世話を焼くアイリス
晴天に恵まれた午前10時。かんかん照りの訓練場では、レクトとS組のメンバーが実戦訓練の授業の真っ最中であった。
「フィーネ!もう一歩前に踏み込め!それじゃ攻撃が相手に当たったとしても浅い!」
「はい!」
「ベロニカ!もっと相手をよく見ろ!勢いだけで刀を振るんじゃねえ!タイミングを見極めろ!」
「お、おう!」
「リリア!剣先が下がってるぞ!バテてきてるのはわかるが集中力は切らすな!」
「わ、わかってるわよ!」
前回の実戦訓練の時と同じようにレクトは全員の攻撃を捌きながら、指導という名の怒号を飛ばす。今回は個々の動きを矯正するという目的があった為、あえて生徒同士の協力はさせていなかった。
「ニナ!何度言ったらわかる!?相手の攻撃が当たる近距離でスキだらけの大振りはするな!」
「はーい!」
「エレナ!棒立ちのまま鞭を振るな!もっと左右に動きながら打て!相手が弓兵だったら的にされるぞ!」
「はい!」
言葉は多少乱暴だが、レクトはそれぞれの動きに対して的確な指示を出していく。流石は歴戦の猛者とも言うべきか、剣以外の武器の特徴もしっかり把握しているようだ。
「ルーチェ!もっと前に出ろ!これは訓練だ、臆せず攻撃しろ!」
「…はい」
「アイリス!腰が引けてるぞ!たとえ訓練でも、本気で俺を刺すぐらいのつもりでやれ!」
「は、はい!」
時には武器の使い方だけではなく、精神面に対しても注意をする。文字通りの心技体全てを鍛えるかのようなハードな訓練に、S組メンバーは一心不乱に汗を流していた。
かなりの時間の経過を感じたのか、レクトは校舎上部にある時計塔を見上げる。時間的にも内容的にも丁度いい頃合いだったので、この辺りで授業を切り上げることにした。
「よし、これで終わりにするぞ。各自制服に着替えて、時間までには席についとけよ!」
「「「はい!」」」
レクトの指示に、全員が返事をした。しかしやはり根っこの部分がドSなレクトは、わざわざ言わなくてもいい事を付け足す。
「あれだけハードな運動したんだ、汗臭くなるのは仕方ねえ。俺は教室にいる女子生徒全員が臭っても気にしねえから余計な心配はすんなよ!」
「ならわざわざ口に出して言うなよ!逆にこっちが気にするだろうが!」
顔を真っ赤にして怒るベロニカを見て、レクトは大笑いしながら訓練場の片付けを始める。数日過ごしてレクトの性格が大分わかってきたのか、他の生徒たちは大半が呆れるか、諦めたかのような顔をしていた。
そんな彼女たちを尻目に、レクトは皆の激しい動きによって荒れた訓練場の地面をならしている。自分たちの数倍は動いていた筈なのに疲れた様子など全く見せず黙々と作業を続けているレクトを見て、リリアが呟く。
「まったく、相変わらず尋常じゃない体力よね…」
一方そこから少し離れた位置では、ニナが練習用のハルバードの点検をしている。特に異常は無さそうであったので着替えをしに更衣室へ向かおうとすると、突然アイリスから声をかけられた。
「あれ、ニナさん。左手のところ、擦りむいてるじゃないですか」
アイリスに指摘され、ニナは自分の左手を見る。アイリスの言う通り、確かに手の甲に擦りむいた痕があった。
「あぁこれ?さっきせんせーにぶっ飛ばされたときにうまく着地できなくって。たぶんその時に擦りむいたんじゃないかなぁ」
サンクトゥス女学園で指定されている運動着は長袖長ズボンという両手両足までを覆うものであり、しかも衝撃を吸収しやすい特殊な素材でできている。そのため、ちょっと転んだり倒れた程度ではほとんど怪我などすることはない。
だが、全身を覆っているとはいえども手と頭だけはむき出しの状態である為、その2箇所だけはどうしても怪我をしてしまうリスクがつきまとう。今のニナの手の甲はその典型的な例といえよう。
