朝のトークタイム
朝のサンクトゥス女学園。現在、時刻は午前8時をまわったところである。このぐらいの時間帯だと登校している全校生徒の数はまだ半数ほどであり、S組の教室でもメンバー全員が揃っていない状態だ。
「それでね、馬車にひかれたはずのそのおじさんが急に起き上がって、バカヤロー!って怒鳴ってね…」
「えー、それ本当なんですか?」
ニナとアイリスは、どうやら休日中にあった出来事について話しているようだ。正確には話しているというよりも、ニナの話に対してアイリスが聞き手に回っている、といった様子であるが。
「ルーチェ、あんたまた読書?今度は何の本読んでるのよ?」
「冒険小説よ。創作話だけど」
一方リリアは、席に座って本を読んでいたルーチェにちょっかいを出している。ルーチェが普段から暇さえあれば読書をしているのはS組においては日常的なことであり、リリアが「また」と言ったのはそのためだ。
エレナ、フィーネ、ベロニカの3名に関してはまだ登校していないようである。もっとも朝のホームルームの開始時間までまだ20分以上もあるので、その間に登校すれば全く問題はない。
そんな中、不意に教室の扉が開かれ、普段ならばこの時間は教室にいないはずの人物が姿を現した。
「ふぁ〜あ。全然やる気出ねえな」
教師として、というかまず人として多大な問題のある発言をかましながら現れたのは、他でもないS組担任のレクト・マギステネルその人であった。
生徒たちもそんなレクトの性格に大分慣れてきたのか、特に文句を垂れることなくレクトに向かって挨拶をする。
「あ、レクト先生。おはようございます」
「おはようございます」
「おはよー!せんせー!」
アイリスに続き、ルーチェとニナも気怠そうな顔をしているレクトに挨拶をする。ただ1人リリアだけは、挨拶よりも先に質問をレクトに向かって投げかけた。
「やけに早いじゃない、先生?ホームルームはまだ20分も後よ」
というのも、普段のレクトであればホームルーム開始5分前になっても教室には来ていないことがほとんどなのだ。もっと言ってしまえば、ホームルーム開始の鐘が鳴ると同時に教室に入ってくることもそう珍しくはない。
そんなレクトが今日はやけに早く教室に来ていたので、リリアとしてはどうにもその理由が気になっていたのだ。
「んにゃ、ジーナの奴が“たまには早めに教室に行って生徒たちと親睦を深めるのはどうですか?”とか言うんでよ。半ば無理矢理教室に行かされたようなもんだ」
「…そういうのって、普通あたしたちには言っちゃダメな話じゃないの?」
何も考えずに発言するレクトに、リリアが呆れたように指摘する。まぁこれもレクトらしいと言えばレクトらしいのだが。
ここで、ふと思い出したようにアイリスが手を合わせながらレクトの方を見る。
「あ、そうだ先生。この前はご馳走さまでした」
「あー、いいってことよ」
先日の食事のことを思い出し、アイリスは改めて感謝の意を述べる。だがそれを聞いていたリリアは、興味津々といった様子で話に割り込んできた。
「何?アイリス。先生にご飯でも食べさせてもらったの?」
「えー?アイリスちゃん、いいなー」
リリアに続き、ニナも話に加わる。興味が湧いたのか、ルーチェもそれまで読んでいた本を閉じて話に聴き入っていた。
「はい。エレナさんと一緒に、王城の近くにある『至高の玉座』っていうレストランに連れていってもらいました」
「えっ、至高の玉座!?」
「あぁ、あの店か。結構良い所よね」
アイリスは何の気なしに答えるが、店の名前を出した瞬間に聞き覚えがあるのかルーチェとリリアが即座に反応した。
ただ、2人の反応自体は対照的である。あまりにも驚いたのか思わず大声を上げてしまったルーチェに対し、リリアは素の状態でなるほどね、ぐらいにしか受け止めていない。
「えっ、やっぱり有名なお店だったんですか?」
一方、アイリスの方は逆に2人が店の名前を知っていたことに驚いたようだった。アイリス自身も店の外観からして何となく凄そうな店だとは薄々思ってはいたが、2人の反応を見て改めてそうだったのかと実感する。
そして、その件に関してとんでもない事実がルーチェから明かされた。
「有名というか、普通は王族や貴族しか入れない店の筈よ」
「えぇっ!?本当ですか!?」
ルーチェの話を聞き、アイリスは更に驚きを増したような声を上げる。確かに店でも会員制だとは言われたが、まさか王族や貴族しか利用できない店だったとは思ってもみなかったからだ。
「というか、リリアさんは行ったことあるんですか!?」
先程のリリアの発言を思い返すと、確かに彼女は件の店に行ったことがあるような言い方をしていた。リリア自身も特に隠すような事はせず、その質問にサラッと答える。
「あたしはパパに連れられて何度か行ったことがあるわ」
リリアはごく当たり前といった様子で言ったが、それを聞いたニナはリリアに憧れの眼差しを向ける。
「リリアちゃんすごーい!まるでセレブのお嬢さまみたーい!」
