森に潜む巨大な蛾 ③
「アイリス、ベロニカの様子はどうだ?」
治療が終わった様子のアイリスにレクトが話しかける。当のアイリスは地面に座ったまま、レクトの顔を見上げて答えた。
「解毒自体は終わりましたが、それでも毒の作用で1時間近くは体が痺れたままだと思います」
「そうか…どうすっかな」
アイリスの説明を聞き、レクトは顎に手を当てた。
体から毒が無くなったとしても、それまでに毒によって体が受けたダメージが消えるわけではない。しかも物理的なダメージではなく神経毒によって受けたようなものとなると、即座に治療できる魔法が使える術師もそう多くは存在しないのが現実だ。
どのみち完全に治療を行うには学園に連れて帰るしか方法がないので、レクトにとってはとれる手段は1つだけしかなかった。
「仕方ねえな、よっと」
「なっ!?」
レクトが何の迷いもなくベロニカを抱きかかえたのを見て、リリアが思わず声を上げた。だが驚いたのはリリアだけではないようで、エレナとアイリスも顔を赤くしながら口をぱくぱくさせている。
一方でそれを見たレクトは、軽くニヤつきながらからかうように3人に言った。
「こんなんで顔赤くするとか、やっぱガキだな」
「なんですって!?」
ごく自然にリリアはムキになって反発するが、反対に少し冷静さを取り戻したエレナがそれをなだめる。
「よしなさいリリア、今はベロニカがあんな状態なんだから」
「わ、わかったわよ」
流石に空気を読んだのか、リリアはおとなしく引き下がった。そんな中、レクトに抱きかかえられたままのベロニカの口がゆっくりと開いた。
「う…センセイ…ごめん…」
まだ体が痺れてうまく動かせないからか、ベロニカはうつろな目をしながらレクトに謝罪する。
「無理に喋らなくていい。それに学園に戻った後は説教だ」
レクトの一言を聞き、ベロニカは少し安心したかのように静かになった。そんなレクトはリリアたちの方を見ると、思いがけない事を言い放った。
「今日はここまでだ。学園に戻るぞ」
レクトは当然といった様子であったが、反対にリリアたちは驚きを隠せなかった。それを代表するかのように、エレナが口を開く。
「けど、いいんですか?一応これも先生が依頼として受けてきたものなんですよね?」
そもそも今回の件も従業という形にしているとはいえ、本来はモンスター討伐の依頼としてレクトが受けてきたものであることはまず間違いない。しかし心配そうなエレナに対し、レクトは諭すように言う。
「だがエレナ、時には状況を見て撤退の判断を下すのも大事なことだぞ」
「確かにそうですが…」
レクトの言う事ももっともであるが、それでもエレナは依頼を放棄するような形になるのが心残りのようだ。そんなエレナに、レクトはある事実を告げる。
「それに、本当の事を言うと依頼内容は幼虫50匹と成虫10匹だ。ダークトロールの時と同じで、どのみち最終的には俺がやるつもりだったしな」
「げっ、あんなのを10匹!?」
レクトから本当の依頼内容を知らされ、リリアは思わず渋い顔をする。とはいえ、つい先程目にしたジャイアントモスの成虫はレクトにとっては雑魚同然でも、自分たちからしてみれば強大なモンスターであることは間違いないのだ。
驚くリリアを余所に、レクトは淡々と話を進める。
「とにかく、一旦向こうのグループと合流するぞ」
「「はい」」
アイリスとエレナは素直に返事をする。声は発さなかったが、リリアも黙って頷いた。
それから数分後、レクトはあまり労せずにフィーネたちを見つけることができた。
「お、いたいた」
「あ、先生…って、え?」
レクトの声に、フィーネが反応する。しかしレクトに抱えられたベロニカを見て、フィーネが疑問を抱くと同時にニナが驚きの混じった声を上げた。
「あれー!?ベロニカちゃん、せんせーにだっこされてるー!」
「うるさいなぁ…」
最早怒る気力すらないのか、ニナのポンコツ発言に対してもベロニカは反論せずにただぼやくだけである。そんなやり取りはさておき、フィーネは心配そうな様子でレクトに状況を確認する。
「先生、一体何があったんですか!?」
「ベロニカがジャイアントモスの成虫の鱗粉を吸い込んじまった。アイリスがすぐに解毒したが、それでも1時間は痺れたままらしい」
慌てた様子のフィーネとは対照的に、レクトは冷静に答えた。もっとも命に関わるような状況ではないので、そこまで取り乱す必要がないというのもあるが。
それを聞いたフィーネたちが少し安心してくれたようなので、レクトは3人に対して話を切り出す。