「ちゃんと処置しないと!着替えたらすぐ保健室に行くんですよ!?」
普段は消極的なアイリスが、珍しく大声を出している。しかしニナの方は怪我があまり大したことないと感じているのか、やや鬱陶しそうな顔をしていた。
「えー?そんなに心配するほどのケガじゃないと思うんだけど」
ニナの言うように、ほんの少し擦りむいた程度なので怪我自体は大した事はない。だが、それでもアイリスは頑として譲ろうとはしなかった。
「駄目です!小さな怪我でも後々響いてくることがあるんですから!」
「うー、わかったよぉ」
アイリスの剣幕に圧され、ニナは渋々ながら了承する。
手早く地ならしを終え、その様子を少し離れた位置から見守っていたレクトはやや過剰とも言えるアイリスの心配に首を傾げる。どうにも気になって仕方がなかったので、すぐ近くの地べたに座り込んで練習用の鞭を巻き取っていたエレナに尋ねてみることにした。
「なぁエレナ、アイリスは怪我した奴を見るといつもあんな感じなのか?普段のあいつの様子と比べると結構ギャップがあるんだが」
声をかけられたエレナは鞭を巻き取っていた手を一旦止め、レクトの方を見上げる。
「そうですね。それに怪我だけじゃなく、少しでも体調が悪そうな時にもすぐ声をかけてきますよ」
「ふーん。けどもし体調不良の原因が生理とかだったら、完全なお節介だよな」
レクトは悪戯っぽく言ったが、その発言が気に入らなかったのかエレナはレクトを半目で睨むような顔つきになる。
「先生、今のはセクハラです」
「仕方ねえだろ。俺は経験した事無えし、今後も経験する事は一生無えんだろうしよ」
今のは自分が悪いという自覚があったのか、レクトはややバツの悪そうな顔をする。彼の場合は単純にデリカシーが欠如しているというだけで、どうやら意図的にセクハラをしようとしたわけではないらしい。
「ハァ…今の発言は聞かなかった事にしておきます」
エレナはため息をつきながら、再び鞭を巻き取る作業を再開する。それを聞いたレクトは、ニッと笑いながらエレナを見た。
「おっ、優しいね。エレナちゃん」
「どういたしまして、英雄レクト様」
からかったつもりがエレナからまさかの皮肉を返され、レクトは若干顔を引きつらせる。だが、それは別としてレクトにはエレナにもう一つ聞いておきたい事があった。
「つーかさ、アイリスは医者を目指してんだろうが。どうして自分で治療してやらないんだ?」
怪我をしたら保健室に行くことを勧めるのは至って普通の事なのだが、アイリス自身にもできるであろう簡単な治療を、何故しようとしないのかがレクトとしてはどうも腑に落ちなかった。
しかしそれに関してはエレナも詳しくは知らないのか、視線を巻き取り途中の鞭に注いだまま答える。
「さぁ…ご自分でアイリスに聞いてみたらどうですか?」
「それもそうだ。サンキュな」
レクトはエレナに礼を言うと、アイリスの方へと歩み寄る。一緒にいた筈のニナは既に更衣室へと走っていったようで、アイリス自身も同じくこれから更衣室へ向かうところのようだった。
「アイリス、ちょっといいか?」
「はい、なんですか?」
後ろから声をかけられ、アイリスはレクトの方を向く。
「医者を目指してんなら、お前も少しぐらいは医療の心得があるんだろ?どうしてお前が治療してやらないんだ?」
前置き無しに、レクトはストレートに尋ねた。だがそれは彼女自身にとってはちぐはぐな質問だったのか、アイリスはキョトンとしている。
「え?だってわたしなんかよりも、ラケイナ先生が治療した方が確実に決まってるじゃないですか」
ラケイナというのは、サンクトゥス女学園の保健室に常駐している校医の名前だ。生徒たちの間では心優しい先生として有名だが、かつては軍医として戦場に赴いた経験があり、更には回復魔法の心得もあるという正に治療のエキスパートとも呼べる人物である。
