ニナからの挑戦
レクトがサンクトゥス女学園に赴任してきてから4日目の放課後。
S組の教室でも帰りのホームルームが終わり、既に半数以上の生徒たちが帰宅の為に教室を出て行った後である。今も教室に残っている生徒はリリア、ルーチェそしてニナの3名だけだ。
「お前らー、用が無きゃさっさと帰れよー」
口では一応声がけをしているのだが、担任であるレクトは教卓の椅子にもたれかかってだらけている。もっとも、本人としては生徒全員が帰宅したのを見届けたら自身も職員室に戻るつもりではあるのだが。
そんな中、何故か自身の鞄を机の上に置いたままのニナがレクトの元へとやって来た。
「せんせー、ニナと勝負しよ!」
「あん?」
何も考えていないような無邪気な顔で、ニナは唐突にレクトに勝負を申し込む。とはいえレクトの性格上そんな事を快諾する筈もなく、嫌そうな、というよりも面倒くさそう顔をしながら返事をする。
「何だ急に。というか、まず勝負する理由が無いだろうが」
確かにレクトの言うように、勝負する理由は特に無い。彼としては単純に面倒くさいというのもあったが、理由もなく勝負をするのも如何なものかという部分はあるのだろう。
しかし、ニナは真面目な顔でその目的を述べる。
「だってニナ、まだせんせーと1対1で勝負してないもん」
「勝負ってお前、最初の授業で結局俺に一撃も与えられなかったじゃねえか」
レクトに痛い所を突かれ、ニナは苦虫を噛み潰したような顔になる。しかし首をブンブンと横に振ると、真っ直ぐにレクトを見た。
「あ、あの時は1対1じゃなかったもん!それにあの時はせんせーから攻撃してこなかったから、ちゃんと勝負したらどうなるかわかんないじゃん!」
ニナの言っている事もわからなくはないが、結局は彼女自身のワガママに過ぎない。ニナの大声故に話が丸聞こえであったリリアとルーチェは、どうせ勝てるわけないでしょ、とでも言いたげな表情をしている。
レクトとしてはここでキッパリ断っても何ら支障はないのだが、少し気になった事があるので一応ニナに確認してみる。
「お前、もしかして今までもずっといろんな先生に勝負挑んできたのか?」
「うん、やったよ!半分以上はニナが勝ったけどね」
ニナの返事を聞き、こんな小娘に負けるなどどれだけこの学校の教師陣はレベルが低いのだろうかとレクトは心配半分、呆れ半分になった。しかし校長が言っていた事が正しいのであれば、逆にこの子は戦士として既に充分な能力を持っている、という事にもなる。
そう考えるとこの勝負は、レクトとしてもこの子の実力を改めてしっかり確認する事ができるいい機会であるともいえよう。
「いいよ、やろうか」
「やった!さすがは英雄のせんせー!」
これから勝負をするというのに、ニナはひどく嬉しそうな様子だ。おそらく彼女にとっては、この勝負もレクリエーション程度にしか捉えられていないのだろう。
レクトは腰を上げると、改めて勝負についてニナに尋ねた。
「けど、勝負って何をする気だ?」
「何でもいいよ。せんせーが決めて!あ、でも武器使うやつがいい!」
勝負と一口に言っても色々ある。とはいえ時間がかかるのも嫌なので、なるべく簡単に決着がつくものがいいだろう。そう考えたレクトは、何かを思いついた様子でニナに指示をする。
「わかった、なら練習用の武器持って中庭に出てろ。俺もすぐ行くから」
「はーい!」
元気よく返事をすると、ニナはそのまま教室から出て行く。レクトも続いて中庭へ向かおうとすると、準備を終えてこれから正に帰宅しようとしていた筈のルーチェが唐突に話しかけてきた。
「先生。その勝負、私も見学させてもらってもいいですか?」
「ん?構わないが」
ルーチェの申し出を、レクトはあっさり了承する。自分も相手をしてくれと言われたのならともかく、単に見学するだけならレクト自身の手間は増えないからだろう。
レクトから許可を得たルーチェは、隣にいたリリアの方を見る。
「リリアも行かない?」
「そうね…。ま、時間はあるから行ってもいいわよ」
