嫉妬するベロニカ
時刻は午後の5時。サンクトゥス女学園においては放課後と呼べる時間帯であり、学園内に残っている生徒たちの数も決して多くはない。
そんな夕陽が差し込んでいる校舎の中を、1人の生徒が不機嫌そうな面持ちで歩いていた。
「まったく、センセイどこにいるんだよ?」
ベロニカはぶつぶつと文句を垂れながら廊下を足早に歩いている。手には何か文字がびっしりと書かれた紙を持っており、どうやら担任であるレクトにそれを渡すために彼を探している真っ最中のようだ。
「職員室にもいないし、副担のジーナも知らないとか言うし、一体どこほっつき歩いてるってんだよ?」
既にレクトのいそうな場所は数箇所まわったのだが、そのどこにもレクトはいなかったのだ。
これ以上あてもなく校舎内を探し回るのも面倒だと思い始めた矢先、ふと中庭のあたりに見覚えのある影が2つ、ベロニカの目に入った。
「あっ、センセイ…と、セシリア?」
レクトと一緒に中庭にいたのは、D組代表でありベロニカのことを一方的にライバル視している少女、セシリアであった。
セシリアの服装はブレザーの制服ではなく運動着であり、手には木製の片手剣を持っている。同じく木製の大剣を持ったレクトに向かって剣を振っているあたり、誰がどう見てもレクトに稽古を付けてもらっているようにしか見えない。
「おーい!センセイ!」
ベロニカは大声でレクトのことを呼びながら、中庭へと歩いていく。レクトの方も彼女の存在に気付いたのか、一旦手を止めてベロニカの方を向く。当然ながら、彼と一緒にいたセシリアもやって来たベロニカの方を見た。
「ん?ベロニカ?まだ帰ってなかったのか。俺に何か用か?」
レクトは当たり前のように尋ねたが、それを聞いたベロニカは腰に手を当てながら呆れたような顔で答える。
「何か用か、じゃないっての。午前中の薬学のレポート、授業中に書き終わらなかったから放課後に提出しろってセンセイが言ったんだろうが」
「あぁ、そうだっけか。悪い、忘れてたわ」
相変わらずどこかいい加減なレクトを見てため息をつきながらも、ベロニカは手に持ったレポートを手渡す。
レポートを受け取ったレクトは1分ほどかけてその内容に目を通したが、読み終えるや否や事もあろうに火の魔法でそのレポートを燃やしてしまった。
「えぇぇっ!!?」
あまりにも突然の出来事に、ベロニカは中庭中に響き渡るほどの大声で叫んだ。ダメならダメだと普通に口で言えばいい筈なのに、それを燃やしてしまうなど、この男の常識外れっぷりは留まることを知らない。当たり前だが、横で見ていたセシリアも信じられないといった様子で口を押さえている。
ショックを隠せないベロニカだったが、レクトからは更に予想外の言葉が投げかけられた。
「オッケー、合格。よく書けてたぞ。暗くならないうちにさっさと帰れよ」
「はぁ!?」
これまた想定外の展開に、ベロニカは2度目の大声を出してしまった。提出したレポートを目の前で燃やされて、しかもそれが何故か合格ときたら、何が何だかわけがわからなくなるのも無理はないだろう。
「合格なら、なんで燃やしたんだよ!?」
ベロニカは当然の質問をするが、当のレクトは表情1つ変えずに真顔のまま答える。
「なんでって…読み終わったから。再提出なら後で添削とかして突っ返さなきゃならないけど、合格なら別に手元に残らなくても問題ないだろ?」
「そりゃあ、そうかもしれないけどさぁ…」
レクトの言うこともある意味では正論なのだが、ベロニカとしてはどうにも素直に納得はできなかった。当然といえば当然ではあるが。
そんなベロニカを横目に、レクトは先程まで相手をしていたセシリアを見る。
「セシリア、今日はこれで終わりだ。制服に着替えると時間もかかるだろうから、今日は運動着のまま帰ってもいいぞ」
「は、はい!わかりました!」
セシリアは大きな声で返事をする。これで終わりかと思いきや、セシリアはやや恥ずかしそうに目を伏せ、もじもじしながらレクトに尋ねた。
「あ、あの…レクト先生。その…また時間があったらお願いしてもいいですか?」
「俺は別に構わないが」
レクトは即答し、それを聞いたセシリアの顔がぱあっと明るくなる。すぐさま剣と盾を背中に戻すと、レクトに向かって深々と頭を下げた。
「あ、ありがとうございます!それじゃ、今日は失礼します!」
