英雄の転職 ①
レクトが故郷であるフォルティス王国に凱旋帰国してから、一夜が明けた。
もっとも、魔王を倒して英雄となったレクトが帰国したのを知っているのは事前に他国からその知らせを受けていた国王をはじめとしたごく一部の人間だけである。そのため、その事実を知らない一般市民は特に凱旋ムードになるといったこともなく、いつも通りの日常を過ごしていた。
「今日はエビが大漁だよ!少しおまけしておくから買っていきな!」
「名物の骨汁はいかがですか〜?色んな魚のダシが味わえますよ〜!」
「ありとあらゆる海藻を取り揃えてるよ!美容にいいのもあるぜ!」
漁師や魚屋の、威勢のいい客寄せの声が港に響き渡る。
フォルティス王都の南部は海に面しており、他国との貿易や漁業がさかんに行われている。当然のことながら、新鮮な魚介類を求めて港を訪れる市民も多い。
「新鮮なイカの姿焼きはいらんかね〜」
その漁港の端に、1つの串焼きの屋台があった。ガッチリとした体格のいい漁師が漁業のついでに営んでいる店だ。
そんな串焼きの屋台に、1人の客が現れる。
「イカ、1本くれ」
「あいよ」
オーダーを受け、店主は焼きたてのイカが刺さった串を手に取る。だがそれを客に渡そうとした瞬間、何かに気づいた様子の店主の表情が変わった。
「レクト?お前、レクトか!?」
店主が驚きの声を上げる。屋台の前に立っていたのは、茶色のロングコートに無骨な大剣を背負った銀髪の剣士であった。
久しぶりに会った客人にテンションが上がったのか、店主は驚きと喜びの混じったような声でレクトに声をかける。
「なんだよ、いつ帰ってきたんだよ!?というか、凱旋パレードとか何もないのか!?国王陛下にはもう謁見したのか!?」
「質問が多い。それより先にイカくれよ」
陽気な店主とは対照的に、レクトはひどく冷めている。というより、店主のハイテンションっぷりを単純に鬱陶しく感じているのだろう。
店主は「悪い悪い」と呟きながら、レクトにイカの刺さった串を手渡す。レクトはそれを受け取ると、かぶりつきながら順番に質問に答えていく。
「昨日帰ってきた。国王には会ったが、褒賞とか祝勝会は全部断った。正直、そんなもんは魔王を倒した時点で腐るほど体験済みなんでな」
「なるほど、お前さんらしい返答だ」
レクトの返答を聞いて、店主は納得した様子で腕組みをしている。当のレクト本人はイカを食べながら、久しぶりに訪れた港を見回していた。
「この港も代わり映えしねえのな。ま、流石に2年ぐらいじゃそこまで変化はないか」
オブラートに包むようなことはせず、レクトは思ったことをはっきりと言った。しかし店主はその言葉が少し気に入らなかったのか、肩をすくめながら反論する。
「いやいや。見た目はあんまり変わらんが、最近は漁業以外にも色々と力を入れてるんだぜ。例えばほら、見てみろ」
そう言って、店主は停泊している漁船のすぐ正面を指差す。そこでは、子供たちの団体が何かを見学しているような光景が広がっていた。
「なんだありゃ?学生の社会科見学かなんかか?」
イカの姿焼きをかじりながら、レクトは漁港にやってきていた団体に目を向けた。
先導する男性の後ろには、数十人の男子たちがいる。彼らは皆同じローブのようなものを着ているので、レクトの言うように学生であることは間違いないだろう。先導する男性は、さしずめ引率の教員といったところか。
「そうだ。昔は漁港っていえば飲食店の経営者や食品の加工業者が主な利用者だったんだが、漁業組合でもできることならもっと一般市民にも利用してもらえないかって話になってな。そこで最近では主婦が普通の買い物感覚で来れるように工夫したり、学校の社会科見学に使ってもらうことで親しみやすくってことになったんだ」
「ふーん」
熱弁する店主の話を、レクトはどうでもよさそうに聞いている。しかしこういったレクトの性格を知っているからであろうか、店主も特に気にすることもなく話を続けた。
「そういや、今日はパレス聖騎士学院の学生たちが社会科見学に来るって話があったんだったな。漁業とは無縁そうな学校なのにありがたい話だぜ」
「パレス聖騎士学院?変な名前だな」
半分ほど食べたイカの串を軽く振りながら、レクトは学校の名前にケチをつける。もっともこの男の場合、不敬だとか失礼だとかそういった概念を完全に無視して思ったことを率直に口にしているのが悪いのだが。
「知らないか?パレス聖騎士学院っていえば、ここら一帯じゃ5本の指に入る名門校だぞ。騎士を養成することを主な目的とした学校なんだが、学業のレベルもかなり高くて卒業後は騎士じゃなく学者になる生徒もいるって話だ」
「んー、何となく聞いたことがあるような気がしないでもない…」
店主の話を聞き流すように、レクトは空返事をしながらイカを貪る。最早レクトが真面目に聞いているかどうかなどは関係なく、店主は更に話を続けた。
「まぁ、フォルティス城下町周辺は学校のレベルが一貫して高いからな。数百年の歴史を持つグリモア魔術学園は相変わらず上流階級の人間からの信頼が厚いし、あと最近はなんと言っても十数年前にできた王城のすぐ近くにある女子高のサン…」
「ん?」
店主の話の途中で、何かに気づいたレクトは船が多く停泊している桟橋付近に目を向けた。ちょうど今、その内の1つである大きな帆船から船乗りたちが積荷らしき木箱を下ろしている途中であったようだ。
