授業は真面目に受けましょう
サンクトゥス女学園の校舎に、授業の終了を知らせる鐘の音が鳴り響いた。
「よし、それじゃ今回はここまで。全員、後でもう1回復習しとけよ」
そう言ってレクトは黒板に書いた内容を手早く消すと、次の授業の準備をする為に一旦職員室へと戻っていった。S組の生徒たちも教科書をしまい、各々の休み時間を過ごす体制に入り始める。
その内の1人であるベロニカも、授業が終わって一息つこうと体を伸ばす。だがそんな彼女に、ふとリリアが声をかけた。
「そういえばベロニカ、あんた最近授業サボってないわね」
リリアの指摘に、ベロニカはピクッと反応する。それを横で聞いていたニナも、思い出したように会話に参加してきた。
「ホントだー。そういえばベロニカちゃん、最近いつも授業ちゃんと出てるよねー」
「な、なんだよ。学生なんだから授業に出るのは当たり前だろうが」
ニナの質問にベロニカは真っ当な答えを返すが、その態度はどことなく焦っているようにも見える。しかしリリアからさらに鋭い指摘が飛んできた。
「何言ってんのよ。前まではサボりの常習犯だったクセに」
リリアの言うように、これまでベロニカが授業をサボるのは日常茶飯事と言っても過言ではなかった。ベロニカが授業を抜け出す度に手の空いている教師が彼女を探し出して連れ戻そうとするのが、S組においては半ばお約束と化していたのだ。
「うるさいな。別にどうだっていいだろ、そんなこと!」
ベロニカは言葉を濁し、そっぽを向く。だが全てお見通しだと言わんばかりに、それまで黙って聞いていたルーチェが唐突に核心をついた。
「レクト先生がいるからでしょ」
ルーチェのその言葉に、ベロニカは一瞬ドキッとする。しかしここで、ニナが余計な一言を発した。
「え?ベロニカちゃん、レクトせんせーのこと好きなの?」
何をどう勘違いしたのか、ニナは爆弾発言を投下して話を変な方向へと持っていく。当然そんな事ベロニカが肯定する筈もなく、顔を真っ赤にしながら猛烈に反論した。
「なっ、バカ!違えよ!!」
「あっ、違うの?」
ニナは首をかしげるが、流石に的外れな質問であったからかルーチェも冷ややかな目をしていた。ルーチェは一呼吸置くと、ニナにもわかるように説明する。
「違うわよ。今までベロニカが何度もサボってこれたのは、自分を連れ戻しにきた先生たちをことごとく返り討ちにしてきたからよ」
ベロニカが大人顔負けの太刀筋をしているのは、サンクトゥス女学園でも有名な話であった。その腕前は並の冒険者よりも上であり、戦闘経験のある軍隊上がりの教師ですら手を焼くほどだ。
だがそれもレクトがこの学園やって来た日までのことである。あの日、ベロニカはレクトに砂埃一つ付けることができずに敗北し、生まれて初めて圧倒的な実力差というものを見せつけられたのだった。
「あ、そっか。レクトせんせーが相手だったらベロニカちゃん絶対勝てないもんね」
ようやく話の流れが理解できたニナは、一切の悪意のない様子で言う。だが、その言葉は負けず嫌いのベロニカにグサリと刺さった。
「ニナ!それはお前だって同じだろ!お前だってセンセイに勝てないだろうが!」
ベロニカの言う通り、確かにニナもレクトに全く歯が立たないのは事実だ。しかしそんなベロニカの指摘に流石にカチンときたのか、ニナも猛反発する。
「でもニナは授業サボったことなんてないもん!ベロニカちゃんはレクトせんせーに負けるのが嫌だからサボらないだけじゃん!」
図星だったのか、ベロニカはとてつもなく悔しそうな顔で歯ぎしりをしている。だがそれによって怒りが沸点に達したのか、彼女はとある事を大々的に宣言した。
「そんなに言うんだったら次の授業、サボってやろうじゃねえの!」
そもそも授業をサボる事を宣言するのも学生としてはどうかとは思うが、それでもベロニカにとっては割と大きな決心であった。しかし、それを聞いていたリリアの反応は非常に淡白かつ冷たい。
「やめといた方がいいんじゃない?どうせ瞬殺されるのがオチよ」
リリアの言葉に、ルーチェとニナもうんうんと頷く。やはりというべきか、ベロニカはその言葉に納得がいかないようだった。
「リリア!アタシがセンセイに負ける前提みたいに言うなよ!」