ルーチェに誘われ、リリアも一緒に行くことにした。リリアにとっても勝敗などは想像するまでもないが、勝負の内容自体は少し興味があったのだ。
「とりあえず、俺は先に行くからな」
そう言って、レクトは教室から出て行った。それを見届けた後、リリアはルーチェに真意を訪ねる。
「ルーチェ、どういう風の吹きまわし?急にニナの勝負を見たいなんて。どうせニナがボロ負けするに決まってるじゃない」
言い方自体は悪いが、リリアの言う通りニナが勝てる見込みなど万に一つもないだろう。無論、それはルーチェ自身もわかっているようだ。
「気まぐれよ、気まぐれ」
「本当に?」
リリアは疑わしげな目でルーチェを見る。だがそんな彼女の質問を無視し、ルーチェは中庭へ向かうために教室を出て行く。
「あ、ちょっと待ちなさいルーチェ!」
1人置いていかれたリリアは、慌ててルーチェの後を追いかけた。
ルーチェとリリアが到着した時、中庭では既にニナが練習用の武器を持って準備完了といった出で立ちでスタンバイしていた。
「せんせー、準備できたよ!」
ニナの武器は授業の時と同じく、槍の先端部に斧を取り付けたもの…いわゆるハルバードだ。
ハルバードといえばかなりの重量を誇る武器で、大の大人でも振り回すのにはそれなりの力と熟練度が必要とされている武器である。彼女が今持っているのはあくまで練習用であるため金属製の刃などは付いていないが、その代わりに重りを付けてあるので重量自体はほとんど実物と変わらない。
先程の言葉通りニナの方は準備万端のようなので、レクトは勝負の内容を説明し始めた。
「ルールは簡単。先に背中が地面に着くか、まいったと言った方の負けだ」
「オッケー!!」
ニナは元気よく返事をする。言葉通り彼女の方はやる気満々であり、ハルバードを構えていつでも行けそうな雰囲気だ。
「よし、じゃあ開始」
「ちょっと待って!せんせー、武器持つの忘れてる!手ぶらはダメだよ!?」
レクトは開始の合図をするが、彼の出で立ちを見てニナは不満を漏らす。というのも、レクトが大剣を構えずに背負ったまま合図をしたからであった。
「面倒くせえなあ」
ニナに指摘され、レクトはぼやきながらも剣を手にする。それを見たニナは、にぱっと嬉しそうな顔になった。
その光景を遠くで見ていたルーチェとリリアは、レクトが武器を構えなかったことについて話している。
「多分、先生は武器を使わずに勝つつもりだったんでしょうね」
「ニナの奴、完全に舐められてるわね」
レクトが武器を構えなかったのは、素手で勝つつもりに違いないからというのは2人には理解できていた。同時にそれはレクトの余裕の現れでもあるのだが、実際に実力差が天と地ほどあるのだから仕方ないと言えば仕方ない。
そんな離れた位置にいる2人の会話など聞こえていないニナは、レクトに向かって高らかに宣言する。
「いっくよ、センセー!」
ニナは一気にレクトとの間合いを詰め、ハルバードを思い切り振った。重い武器であるにも関わらず、ヘッドスピードもかなりのものだ。しかしレクトは半歩下がり、軽々とその攻撃を躱す。
「改めて思ったけど、その見た目でここまでハルバードを振れるとはなぁ」
余裕で避けたものの、ニナの動き自体は素直に褒めている。ハルバードは王国騎士団でも使用する者は限られており、使い手も大抵ガタイのいい大男がほとんどだ。それに対してこの少女はそこまで身長も高くなく、腕も同年代の子たちとほとんど変わらない太さである。にもかかわらず、練習用のハルバードを手足のように振り回していた。
「このっ!このっ!!」
ニナはハルバードを上下左右へと振り続けるが、完全に動きを見切られているようで一向にレクトには当たらない。対するレクトは攻撃を避けながら、ニナの動きを観察するように黙って眺めている。
「はぁっ…はぁっ…!」
5分程経過したところでニナの息が切れ始め、動きが鈍くなってきた。短時間で激しい動きをし過ぎた故のスタミナ切れだろう。それに気付いたレクトは、ニナに聞こえないように小さな声で呟く。