だがその船の向こうの海面が、急にボコボコと音を立てたと思いきやいきなり大きな水音と共に巨大な影が海中から姿を現した。
「な、なんだこの化け物は!?」
「どうした!?一体何事だ!?」
海中から現れたのは、胴体だけで10メートルはあろうかという巨大なイカの化け物であった。それを見た船乗りたちは、次々に阿鼻叫喚の声を上げる。
「大海の魔獣『クラーケン』だ!」
「そんな馬鹿な!?どうして奴が港に!?」
「誰か!誰か助けてくれ!」
予期せぬ突然のモンスターの来襲に、船乗りたちは一斉にパニックに陥る。そもそもクラーケン自体が傭兵や冒険者たちの間でも危険度のかなり高いモンスターとして浸透しており、野犬を退治するのとはわけが違う。船乗りたちの中にも腕に覚えがある者はいるが、流石にこれは相手が悪いのだろう。
そして当然のことながら、パニックになっているのは船乗りたちだけではない。港にいた漁師や魚屋、買い物に来ていた客たちも大騒ぎだ。
「みんな逃げて!化け物に食べられてしまうわ!」
「誰か!騎士団を呼べ!」
「くそっ!何か武器はないのか!?」
ある者は逃げ惑い、ある者は恐怖に立ちすくみ、またある者は泣き叫んでいる。そんな様子を、港の隅にいたレクトは変わらずイカをかじりながら遠巻きに見物していた。
「クラーケンか、珍しいな。普通は港じゃなく、沖合で漁船や貿易船を襲うモンスターなんだけどな。飢えてここまでやってきたのか?」
「冷静だなレクト!呑気に分析してる場合か!」
慌てる店主とは対照的に、レクトは至って落ち着いた様子であった。側から見れば呑気という言葉がぴったりであるが、魔王と戦った身であるレクトにしてみれば「たかがクラーケン」程度にしか思わないのだ。
「そう言われても、今更クラーケン程度で驚きはしねえよ」
「だからそれが呑気なんだって!助けてやれよ!」
「面倒くせえなぁ。騎士団に任せとけよ」
「お前なぁ!」
全く動こうとしないレクトに、店主は思わず怒号を飛ばす。レクトの場合、クラーケンが怖いだとか、そういったのを隠すための嘘を言っているのではない。本当に素で面倒くさいと思っているのだ。
そうこうしている内に、飢えていると思わしきクラーケンは邪魔な船を押し退けて港に上陸する。そんなクラーケンの目の前には、ちょうど先程港の見学に来ていた学生の団体があった。
ところが、学生たちは逃げようとはしない。それにはある理由があった。
「ダリル先生!あんなモンスター、やっつけてください!」
「えっ!?」
自身の後ろにいた男子に唐突に声をかけられ、先頭にいた教師らしき男性は困惑した声を出した。だがその男子の声を皮切りに、他の男子たちも次々に声を上げ始める。
「だ、大丈夫なの!?」
「心配すんな!ダリル先生は騎士出身のエリートだぜ?」
「そうだよ!先生ならあんなモンスター、きっと倒してくれるよ!」
「そうか、それなら安心だな!」
元騎士ならばきっと勝てる、そう思った子供たちは巨大な化け物がいるにもかかわらず安堵したような表情を見せている。そして、子供たちの期待を背負ったその元騎士がどうしたのかというと。
「う、うわあああぁぁぁ!!」
「えっ!?先生!?」
「ま、待ってください!」
クラーケンの恐怖に耐えかねたのか、男性は情けない声を上げながら一目散に逃げ出した。期待を裏切られた男子たちは、あたふたしながらも男性に続いてその場を離れるようにして逃げていく。
その光景を遠巻きに見ていたレクトは、食べ終えたイカの串を咥えながら目を細めていた。
「おい、元騎士のエリート様が逃げ出したぞ」
「仕方ないだろ!ただの野良モンスターならともかく、相手は大海の魔獣クラーケンだぞ!?」
「そうは言ってもなぁ…」
店主は当然のように反論するが、レクトはいまいち納得できない様子だ。しかし、腹をすかせたクラーケンの進撃は止まらない。幸いにも今の所犠牲者は出ていないようだが。
時間が経って少し冷静さを取り戻したのか、店主は落ち着いた口調でレクトに言った。
「なあレクト、ひとつ助けてやってくれないか?このまま騎士団の到着を待ってたんじゃ、大なり小なり被害が出るのは確実だ」
「まぁ、そうだろうな」
パニックになっている港町を真顔で眺めながら、レクトは咥えていたイカの串を指揮棒のように軽く振る。
「頼むよ。今度、漁業組合を代表して一杯おごるからよ?」
店主は懇願するように言った。彼の言うように、このまま騎士団の到着を待っていたのではどれだけ被害が出るかわからない。
そもそも、仮に騎士団が到着したとしても彼らが一切の被害を出さずにクラーケンを短時間で片付けることなど不可能だということは店主は理解している。そして、目の前の男ならばそんな化け物であっても労せず駆逐することができるというのも。
流石に状況的にやむなしと判断したのか、レクトも渋々ながら受け入れることにした。
「なら、 “若い女のウェイトレス”のオプション付きで頼むぜ」
こんな状況であっても、レクトは全くブレない。店主の方もレクトのそういった部分については理解しているのか、少し呆れたように目を瞑りながらも了承した。
「わかったわかった。組合の仲間に掛け合って、綺麗どころを集めとくよ」
「その約束、忘れんなよ?」
レクトは店主の顔をビッと指差すと、手に持っていた串を空高く放り投げた。