんだぞ。反撃して何が悪い」
レクトの言う通り、やや無理矢理な見方をすれば正当防衛と言えなくもないが、リリアが言いたいのはそこではなかった。
「貴族をボコボコにしたことじゃなくって、女の人のお尻を触ったこと!」
「あぁ、そっちか」
続け様に指摘され、ようやくレクトは納得したように返事をした。
「わかったわかった、これからは公の場でのセクハラはなるべく控えるよ」
「控えるんじゃなくて、金輪際やめてくださいって!」
反省したのか微妙な返答に対し、間髪入れずにエレナが言及する。しかしここで、都合がいいのか悪いのか授業の開始を知らせる鐘が鳴った。レクトはこれ幸いとでも言わんばかりに、早速魔法史の教科書を教卓の上に置く。
「さて、授業の時間だな。全員教科書出せー」
「先生!まだ話は終わってませんよ!」
この機を逃すまいとエレナは言葉を続けるが、レクトは急に真面目な顔になるとピシャリと言い放った。
「ダメだ。授業は授業だ。時間通りにきっちり始めるのが俺の流儀だ」
「遅刻魔の教師が何言ってんだ!」
強引に話を終わらせようとするレクトであったが、ある意味もっともな意見がベロニカから飛んでくる。だが彼女の奮闘も虚しく、宣言通り魔法史の授業が始まったのであった。




