火神と守護神
「ついに、この時が来たか」
ソウゲンは鷹舞ヶ原の北端にある小高い丘の上から、遠くの方にある将軍の城や中心街を静かに見ていた。
「呑気なものだな。これから自分たちの街が…いや、国が滅ぼされるとも知らずに」
ここからでは具体的に街の様子が見えるわけではないのだが、事前に部下に調べさせたところ、将軍の謀殺や火山の噴火があったにも関わらず、街ではまだ祭りを中止するという決断までには至っていないらしい。その関係か民衆や観光客も大半がまだこの国に留まっており、国としても今更祭りを中止することに抵抗があるのだろう。
『おい。感傷に浸るのは貴様の勝手だが、ここで呆けていても仕方なかろう。さっさと街を焼き払った方が良いのではないか?我もこの国を制圧した後、為さねばならぬ事がいくつもあるのだ』
ソウゲンの後方に立っているカグツチが、少し苛立ったような様子で口を開いた。
「おっしゃる通りでございます。では、始めるとしましょう」
ソウゲンはカグツチの方を振り返ると、頭を下げる。だがカグツチは行動を起こす前に、ある事をソウゲンに尋ねた。
『時に、貴様の部下の忍はどうした?』
今ここにいるのは、ソウゲンとカグツチだけである。単なる戦闘狂にすぎないグレンと違い、シラヌイは教団の中でもソウゲンが本当に信頼できる数少ない人物であるのだが、そのシラヌイがこの場にいないというのがいささか不思議であったのだろう。
「シラヌイでしたら、別件で動いております。元々あやつは単独での隠密行動を得意としていますので…」
『そうか。まぁよい。我にとっては関係のないことだ』
あまり関心がないのか、ソウゲンの回答に対するカグツチの反応は薄かった。
兎にも角にも、為すべきことを為すためにカグツチは右手をかざす。すると、瞬く間に直径およそ20メートルほどの巨大な火球が出来上がった。
『我が為すべきことは、この国を火の海に変えることであるからな!』
そう叫ぶと、カグツチは完成した火球を中心街目掛けて一直線に投げつける。どうやら、この場から直接街を攻撃するつもりのようだ。
「愚かな民衆どもよ!神の裁きに怯えるがいい!」
街に向かって一直線に飛んでいく火球を見て、ソウゲンが高らかに叫ぶ。
一昨日の魔導船による砲撃とはわけが違う。直撃と同時に大規模な爆風を巻き起こし、更に火災や建物の倒壊といった二次災害を引き起こす。たった一発の火球でどれほどの被害が出るのかは想像もつかない。
だが、自体はソウゲンの思い通りはならなかった。
火球の軌道上に、突如として巨大な影が割り込んだ。火球はその巨大な影に直撃し、大爆発を巻き起こす。
『何!?』
突然の出来事に、カグツチは驚いたような声を上げる。無論、驚いているのはソウゲンも同様であった。
ものの数秒で爆発による砂煙が徐々におさまり、割って入ってきた巨大な影がその姿を現す。それは正に、激しく燃え盛る巨大な火の鳥であった。
「あれは!?」
突如として現れた怪鳥を見て、ソウゲンは動揺を隠せないようだった。しかしカグツチの方はいたって冷静で、むしろ“当然”とでもいったような様子である。
『やはり現れたか、不死鳥エンスウ』
怨敵の出現に、カグツチは喜びと怒りが入り混じったような声を漏らした。この場にエンスウが現れること自体は少なからず想定していたのだろう、特に慌てた様子もない。
『たりめーだ。テメェ如きが色々好き勝手できると思ったら大間違いだぜ』
火球による爆発など物ともせず、エンスウは余裕たっぷりの様子で喋っている。おそらく何かしらの防御魔法などを使ったというのは想像に難くないが、それを踏まえてもやはり神の名を冠するということに嘘偽りはないということの表れなのだろう。
更にカグツチは、エンスウが背に乗せている人物の存在にも気づく。
『背に乗せているのは…ほう。先刻、我に向かってきた人間ではないか』
昨日の今日であるからか、当然にようにレクトの姿には見覚えがあるようだ。しかし、カグツチには1つ腑に落ちない点があった。
『だが我の記憶が正しければ、本来であれば貴様の相棒は巫女に仕える神官ではなかったか?』
カグツチにとって、エンスウとの戦いはこれが初めてではない。姫巫女が守護神エンスウを眠りから呼び覚ますことも、その姫巫女に仕える神官がエンスウの力の篭った刀を携えているということも知っている。
だがその質問に答えたのは問われたエンスウとレクトではなく、傍らに立つソウゲンであった。
「神官は私の部下が既に始末しました。あの男は所詮、単なる代役にすぎませぬ」
『成る程、そういうことか』
ソウゲンの話を聞いて、カグツチも合点のいったような様子である。カグツチとしては最初に交戦した際、どう見ても外国人であるレクトが御神刀を所持していたことが引っかかっていたのだが、その疑問も解決したようだ。