そんな彼女と比較してしまうと、やはり実力的に一回りも二回りも劣っている半人前の自分には出る幕はない、とアイリスは思っているのだろう。
「そりゃ確かにそうかもしれねえけどよ、考え方を変えれば医者として治療をする折角の機会を無駄にしてるって事にならないか?」
諭すようにレクトは言う。しかしそれでもアイリスのネガティブな思考は一向に変わる気配は無い。
「でも、わたしなんかが治療して、上手くいかなかったらそれこそ皆さんに申し訳ないですから…」
アイリスはうつむきながらか細い声で答えたが、ここでレクトはもう1つ大事な点に気付く。
「アイリス。お前さっきから、わたし“なんか”ってずっと言ってるけどよ、その言い方は自分に自信が無え証拠だぞ?」
レクトの指摘が図星だったのか、アイリスは段々と涙目になり、消え入りそうな声で答える。
「ごめんなさい先生。でも、わたしなんかが…」
言われた矢先にも関わらず、アイリスはついうっかり“なんか”と口にしてしまった。そしてその言葉を聞いた瞬間、レクトの中で何かがブチっと切れたような音がした。
「だーっ!!ラチが明かねえ!!」
「わぁっ!せ、先生!?」
急にレクトが叫んだ事に、アイリスは心臓が飛び出しそうになる程に驚いてしまう。だが、彼女の驚きはそれでは終わらなかった。
レクトはアイリスの顎を掴み、自分の眼前へと引き寄せる。余りに突然の出来事に、アイリスはただアタフタするしかなかった。
「あ、あの、れ、レクト先生!?」
すぐ目の前までレクトの碧眼が迫っていた事による恥ずかしさで、アイリスはそれまで考えていたものが全て頭の中から吹っ飛んでしまった。だがレクトに顔を掴まれている以上、視線を逸らすことができない。
アイリスがドギマギする中、視線の先で相対するレクトが口を開いた。
「いいか?金輪際、俺の目の前でわたし“なんか”って絶対に言うな」
「あ、あの、でも…!」
突然の要求に、アイリスはただただ戸惑うだけだった。とても保証できそうにない約束からアイリスは逃げ出したくなったが、そんな事レクトが許す筈もない。
「いいな!?」
「は、はい!!」
その返事を聞き、レクトはようやくアイリスの顔から手を離す。解放されたアイリスはあまりの恥ずかしさからか、即座にレクトに背を向けてしまった。
「はぁ…はぁ…はぁ…」
息を荒くしながら、アイリスは自分の胸に手を当てた。心臓がまだバクバクいっている。ところが、レクトとの約束はそれだけでは終わらなかった。
「それとだ。今後は他の連中が怪我した時、自分にできそうだと思ったら保健室まで行かせずにその場で治療してやれ」
「で、でも、それは…!」
やはり自信がないのか、アイリスは不安そうな表情になる。それを見たレクトは、ダメ押しだと言わんばかりに述べた。
「校医はS組だけじゃなく、全校生徒の相手をしなきゃならねえんだぞ?“その程度”の事で手を煩わせるな、って言ってんだよ。理解できたか?」
「は、はい!!」
「よろしい」
アイリスの返事を聞き、レクトは頷いた。これで終わりかと思いきや、レクトは何かを思い出したかのようにもう一度アイリスに声をかける。
「あと、アイリス」
「は、はい!」
まだ何かあるのかと思い、アイリスは思わず背筋を伸ばす。だがレクトから投げかけられた言葉は、彼女の予想を悪い意味で裏切るものであった。
「やっぱ汗臭いわ、お前。俺は気にしねえけどな」
「せ、先生〜!」
恥ずかしさで顔を赤くするアイリスを見て、レクトは満足そうな表情を浮かべた。勿論それは恥ずかしがる彼女の顔を見れた事だけでなく、アイリスが自分と約束をしてくれた事の両方に対する満足である。




