守護神の眠る山
守護神エンスウの眠るといわれる山を目指すレクトたちは、それほど険しくはない山道を登っている真っ最中であった。
「なんで途中で馬車を降りなきゃならないのよ」
「山肌が石や岩でゴツゴツしてるんだから仕方ないでしょ。こんな道じゃあ馬車なんて通れないわよ」
文句を垂れるリリアを、フィーネが咎める。会話の通り途中までは馬車でやってきていたのだが、山を少し登ったあたりでこれ以上は馬車では進めないと判断した一行は降りて徒歩で登山を再開した、というわけである。
尚、ハクレンだけは同行していない。現在の状況を誰かが中心街の人々に伝えなければならないので、その役をハクレンが買って出たのだ。
「けどさ、不死鳥エンスウってかれこれ何百年も寝てるんだろ。せっかくここまで来たっていうのに、肝心のエンスウが起きてくれなかったらどうすんの?」
唐突にベロニカが疑問を口にした。
「あんた、守護神を寝坊助か何かと勘違いしてない?」
「いや、でもさあ…」
エレナに指摘されても、ベロニカはまだ怪訝そうな様子だ。とはいえ実際には彼女たちは神と呼ばれる存在にこれまで会ったことすらないのだから、ベロニカがいまいちピンときていないのも無理はない。
「心配しなくても、伝承によればヤマトの国に危機が訪れた時に守護神は目覚めるんだろ。今なんて危機のど真ん中じゃねえか」
レクトがもっともらしいことを言った。
「そもそも、神って呼ばれる連中にとっては数百年なんて大した時間じゃねえ。仮に“50年長く眠った”って言っても、人間にとっての“5分寝過ごした”程度にしか感じねえだろうよ」
「そ、そうなんですか…」
レクトの話のスケールが大き過ぎるからか、微妙に理解できていないような面持ちでフィーネが返事をした。
と、ここでアイリスがあることについて触れる。
「そういえば先生、前に神と戦ったことがあるって言ってましたよね。その時はどうやって“神の領域”に踏み込んだんですか?」
アイリスの質問に、他の皆が「あぁ!」とでも言いたそうな表情になった。レクトのことだから嘘ではないのだろうが、前に「神とやり合ったことがある」言っていた以上、一度は“神の領域”に踏み込んでいるということになる。
「ルークスの奴が持ってた聖剣グラニがそういう防御や加護を破る力を持ってたからな。最初にルークスがそれを打ち破って、あとは袋叩きだ」
「な、なるほど…」
レクトの返答を聞いて、アイリスはなんとも言えない表情になった。神と呼ばれる存在を袋叩きと発言するなど、レクトの末恐ろしさを改めて実感したようだ。
そうこうしているうちに、一行は山頂付近にたどり着いた。山とはいっても火山なので、中央は大きく窪み、中心部には今もなお活動しているのであろう証である真っ赤なマグマが見える。
「で、どうやってあそこまで行くの?」
ニナが率直な疑問を口にした。確かにここから火山の中心まで向かうにしても、斜面が急すぎて降りて行くのは危険すぎる。レクトぐらいの身体能力であればそれも不可能ではないのだろうが、それでも8人を抱えて降りて行くのは無茶もいいところである。
「昔、コンゴウから聞いた話によると、確か中心部にある祭壇へ降りるための階段があった筈なのですが…」
サクラ自身も実際にここまで来るのは初めてのようで、周りを見渡しながら目当ての階段を探している。
「ねえ、階段ってアレじゃないか?」
その階段にベロニカがいち早く気づいたようで、少し離れた位置を指差した。その先には、確かに石でできた古い階段のようなものが見える。
「多分、アレだろうな。行ってみるか」
レクトはそう言って、階段のある方へと向かって歩き始めた。皆もそれに続いていく。
階段自体はそれなりに長く、少なくとも100段はありそうだった。今は下りなのでそこまで大変ではないが、帰るときは一苦労しそうだ。
「随分と古い階段みたいだけど、意外にしっかりしてるのね」
一歩一歩階段を降りながら、ルーチェが呟いた。確かに階段に使われている石材そのものはかなり古そうで、それこそ作られたのは10年や20年前というレベルではないだろう。
「老朽化が酷かったので、30年ほど前に修繕作業が行われたと聞いたことがあります」
「なるほど。それでひび割れとか欠けがあんまり無いのね」
サクラの話を聞いてルーチェは納得した様子だ。
ようやく階段が終わったところで、少し広い場所に到着した。地面には鳥を象ったような何かの紋章が彫られており、その奥には石でできた小さな祭壇が見える。
「この紋章、何かしら。すごく古くて所々欠けてるみたいだけど」
地面の紋章に触りながら、フィーネが言った。
「守護神エンスウの紋章ですね。一般にはあまり知られてはいませんが、将軍家にはこの紋章を刻んだ宝具がいくつか残されています」
説明しながら、サクラは祭壇へと歩みよる。祭壇のすぐ目の前にはマグマが広がっており、暑いというレベルではない。それでもサクラは怯むことなく、祭壇の前に立つ。
「で、肝心のエンスウはどうやって起こすんだ?」
サクラの数メートル後ろにいたレクトが、彼女に尋ねた。しかし、サクラの方は既に何をすべきかはわかっていたようだった。
「ここから先のことはお任せください」
そう言うや否や、サクラは何やら呪文のようなものを唱え始めた。いや、呪文というよりは何か特別な言語のようにも聞こえる。
「えっと、これ何語?」
皆の思っていることを、ベロニカが代表して言った。ただ、唯一レクトだけはこの言葉が何なのかを理解しているようだった。
「こいつは古代語だ」
「こだいご?何それ?」
レクトの発言に対し、当然といった様子でニナが質問を投げかける。
「太古の昔に存在した魔法都市で使われていた、神と交信したり召喚するための言語だ。石版とかに書かれてるのを、旅の途中で何回も見た」
「へー」
レクトの話を聞いて、ニナは小さく声を漏らした。サクラは相変わらず古代語で何かを唱え続けている。
「で、何て言ってるの?」
「それはわからん」
ニナの質問に対するレクトの返答を聞いて、S組の全員がずっこけた。話をする様子から誰がどう見てもわかっているような風であったので、思わず拍子抜けしてしまったのだろう。
「わかんないの!?何度も見たことあるんじゃないの!?」
リリアがやや呆れ気味に聞いた。しかしレクトは悪びれた様子もなく、面倒くさそうに答える。
「古代語だって知ってるだけで、俺は読めねえ。カリダの奴が読めたんで、旅の途中は全部あいつが翻訳してたしな」
「あぁ、そう…」
「ま、まぁ先生の専門じゃなさそうですもんね」
「なぁーんだ」
読めたのはレクトではなくカリダであったという話を聞いて、とりあえず全員が納得した様子だ。
そんなやりとりをしている間に、サクラの方は一仕事終えたようである。その証拠に、彼女の目の前に広がるマグマが静かに揺れ始めた。