そんな中、それまでエンスウの背中で黙っていたレクトが口を開く。
「けどさ、代役に惨敗する神ってのも惨めなもんだと思わないか?」
単なる軽口なのか、それとも挑発なのか、レクトは相変わらずの態度である。しかしその言葉に反応したのはカグツチではなく、横にいたソウゲンであった。
「貴様!我が神を侮辱することは許さんぞ!」
「別にお前のお許しなんざ欲しくもない」
怒るソウゲンに対し、レクトは呆れ気味で返す。
当のカグツチはレクトの言う事など所詮人間の軽口程度にしか思っていないのだろう、まったく気にした様子もなく自身にとって最大の障害となるであろうエンスウの方を見た。
『今回は大昔のようにはいかぬぞ。その羽根を毟り取って、地に叩き堕としてくれる』
『上等だコラァ!二度とシャバに出てこれねえよう徹底的にブッ潰してやるから覚悟しやがれこの下等神が!』
売り言葉に買い言葉とでも言うべきか、双方とも敵意を剥き出しにした状態で対峙している。
そのような状況を、サクラとS組メンバーは少し離れた丘の上から見守っていた。
「同じ神の名を冠する存在なのに、えらく口調が違うわね」
「神様も時代とか環境に影響されるんじゃない?」
カグツチとエンスウの掛け合いを見て、エレナとリリアは冷静に指摘する。国の存亡を賭けた決戦であるというのに、随分と落ち着いたものである。
「けど、なんとか間に合ったみたいでよかったわね」
「ただ、もう二度とあんな移動はゴメンだわ」
少しだけ安心した様子のフィーネの横で、まだ乗り物酔いが尾をひいているルーチェが青い顔をしながら呟いた。
双方とも2対2で正に一触即発という状況であったが、何を思ったのかここでソウゲンが前に出る。
「神よ、ここは私めにお任せください」
『やれるのか?』
「はい。頂戴した御力で、必ずや奴らを地獄へと叩き落としてみせましょう」
カグツチの問いかけに対し、ソウゲンは力強く答えた。対するエンスウも相手側の動きを見て、自身の背中にいるレクトに話しかける。
『早速のタイマンみたいだぜ。レク坊、任せたぞ』
「あいよ」
レクトは軽く返事をしながら、エンスウの背から飛び降りる。事前に話していたようにエンスウは人間であるソウゲンに対して手出しができないので、ここはレクトが1人で戦う他ないのだ。
「おっ。なんだよ、俺が切り落とした腕が治ってるじゃねえか」
自身が切り落とした筈のソウゲンの右腕が健在であるのを見て、レクトが言った。もっとも治っているとはいってもその腕は人のものである肌色ではなく、まるで赤熱している岩石のような色合いである。この場合は治った、というよりはカグツチの力で新たに右腕を創造した、という方が正しいだろうか。
「そうだ!これも我が神の御力!しかもただ治してくださったわけではないのだぞ!我が右手に触れるものは全て焼き尽くされ、灰燼と化すのだ!」
レクトとしては皮肉の意味合いも込めたつもりであったのだが、ソウゲンの方はそんな事など全く意にも介さず、むしろ誇らしげな様子である。
「あっそう」
自身の新たな右腕について熱弁するソウゲンに対し、レクトはひどく冷めた目を向けていた。しかし、ソウゲンの方はそんなことなどお構いなしのようである。
「だが、私が得たものはそれだけではない!その目に焼き付けるがいい!」
「いやもう説明いらないんだが」
レクトの言葉など耳に入っていないのか、ソウゲンは着ていたローブを勢いよく脱ぎ捨てる。その下には、マグマのように赤い模様がうごめいている無骨な鎧を纏っていた。
「見よ!この美しき炎の鎧を!これこそが我が神より与えられし力!何人たりともこの鎧を貫くことは叶わぬ! 昨晩、貴様は我が神に対し傷を付けることは叶わなかっただろう?この鎧には我が神の御力の一片が封じられている。つまり、貴様の力ではこの鎧に傷一つ付けることはできないのだ!」
「あのさ」
力説し続けるソウゲンに対し、レクトは少しばかり苛立った様子で話を中断しようと声を上げた。だが、そんなレクトのことなど無視してソウゲンはなおも話を続ける。
「愚かな民は私のことを人間でなくなったと口にするだろう。だがそれは間違いではない。そう、我は人間を超越したのだ!これは堕落ではない、昇華である!この力をもって、今度こそヤマトの国を…がはっ!?」
「話が長い!」
話の途中であったが、いい加減に痺れを切らしたレクトがソウゲンを一太刀の下に斬り伏せた。
「「「斬っちゃった!!」」」
あまりにも衝撃的な決着に、S組メンバーは声を揃えて驚いている。これから激闘が始まると少なからず予想していたのに、話の途中で決着が付いてしまったのだから驚くのも無理はないが。