「…みたいっていうか、一応あたし貴族院議員の令嬢なんだけど」
とぼけたようなニナの発言に、リリアは冷静にツッコミを入れた。だがリリアの言う通り、評議会の議員であればそのような高級レストランに出入りできるのも確かに頷ける。
ところが、ここでアイリスの中に新たな疑問が浮上した。
「そういえば、先生はどうしてあのお店に出入りできるんですか?」
アイリスが気になったのは、何故に王族でも貴族でもないレクトがあのレストランに出入りできるのかということであった。だがその質問に対してはレクトよりも先に、リリアが肩をすくめながら答えた。
「どうしても何も、人間的にはアレでも世界を救った四英雄よ?利用できない方がおかしいじゃない」
「リリア、一言余計だぞ」
毒も含めて当たり前のように言うリリアに、レクトが言及する。確かにレクトは世界を救った英雄であるのだ、利用できても何ら不思議ではない。だがそれでも、アイリスとしてはどうにも腑に落ちない部分があった。
「でも、先生が魔王を倒したのって2ヶ月ぐらい前ですよね?レストランの店長さんは、レクト先生が来るのは2年ぶりだって言ってました」
「あ、そう言われてみると確かに気になるわね」
アイリスの説明に納得したのか、リリアも改めて不思議そうな顔をする。レストランの店長が言っていたことが正しければ、レクトが件の店を利用していたのは2年前…つまり魔王を倒す前からということになる。
そんなアイリスの質問に、相変わらず気怠そうなレクトは教卓に突っ伏したまま答える。
「うーん、俺がレクト・マギステネルだからじゃないか?」
「先生、それ答えになってません」
わけのわからない回答をするレクトにルーチェが指摘、というかツッコミを入れる。そうやって問題がうやむやになる中、不意に教室の扉が開かれてフィーネとエレナの2人が姿を現した。どうやら2人で一緒に登校したようである。
「おはよう…って、あれ!?レクト先生!?」
いつものように教室に入ったのはいいが、普段であればこの時間にいるはずのないレクトの姿を見てフィーネの声が一気に裏返った。そんな彼女の様子を見て、レクトは少し目を細める。
「フィーネ、そんなに驚かなくてもいいだろうが」
「あ、ご、ごめんなさい。おはようございます、先生」
驚いてしまったことを詫びながらも、フィーネは改めてレクトに挨拶をする。続けて、彼女のすぐ後ろにいたエレナもレクトに向かって軽く頭を下げた。
「おはようございます、先生。あと、先日はご飯ありがとうございました」
「あー、気にすんな。大したことじゃねえって」
アイリスと同じく、エレナも先日の食事についてレクトに礼を言う。言われた側のレクトは相変わらずといった様子であるが。
「あぁ、さっきエレナが言ってた話ですね。貴族御用達のレストランに連れて行ってもらったって」
フィーネが納得したように言った。おそらく、登校している途中にでもエレナから話を聞いたのだろう。なぜその店が貴族御用達であることを知っているのかは少し疑問ではあるが。
そんな話をしていると再び教室の扉が開き、S組メンバー最後の1人であるベロニカが姿を現した。
「おはよーさん、ってアレ?センセイ来るのいつもより早くない?何かあったの?」
「その質問、さっきあたしがしたばっかりなんだけど」
既にそれが2回目の質問であるということを、リリアが少し嫌味っぽく言う。とはいえ今来たばかりのベロニカはそんなことなど知る由もないので、仕方ないと言えば仕方ないのだが。
「いや、ジーナの奴に“早めに教室に行ってみんなと仲良くしてあげてください”って言われてな」
レクトはベロニカに説明するが、心なしか内容が先程よりも雑になっている気がしないでもない。当然のように、ルーチェからそれに関しての指摘が入る。
「先生、さっきと言ってること違いませんか?」
「似たようなもんだろ。正確な内容なんざ俺もいちいち覚えてねえっての」
S組メンバーも授業以外のレクトの言動が適当なのにはすっかり慣れたようで、その点についてはもう誰一人として突っ込まない。
教室に来たばかりのフィーネ、エレナ、ベロニカの3名は、とりあえず鞄を置くために自身の席へと向かった。
3人が鞄の中から必要な道具を取り出したところで、校舎上に設置されている鐘が鳴った。
カーン、カーン、カーン…
「あっ、鐘の音だー」
「ホームルーム開始5分前ね」
鐘の音が鳴っていることについてニナとリリアが言及すると、それを聞いたメンバーは続々と自分の席へと戻り始めた。
全員が着席したところで、教卓の前に立ったレクトが口を開く。
「そんじゃ少し早いが、暇だしホームルームでも始めるか」
「先生、早く始めるのは構わないですけど、“暇だし”とか言わないでくださいよ」
呆れたような様子のフィーネの指摘に、レクトは「悪い悪い」と言いながら手にしたプリントに目を通す。
こうしてまた、サンクトゥス女学園S組の1日が始まった。