「みたいじゃなくて、普通に負ける前提で言ってるんだけど」
ベロニカは反論するが、それでも尚リリアの反応は冷たいままだ。だがベロニカとしては一度宣言した事は曲げる気がないのか、彼女の中では次の授業をサボることは最早、決定事項のようだった。
「とにかく、アタシは次の授業はサボる!センセイに聞かれたらサボりだって言っとけよ!」
「あ、それは言っていいのね」
ベロニカが変なところで律儀だったので、ルーチェはやや呆れたような顔になる。リリアに至ってはもうどうでもいいのか、正に知らぬが仏といった様子だ。
そんな彼女たちを尻目に、ベロニカはまるで何かを決意したかのように鼻息を荒くしながら教室を出て行った。
それから数分後。授業の開始を知らせる鐘が鳴ったと同時に担任であるレクトが教室へと入ってきた。レクトはいつものように教卓の前に立つが、そこである事に気付く。
「ん?ベロニカがいねえな。あいつはどうした?」
「サボりです」
レクトには言っていいとベロニカ本人から言われていたので、ルーチェは即答する。一般的な教師であればここで怒鳴ったり、怒りを露わにするのが普通なのであろうが、この男は違っていた。
「ほー、いい度胸してんじゃねえか」
怒るどころか、レクトは下劣な笑みを浮かべる。だがその直後、突然教室の扉が開かれ副担任であるジーナが息を切らしながら駆け込んできた。
「レクトさん!ベロニカちゃんが授業抜け出したって!」
「知ってる。今さっき聞いた」
ジーナはひどく慌てているようだが、最早恒例となっているのか、S組メンバーは至って冷静であった。また、初日にサボり中のベロニカと遭遇していたからか、レクトまでもが落ち着いている。
「私、探して連れ戻してきますね!」
ジーナは勢いよく教室を飛び出そうとするが、それをレクトが引き止める。
「いや、俺が行く」
「えっ?でも…!」
担任であるレクト自らの手を煩わせるのに引け目を感じているのか、ジーナは少し困惑している。そんな彼女を見て、レクトは1つの提案をした。
「代わりと言っちゃあ何なんだけどさ、5分だけ授業やっといてくれ。内容はそこのメモ帳に書いてあるから」
「あ、はい、わかりました」
レクトはジーナに授業を任せると、足早に教室を出て行った。
そんなこんなでレクトがジーナに授業の交代を頼んでから更に数分後。普段から自信満々のレクトと比べるとややぎこちないジーナの説明が教室に響き渡る中、唐突にS組の教室の扉が音を立てて開かれた。
「あ、レクトさんと…ベロニカちゃん!?」
扉の方を見たジーナは、思わず大声を上げてしまった。何故かというと扉の先には仏頂面のレクトと、泣きじゃくっているベロニカが立っていたからである。
「ほら、さっさと入れコラ」
「ぐすっ、えぐっ、うぅ…」
不機嫌そうなレクトに促され、ベロニカは泣きながらトボトボと教室へ入る。その光景を見た他のS組メンバーは絶句し、ジーナは軽くパニクっている。
「レクトさん!?一体何があったんですか!?ベロニカちゃん泣いてるじゃないですか!」
ジーナはベロニカの身に何があったのか、というよりレクトが何をしでかしたのかと心配になったが、見たところベロニカ自身に目立った外傷はない。髪や衣服にも乱れや汚れは全く見られないので、少なくとも物理的に何かをされたわけではなさそうだ。
「大した事じゃねえ。それに元はと言えば授業をサボったこいつが悪い」
「だ、だからっで…グズ、あんな事、ヒック、するなんて、ひどい…」
泣きながらも小声で精一杯の文句を言うベロニカを見て、他のS組メンバーは当然のようにある事を思い浮かべる。
(((一体、何をされたんだろう…)))
ベロニカが席に座るのを見届けると、レクトは改めて教卓の前に立った。だが授業を再開する前に、一応の意味も込めてベロニカに釘を刺しておく。
「ベロニカ。俺の授業をサボろうっていうその度胸だけは認めてやるが、それを実行するには実力が全然足りてねえ。せめて俺に一撃与えられるレベルになってから出直して来い」
(サボる事自体は咎めないのね)
レクトの独特の価値観について、ルーチェは心の中でツッコミを入れた。勿論レクトはそんなルーチェの内心など知る筈もなく、改めて授業を再開する。