「3人ともよく聞け、今日はここまでだ。学園に戻るぞ」
「「えっ?」」
レクトの話を聞き、ニナとフィーネが少し驚いたような表情になる。しかし2人がレクトに質問する前に、それまで黙って話を聞いていたルーチェが口を開いた。
「こんな状態のベロニカを連れて演習を続けるのはあまり良くないでしょうし、なるべく早く学園に戻って完全に回復させた方が得策だってことでしょ」
「それもそうね…」
ルーチェの的を射た回答にフィーネは納得したような様子になり、レクトも頷く。
「ルーチェの言う通りだ。撤退することも時には必要だからな」
レクトの言う事自体に対して特に反論する者はいなかったが、ニナが少し残念そうな顔をしながらレクトに尋ねた。
「えー?じゃあ今日の授業は失敗ってこと?」
その発言を聞き、他のメンバーもハッと気付いたような表情を浮かべる。確かに言われてみれば、目標を達成できなかったのだから失敗といわれてもおかしくはない。
しかしそんな生徒たちの心情を感じ取ったのか、他に質問が飛んでくる前にレクトはきっぱりと言い切った。
「失敗も経験だと思え。何でもかんでも上手くいくと思ったら大間違いだぞ」
教師らしく、まるでどこかで聞いたことのあるような台詞を吐くレクト。しかしそんなレクトに対し、フィーネが恐る恐る意見を述べた。
「けれど先生、実際には戦場での失敗は死に直結してしまうのではないでしょうか?」
「その通りだ。だからこそ本番で失敗しない為に練習をするんだろうが」
フィーネの意見を肯定しながら、レクトは話を続ける。
「いいかお前ら、何のために俺がいると思ってやがる。そもそも本来ならダークトロールやジャイアントモスの群れがいる場所なんて、授業どころか命の危険すらある場所なんだぞ。俺がついてるから許可が降りてるようなものであって、普通なら教師どころか並の冒険者でも命を落としかねない所だからな。」
その話を聞いて、S組メンバーは自分たちが今いる場所がとても危険な場所であるということを改めて実感した。一応、形式的には授業という形であるからか、ある程度は気軽な気持ちがどこかにあったのも事実だ。しかし実際にはこの場所は、手練れの冒険者であっても命を落としかねない危険な場所であったのだ。
反省したのかどこかうなだれているメンバーに対し、レクトは諭すように言う。
「俺がいる時はいくら失敗しても構わねえ。その為に俺がいるんだからな。けど、実際の戦場ではそうはいかないって事だけは頭に入れておけ」
レクトの話を聞きながら、生徒たちは頷いている。
「だから仲間が危険になったら撤退するってこともきちんと考えろ。無闇に戦い続けたって仲間や自分自身を危険に晒すだけだからな」
「相手を倒すことよりも、まず自分や仲間の命を優先するって事ですね」
アイリスが納得したように言うが、レクトは即座にそれを否定した。
「バカな事言うな。相手を叩き潰して全員で生還するのが俺の流儀だ。俺に戦い方を教わる以上、お前らも同じ流儀でやってもらう事になるからな」
「うわぁ、凄い事言ってる…」
レクトの持論を聞き、リリアが若干呆れたような様子になる。しかしレクトは怒るどころか、ドヤ顔をしながらリリアを見た。
「だが、それが一番理想的だろうが」
「確かに」
レクトの言葉に、リリアも納得したような表情で答える。それを見たレクトは、今度はニナの方を向いて質問した。
「ニナ、お前はカリダに会った時に聞いてたな。英雄ってどんな奴の事かって」
「うん、聞いたよ!」
ニナは元気よく返事をする。レクトが言っているのは、アルカナム神殿でニナがカリダに質問したことだ。彼女は誰かの為に全力を尽くすことができる人間が英雄だと言っていたが、レクト自身は少し違った考え方を持っていた。
「俺が思う英雄ってのは全員を救える奴、大切な人間を誰一人として死なせない奴のことだ」
レクトは大々的に言葉を吐くと、最後にポツリと一言だけ付け足した。
「だから俺は、英雄じゃねえ」
その言葉を聞き、一瞬だけ全員の間に緊張が走る。皆がその言葉の意味に疑問を抱く中、意を決してエレナが尋ねた。
「先生、それって…?」
「昔の事だ。また気が向いたら話してやる。今この場で話すには重過ぎる話もあるしな」
レクトはそっぽを向きながら答える。だがいつになく険しい顔をしたレクトを見て、質問をしたエレナだけでなく他のメンバーも誰も何も言えなくなってしまった。
その後、レクトに連れられて学園に戻ったS組メンバーは、回復したベロニカを含め今日の授業に関する反省会をやらされることとなったのであった。