「もう充分見れたし、そろそろ終わりにするか」
「てやあぁぁぁ!!」
そんなレクトの小声に気付きもしなかったニナは渾身の大振り攻撃を繰り出すが、対するレクトは迫り来るハルバードの柄の部分を空いていた左手で掴み、そのまま彼女の身体ごと後ろに投げ飛ばした。
「え?あ、あれ?」
ニナは状況がよく理解できないまま宙に投げ飛ばされ、そのまま背中から地面に落下する。背中が地面に着いたら負けというルールであったので、この勝負はレクトの勝ちだ。
「いたた…」
ニナが身体を起こす。腰をさすりながら上を見上げると、いつの間にか目の前には自分の事を投げ飛ばし張本人であるレクトが立っていた。
「その年でそれだけハルバードを使いこなせるのは大したもんだ」
「えへへ…」
急に褒められたことで、勝負に負けたことも忘れてニナは思わず笑顔になる。しかしその直後には、戦術指南という名の説教が待っていた。
「だが振りがデカすぎる。あの動きじゃ隙が大きくてタイマンには向かないし、バテるのも早い。あとハルバードを使うなら斧だけじゃなく、もう少し槍の部分を活かして小刻みな攻撃を織り交ぜないと駄目だ」
「はぁい…。」
欠点を指摘され、ニナはしゅんとする。
一方でその様子を遠くから見ていたルーチェとリリアは、素直な感想を漏らしていた。
「間違いなく先生が勝つとはわかっていたけど、ここまで圧倒的過ぎるとはね。あれじゃ多分、正規の騎士団だって絶対に先生には勝てないわ」
「ニナの猛攻がかすりもしないなんてね。やっぱり英雄の名は伊達じゃないってことじゃない?」
もっともリリアはレクトの圧倒的とも言える強さを一度目の当たりにしているので、今更驚いたような素振りは見せていないが。
まだまだ自分の実力が足りない事に落ち込むニナに、レクトは声をかける。
「戦い方さえ学べば、お前はまだ強くなれるって。俺が教えてやる」
「ホント、センセー!?」
ニナの表情がぱあっと明るくなる。感情の起伏は激しいが、本当にわかりやすい子だとレクトは改めて感じた。
「あぁ、本当だ。それに…」
「それに?」
「お前みたいな裏表のないヤツ、俺は好きだしな」
レクトとしては励ましのつもりで言ったのだが、ニナは顔を真っ赤にして照れながら大声で叫ぶ。
「ど、どうしよう!?センセーに愛の告白されちゃった!!」
「裏表はないけど、お前やっぱりアホだろ」
レクトが辛辣なツッコミを入れたところで、校舎の上部に設置してある鐘が鳴った。夕方5時を知らせる鐘だ。
「ん、もうこんな時間か。もうじき暗くなるだろうから、支度してさっさと帰れよ」
「はーい!」
ニナは元気よく返事をした。それを聞いたレクトは、遠くで見ている2人にも大きな声で同じ注意をする。
「お前らも!さっさと帰れよ!!」
「はい、わかりました。さようなら、先生」
ルーチェは返事をすると、リリアを連れて一足先に中庭を後にした。それを聞いたレクトは地面に座り込んだままのニナに手を貸し、立ち上がらせる。
教室に置いたままにしてある鞄を取りに戻る為、ルーチェとリリアは廊下を歩いていた。そんな中、不意にリリアが口を開く。
「結局、予想通りの結果になったわね」
「そうね」
それはルーチェも同感のようで、つまらなそうな返事をする。だが、ルーチェの中にはある1つの感情が湧き上がっていた。
「英雄の実力、見てみたいなぁ」
リリアに聞こえないぐらいの小声で、ルーチェはボソッと呟いた。ただそれがほんの少しだけ聞こえたのか、リリアがルーチェに尋ねる。
「何か言った?ルーチェ」
「お腹すいたなぁ、って言ったのよ」
「何よそれ。なら早く帰りましょうよ」
リリアからの質問をはぐらかし、ルーチェは窓の外の空を見た。夕方の5時であるので、当然のように陽が沈みかけている。
初めはルーチェに全く関心を持たれていなかったレクトも、徐々に彼女の興味の対象になっていた事などレクト自身は全く知る由もなかった。