「おう、暗くならねえ内にさっさと帰れよ」
「はい、さようなら!」
そう言い残し、セシリアは一目散に駆け出した。彼女の姿が見えなくなったところで、先程からずっと気になっていたであろう内容をベロニカが質問する。
「センセイ、セシリアの奴と何してたんだ?」
「ん?あぁ、自分の動きの悪いところを見て欲しいって言うんで、相手してやってたんだよ」
レクトは何の気なしに答えるが、レクトがセシリアに稽古をつけてやっていたということぐらい見れば誰にだってわかる。ベロニカが聞きたいのはそういう事ではなかった。
「そんなことアタシにだってわかるよ。アタシが言いたいのはそういうのじゃなくってさ!」
ベロニカにとって重要なのは、何故S組の担任であるレクトがD組のセシリアに稽古をつけていたのか、ということだ。
レクトの方もなんとなくベロニカの言いたいことを察したのか、真顔のまま答える。
「俺は曲がりなりにも教師なんだから、生徒の希望を聞くのは当たり前だろ」
レクトの答えも、あながち間違ってはいないだろう。だがベロニカとしてはどうにも納得いかない部分があった。
「それって本来はD組の担任の仕事だろ?なんでセンセイがやってるんだよ?」
セシリアはD組の生徒なのだから、D組の担任が指導すればいい。ベロニカの言う事も確かに間違ってはいないが、それを理解した上でレクトは彼女をなだめるように言い返した。
「D組の担任はもういい歳したオッサンだぜ?身体にもガタはきてるだろうし、年頃の娘の全力を受け止めるには少しキツいだろうしな」
「そりゃそうだけど…!」
レクトにもっともな意見を返され、ベロニカは目を伏せてしまう。だが、ベロニカはその状態のまま先程よりも小さな声で再びレクトに尋ねた。
「…じゃあ、なんでセンセイなんだよ。武器の使える若い教師なんて、他にいくらでもいるだろ?」
ベロニカの言う通り、武器を使える教師はサンクトゥス女学園に何人もいる。中には騎士や軍人あがりの教師もいるため、レクトの他にも誰かしらに頼むことはできるだろう。
だが、レクトからは至極真っ当な意見が返ってきた。
「そりゃあ、俺より強い人間なんざこの学園どころか王国のどこにも存在しねえからな。一番強い人間に教わるのが一番いいって、セシリアも思ったんだろ」
武器を使える教師が何人もいても、その中で一番強くて戦闘経験が豊富なのは誰なのかなど、考えなくともわかる。
しかしそれでも納得がいかないのか、ベロニカは顔を上げながら急に声を荒げた。
「そんなの、ずるいじゃんか!」
「ずるい?」
何がずるいと言うのか。ベロニカの言っている意味がよくわからなかったのか、思わずレクトは聞き返してしまう。
「俺が他のクラスの人間に色々教えてたら、何か問題があるのか?」
レクトのその質問を聞いた途端、それまで荒かったベロニカの声が急にトーンの落ちたものになった。
「問題とかじゃなくて、なんか…やだ。その…センセイが他のクラスの奴に教えてるの」
「おいおい…」
まさかベロニカがそんな事を言うとは思っていなかったからか、レクトはかなり驚いたような表情をしている。しかしベロニカは、レクトの言葉を遮るように少し大きな声を出した。
「だってさ…センセイは、アタシたちだけのセンセイだろ…!」
ベロニカにしては随分と大胆な事を言いきったものだが、当のベロニカ本人は真面目な表情を浮かべている。レクトも彼女の内心を察したのか、それ以上は深く追求せずに軽く頷いた。
「そうだな」
レクトの一言を聞き、ベロニカは心なしか少し緊張がほぐれたような様子を見せる。ようやくベロニカが納得してくれたようなので、レクトはそのまま話を続けた。
「心配すんな。たとえお前ら以外の生徒に稽古つけてやる事はあっても、俺が本当に教えたい事を一番に教えてるのはお前らだからな」
レクトとしては何の気なしに言ったつもりであったが、それでもベロニカにとっては十分すぎる内容であったのかひどく安心したような顔をしている。
「ぜ、絶対だぞ!」
ベロニカはそう言い残すと、レクトの返事も聞かずに走り去ってしまった。1人中庭に残されたレクトは沈みかけた夕日を見ながら、少し気難しそうな顔をして呟く。
「まったく、年頃の小娘どもってのはこうも難しいもんかね」
そう言いながらレクトはポケットに手を突っ込むと、振り返って校舎へと続く扉へと歩を進めた。