ジーナから授業を引き継いだレクトは、今は水と電気の関係についての説明を行っている。ちなみに授業を交代したジーナは、そのまま教室の隅でレクトの授業を見学していた。
「…つまり、水は電気をよく通すっていう一般常識は半分正解で半分間違っていると言えるわけだ。不純物の一切入っていない純粋な水には、全くと言っていいほど電流は流れない」
相変わらず授業自体は割とまともなレクトの説明を聞き、フィーネが手を挙げて質問した。
「ということは先生、川や海など自然界に存在している水には何かしらの不純物が混じっているから、水辺に生息しているモンスターには電気の攻撃がよく効くという事ですか?」
「そういう事だ。もっとも、電気に耐性を持つモンスター自体もそう珍しくはないがな」
「わかりました、ありがとうございます」
フィーネは納得した様子でレクトに礼を言った。一通りの説明を終えたので、レクトは次の内容へと移ろうとする…筈だったのだが。
「よし、次は油の性質について…ん?」
途中で言いかけて、レクトはある違和感に気付く。彼の視線の先には、オレンジの髪をした少女が目を瞑り、口元からヨダレを垂らしているのが見えたのだ。
レクトは無言のままニナに近付くと、その大きな手の平で彼女の頭を鷲掴みにした。
「ニナ!寝るな!起きろ!」
「ふぁ、ふぁい!お母さん!?」
突然の怒声とともに頭を掴まれ、ニナは一気に目を覚ます。しかしそれでもニナはまだ寝ボケた状態だったので、レクトの盛大なツッコミ、もといガラの悪い怒声が上がった。
「誰がてめーの母親だ!寝ボケんな!」
「あ、せんせー!?」
ようやくニナが現実に戻ってきたところで、レクトは改めて授業を再開するのだった。
それから数十分してようやく授業が終わり、レクトはS組の教室を後にする。廊下では、先に教室から出ていたジーナがレクトの事を待っていた。
「レクトさん、お疲れ様です」
「おう、手伝ってくれてサンキュな」
一時的に授業を代わってくれた事についてレクトは礼を言うが、それよりもジーナはどうしてもレクトに聞いておきたい事があった。
「あの、レクトさん。ベロニカちゃん泣いてましたけど、本当に一体何があったんですか?」
あの時は流されてしまったが、ジーナはベロニカが泣きじゃくっていた理由がどうにも気になっていた。それを尋ねられたレクトは、あっけらかんとした様子で答える。
「あぁ、その話か。少し乙女の純情を汚させてもらっただけだ」
「えええぇぇぇっ!!?」
レクトの発言を聞いてあまりに驚いたのか、ジーナは廊下中に響くほどの大声を出してしまった。当然、すぐ真横にいたレクトは大層うるさそうに耳を塞いでいる。
「耳元でそんな大声出すなって。冗談に決まってるだろうが」
「あ、冗談、ですか…」
それを聞いたジーナは気が抜けたような顔で安堵するが、同時に一種の恐怖感のようなものも覚えた。
(レクトさんの場合、冗談に聞こえないから怖い…)
ジーナは心の中でそう思いながら、レクトについて行く。その時、ふと背後からレクトに声をかける者が現れた。
「せ、センセイ!」
レクトとジーナが振り返ると、そこには先程の授業にてサボりを働こうとしたベロニカが立っていた。だが様子が少しおかしく、何故かレクトと目を合わせようとしない。
しかし一呼吸おいてようやく何かを決意したのか、唇を震わせながら細々と言葉を絞り出した。
「その…授業サボって、ご、ごめんなさい…!」
「おう、もうするんじゃねえぞ」
レクトに許してもらえたことで、ベロニカは目を潤ませながら恥ずかしそうに走り去っていった。それを見届けたレクトは職員室へ戻ろうとするが、突然ジーナが口を開く。
「レ、レクトさん!ベロニカちゃんが謝りましたよ!?」
目の前で起こった光景に、ジーナは驚愕したような様子で棒立ちしている。しかし、そんな彼女のことをレクトは怪訝そうな目で見ていた。
「何を騒いでるんだ、お前は。あいつが悪い事したんだから謝るのは当然の事だろうが」
至極当然の事に対して驚くジーナに呆れながらも、レクトは職員室へ戻ろうと再び廊下を歩き始める。1人残されたジーナは、信じられない出来事に対してただただ驚きの声を漏らすだけだった。
「ベロニカちゃんが自分から謝ったの、初めて見た…!」