「馬鹿な…何故…斬れる…?」
「時間の無駄」
地面に倒れこむソウゲンを見ながら、斬った当人は非常にイライラした様子で言い放つ。斬られたソウゲンにとっては完全に不意打ちであるとしか言いようがないのだが、レクトにしてみれば言葉の通り時間の無駄でしかなかったようだ。
『せめて言い終わってから斬ってやれよ』
あまりにも哀れな姿を目の当たりにして、あろうことかレクトの味方である筈のエンスウがソウゲンに同情するような台詞を吐く。しかしレクトの方はまったく悪びれた様子を見せていない。
「野郎の自慢話なんて聞いて何の得がある。相手がイイ女だったら多少は聞く気になるんだけどな」
『あぁ、そうかい』
相変わらずの軽口を叩くレクトに対し、これ以上何を言っても無駄だと悟ったのかエンスウは適当に流した。
「しかし、刀の方はいい感じだな。神の鎧でも問題なく斬れたぜ」
天翔光翼をその場で2、3回振りながら、満足気にレクトが言った。ソウゲンの言っていたことが正しければ、昨晩カグツチに斬りかかった時のように傷一つ付けることは叶わなかった筈だ。
その鎧を斬れたということは、力の大元であるカグツチも斬れるということだ。昨晩のリベンジができるレクトにとっては、喜ばしいのも当然である。
『俺様が鍛えたんだ。当然だろ』
「そうっぽいな」
自慢気に語るエンスウだが、レクトの方も刀に宿る力自体はしっかり感じ取られたので否定もツッコミもせず、ただ肯定するのみだ。
と、ここでつい先程レクトに斬られた筈のソウゲンが息も絶え絶えになりながら顔を上げる。
「おのれ…部外者の分際で…!」
恨み言を述べながら、ソウゲンは地面に這ったままレクトのことを見上げている。確かにレクトはヤマトの人間ではなく、ましてや神々にゆかりのある人物でもないので、ソウゲンの言う部外者というのもあながち間違いではないが。
『なんだ。まだ息があるじゃねえか』
先程の一撃で息の根を止めたと思っていたので、エンスウは拍子抜けしたような声を上げた。しかし、ソウゲンを殺さなかったことについてもレクトなりの理由があった。
「一応、加減はした。サムライ連中はこいつを取っ捕まえて、色々と聞き出したいだろうからな。魔導船の出所とかさ」
『そういうことか』
レクトの考えを聞いて、エンスウも納得したようだ。一応、昨晩レクトが倒したグレンも現在は牢屋の中であるが、組織の幹部よりも長からの方が得られる情報が大きいのは至極当然のことである。
だが、残念ながら事はレクトの予定通りとはいかなかった。
『むん!』
「チッ!」
ほんの一瞬の出来事であった。カグツチが巨大な火球を作り、それを倒れているソウゲン目がけて投げつけたのだ。
流石の反応速度というべきか、レクトは舌打ちをしつつも巻き込まれないように瞬時に後方へ飛び退く。一方で動けないソウゲンには火球が直撃し、巨大な火柱が上がった。
「ぎゃあああぁぁぁ!!」
火柱に飲み込まれたソウゲンは、壮絶な断末魔を上げる。火柱はものの数秒で消えたが、地面に巨大な焦げ跡が残ったのみでソウゲンの焼死体はおろか灰すらも残ってはいなかった。
「あいつ、仲間を!」
「何てことを!」
自身に仕えていた筈のソウゲンをカグツチがあっさりと切り捨てたのを目の当たりにして、ベロニカとサクラが思わず声を上げた。
「火葬ってのは死んでからやるもんだぜ。それともヤマトには火葬の文化がないのか?」
少しばかり不機嫌そうな口調で、レクトはカグツチに対して皮肉を口にする。レクトにとっては人の死を直視することは今更珍しいことではないのだが、昨日の忍者の自爆と同様にやはり気分が良いものではないのだろう。
『火葬ではない。不要物の焼却だ』
カグツチは当然のように言い放った。無論、人間と神では価値観が違うのは当たり前であるのだが、この行為は同じ神の名を冠するエンスウにとっても不快なようであった。
『そうかい。なら、テメーも俺様にとっては不要物だからな。この場で処分させてもらうぜ』
「それ、俺が言おうと思ったんだが」
『うるせぇ。こういうのは言ったもん勝ちなんだよ』
こんな状況であるというのに、レクトとエンスウは冷静に掛け合いを繰り広げている。しかしそれは現実逃避というわけではなく、それだけ余裕があるということの表れであった。
『よかろう。この国を滅ぼす前に、まずは貴様らを焼き払ってやる』
レクトとエンスウがやる気満々であるのを確認し、カグツチも臨戦態勢に入る。それに対してレクトも天翔光翼を構え、エンスウもしっかり前を向く。
「上等だ、叩き潰す!」
『上等だ、ブッ潰す!』
レクトとエンスウの声が、鷹舞ヶ原に響き渡った。