英雄は外道です ③
フォルティス王城の近くには王族や貴族、それから政府関係者のみが利用できる高級レストランがある。一般の来客は基本的にお断りなので、そういった人間たちにとっては大事な話をするのにもってこいの場でもあるのだ。
「それで?断られたの?」
黒いドレスを全身に纏った女性が、魚のポワレにナイフを入れながら質問を投げかけた。年齢はおそらく50歳前後といったところで、どこか気品に満ちたような外見をしている。
「あー、いや、それがだな…」
そんな女性の質問に対してしどろもどろになっているのは、他でもないこのフォルティス王国の国王であった。
無論、国王が外食をしているのだ。護衛の兵も部屋の隅に3人ほど佇んでいる。とはいえ、一応秘密の話をしているので2人の座っているテーブルからは少し離れてはいるが。
「何?」
だがそんな煮え切らない国王の態度が気に入らなかったのか、女性の声色が急にドスのきいたものに変わった。
「ハッキリ言いなさい。彼の承諾は得られたの?それとも断られたの?」
「すみません、断られました」
威丈高な女性の態度に観念したのか、国王は項垂れながら敬語で答える。本来であればこの国で一番の権力者である人間が思わず敬語になってしまうあたり、どうやらこの女性は国王に対しては少し特殊な立場の人間であるようだ。
「まったく…そうならそうと最初から言いなさいよ。どうしていちいち勿体ぶるような言い方をするのよ?」
女性は呆れた様子で、魚を刺したフォークを口へと運ぶ。テーブルマナーも完璧であり、少なくともそれなりの立場の人間ではあるようだ。
「いや…だって怒るじゃないか。というよりたった今、実際に怒ったじゃないか…」
国王は少し小さくなりながらも、皿の上に置かれたバゲットに手を伸ばす。しかし、女性は決して国王の失敗を責めているわけではなかった。
「私が怒ったのは彼に断られたことに対してじゃなく、あなたのその国王らしからぬウジウジした態度に対してよ」
「あぁ、そう…」
失敗を責められているわけではないとわかりつつも、他の部分での非難を浴びた国王は少しガッカリした様子で彼女を見る。
「というより、断られたことに対しては怒っていないのか?」
国王としてはそこが気になっていた。てっきり失敗したことを責められるのかと思っていたが、どうやら女性自身はそうではないらしい。
「それは別に怒っていないわ。これぐらい想定の範囲内だもの」
「そ、そうか…」
女性の言葉を聞いて、国王も納得したように頷く。それから2人の間にはしばらく沈黙が流れたが、ふと国王の方から声が上がった。
「なぁ、クラウディアよ」
「何?」
名を呼ばれた女性…クラウディアは、すまし顔でワイングラスを手に取りながら国王の顔を見る。
「どうしてレクトなのだ?確かに奴は腕も立つし知識も豊富なようだが、それなら他にもっと相応しい人間がいるだろう?」
なぜ他でもないレクトなのか。国王としてはそこが一番の疑問であった。
どうにも腑に落ちない部分について尋ねたつもりであったが、その質問に対してクラウディアは少し不機嫌そうな表情になると、ワイングラスを傾けながら答える。
「何なのよ、またその質問?何度も言ってるでしょう、ウチには強い人間が必要なの。それこそどんな相手でも屈せず容赦もしない、絶対的な力を持った人間が」
「そうは言ってもなぁ…」
以前から何度も交わされた問答であったが、それでも国王としてはどうにも納得がいかなかった。もっとも、昔からクラウディアの考えていることは色々と読めないことも多かったので、今回も例外というわけではないのだが。
だが、ここでクラウディアの口から意外な言葉が発せられる。
「まぁ、彼を選んだ理由は他にもあるのだけれどね」
「理由?どんな?」
クラウディアには何度も同じ質問をしていたが、この返答を聞いたのは初めてだ。当然のように国王は質問を重ねるが、それに対するクラウディアの反応は素っ気なかった。
「教えないわ。あなたに言っても意味がないもの」
「えぇー…」
相手は国家元首であるにもかかわらず、クラウディアは冷たく言い放った。それを聞いた国王はなんともやるせない顔をしている。
「クラウディア。時にお前さん、私が国王だってこと忘れてないよな?」
言っても無駄だとはわかっていたが、国王は確認するようにクラウディアに問いかける。しかしクラウディアは、さも当然といったように目を細めながら反論してきた。
「なによ、文句あるの?ウダウダ言うんだったらあなたの学生時代の秘密、家臣たちに暴露してもいいのよ?」
「すみません、調子に乗りました」
クラウディアに言い負かされ、国王は再び敬語になりながら項垂れた。どうやらこの国王、目の前の女性に何か弱みのようなものを握られているようである。
とりあえず先の質問については一旦置いておいて、国王は改めて本題について尋ねる。
「しかし、それだと一体どうするのだ?当のレクト本人があの様子だと、おそらく今後も何を言っても引き受けてはもらえないぞ?」
「あぁ、それね」
心配そうに尋ねる国王に対し、どうやらクラウディアは全く深刻に捉えてはいないようだった。
料理を食べ終えたクラウディアはナイフとフォークを置くと、まだワインが少しだけ残っているグラスを手に取る。
「大丈夫よ、彼はきっとウチに来るわ」
そう言って、クラウディアは残っていたワインを口へと流し込む。
クラウディアは随分と余裕のある口調であったが、国王はそれでも納得がいっていないようだった。何しろ、実際にレクトと話をした彼の目からすればレクトが引き受けてくれるなど到底思えなかったからだ。
「一体、何の根拠があって言っているのだ?」
国王は率直な疑問をぶつける。だが、その質問対するクラウディアの回答は実に冷たかった。
「教えないわ。あなたに言っても意味がないもの」
「その台詞、2回目なんだが…。というかその台詞自体、今まで何十回と聞いてきたことか…」
がっくりと肩を落とす国王であったが、同時にこれ以上聞いても無駄だと理解したのか、それから先は何も聞かなかった。
テーブルの上の皿が空になったところで、クラウディアが改めて口を開く。
「それじゃあ、私は先に帰るわ。お会計よろしくね」
「おいおい、こっち持ちなのか?」
そそくさと帰ろうとするクラウディアを見て、国王は慌てて彼女を引き止めようとする。ところがクラウディアは少し驚いたような表情をしつつも、あっけらかんとした様子です言い放った。
「あなたの食費なんて、どうせ国のお金から出てるんでしょう。だったら1人分くらい増えたって変わらないわよね?」
「いや、そうは言ってもなぁ…」
当然のことながらクラウディアの言い分に不満があるのか、国王は言葉に詰まったような様子だ。しかし彼女が言っていることもあながち間違いではないのだろうか、上手く反論できずにいる。
そんな国王のことを横目に、クラウディアはテーブルから立ち上がった。
「じゃあ、よろしく」
「あっ。ちょっと、クラウディア!」
国王の静止の声など聞こえないとでも言わんばかりに、クラウディアはまっすぐレストランの出口へと向かう。
「ありがとうございました。またお越し下さいませ」
「えぇ。相変わらず腕のいいシェフがいるわね、この店は」
入口で軽く頭を下げる店員に向かって軽く手を振りながら、クラウディアは店の扉に手をかける。
レストランを出たクラウディアは、ふと空を見上げた。雲一つない夜空には、三日月と星々が輝いている。
「何も心配する必要なんてないのよ。運命の歯車はもう回り始めているのだから」
周囲の人間に聞こえないほどの小さな声で呟くと、クラウディアはハイヒールの音を立てながら街の大通りを歩いていった。