火神復活の儀 ②
地鳴りと共に、祭壇の前のマグマが波打つ。そして波の中心部分から、徐々に何かが姿を現した。
「こ、これが火神カグツチ…」
若干の恐れを含んだような口調で、シラヌイが呟いた。というのも、彼らの目の前に現れたのは10メートル近くはあろうかという、炎に包まれた巨人であったのだ。
巨人は宙に浮きながら祭壇の前へと移動し、ソウゲンたちの前にゆっくりと降り立った。
『5000年振りの景色だ』
懐かしむように、巨人が呟く。5000年という月日が人間にとってはどれ程のものであるのかなど、その場にいた誰にも想像がつかないが。
「おお、我らが神カグツチよ。ついに復活なされたか…!」
大きな喜びを表すかのようにソウゲンは手を掲げ、カグツチを見上げた。それを聞いたカグツチはまるで今しがた彼らの存在に気づいたかのようにソウゲンのことを見下ろす。
『何だ、貴様らは』
「我々は貴方様を信仰する者、此度の貴方様の復活にも尽力してまいりました」
カグツチの質問に、ソウゲンは深々と頭を下げながら答えた。ソウゲンが頭を下げるのを見て、カゲロウは慌てて自分も頭を下げる。ただ、シラヌイだけは何かしらの不信感を抱いているのか少し離れた位置で2人を見守っているだけだ。
『そうか、ご苦労であった。ここにいる全員がそうなのか?』
「いえ、そうではありません。邪魔者も数名…」
カグツチの質問に答えつつ、ソウゲンは後ろを振り返る。そして、アイリスの肩を借りているサクラを指差した。
「あの娘こそが、今代の姫巫女になります。そして近くにいる銀髪の男は貴方様の復活を妨害してきた男、すなわち我らの敵です」
「別に妨害はしてねえよ。むしろ仕掛けてきたのはお前らの方だろうが」
ソウゲンの言っていることに不満があるのか、レクトはぼやくように言った。実際にはレクトの言うように最初に仕掛けてきたのは教団側で間違いないのだが。
「先生、この状況だと何を言っても無駄だと思うんですが…」
「んな事はわかってる」
アイリスが心配そうに言うが、レクト自身も別にカグツチに対して弁明する気など毛頭なかった。神と呼ばれる存在を目の前にしても平然としているあたり、この男の神経の太さは計り知れない。
「貴方様の御力であれば姫巫女など取るに足らない存在であるかとは思われますが、念の為この場で消しておくのがよろしいかと」
ソウゲンがカグツチに進言する。カグツチの方も異論はないのか、腕組みをしながらサクラを見た。
『そうだな。それに、野放しにして不死鳥エンスウを目覚めさせるようなことでもあれば面倒だ』
そう言ってカグツチは右腕を前に突き出し、手のひらに力を込めた。カグツチの上腕部からは青白い炎が巻き起こり、手のひらへと集まっていく。
「ちょ、ちょっと!思いっきりこっちを攻撃する気満々じゃない!」
「先生、どうします!?」
リリアとアイリスはテンパりながらレクトの方を見た。当のレクトは2人の方を一切見ずに、背中の大剣の柄に手をかける。
「決まってんだろ、先手必勝だ」
その言葉と共に、レクトが動いた。相変わらず目にも留まらぬ速さだ。あまりにも急すぎて、ソウゲンたちは一瞬だけ呆気にとられてしまった。
「貴様っ…!」
『狼狽えるな』
一瞬出遅れたことと、自分たちの神にレクトが刃向かったことに憤るソウゲンを静止するようにカグツチが言った。カグツチは一旦手のひらに集めた炎を消すと、攻撃をガードするかのように右腕を顔の前に持っていく。
「裁きの斬撃!!」
大きく跳躍したレクトは、カグツチに向かって大剣を一気に振り下ろした。
「!」
だが、剣を振り抜いたところでレクトは違和感を感じた。攻撃そのものは確実に当たったのだが、手応えがないのだ。堅くて斬れなかった、などではなく本当に何もしていないかのような感覚なのである。
そして当然のごとく、レクトの攻撃を受けた筈のカグツチは何事もなかったかのように無傷の状態であった。
「先生の攻撃が効いてない!?」
レクトの攻撃が効かないという、今までの出来事からは考えられない事態にリリアは驚愕の表情を浮かべている。無論、横にいるアイリスも信じられないといった様子だ。
『人間風情が我に触れる事など叶わぬ』
「ああクソッ!お前、そっち系かよ!?面倒くせえ!」
カグツチは喜びも蔑みもせず、さも当然とでもいったような態度である。一方で攻撃を仕掛けた側であるレクトは、どうやら自分の攻撃がカグツチに通用しなかった理由について心当たりがあるようだ。
しかし、レクトは戦うこと自体を諦めたわけではなかった。
「なら、こっちだよな!」
躊躇なく大剣を投げ捨てると、レクトは背中に携えていたもう1本の武器を手にした。御神刀・天翔光翼である。
『む、その刀は…!?』
鞘から引き抜かれた刀身を見て、カグツチが一瞬だけ怯んだ。その一瞬の隙を見逃さず、すかさずレクトはカグツチに斬りかかった。
「こいつでどうだ!」
目にも留まらぬ速さで、レクトは刀を振り抜く。普段は大剣しか使っていないが、それでも自分で「ある程度は使いこなせる」と言っていただけにレクトの太刀筋は中々に鮮やかなものであった。
『ぐっ…!』
「斬れた!」
レクトの一撃はカグツチが咄嗟に構えた左腕にヒットし、カグツチは小さな唸り声を上げた。攻撃の当たった箇所を見ると、小さな切り傷のようなものができている。攻撃が通じたことに思わずリリアは声を上げた…のだが。
「でも、あれじゃあ大したダメージにはならないんじゃ…」
「う、確かに…」
あまり効いていないことを懸念するアイリスの言葉によって、リリアの表情はすぐさま落胆のものに変わった。
『むぅん!』
「ちぃっ!」
薙ぎ払うように大きく振られたカグツチの右腕を何とか刀身でいなしながら、レクトはバックステップで一旦距離をとる。
カグツチはレクトのことなど眼中にないとでもいった様子で、何かを確かめるように先程攻撃に使った右腕を軽く左右に振った。そして最後に右の手のひらを軽く握ると、自身の足元にいたソウゲンに目を向ける。
『久方振りに動いたせいか、身体が鈍っているようだ。力もまだ完全には戻っていない。十分に動ける状態になるまで、少しばかり時間が要るだろう』
「如何程でしょうか?」
ソウゲンの質問に、カグツチは少しばかり考え込む。隙だらけのように見えるが、先程の攻防のことも踏まえて最早レクトが攻撃してくることなど意にも介してはいないのだろう。
『半日もあれば十分だ。力が完全に戻った暁には、まず手始めにこの国の中心部を攻め落としてやろう』
「承知しました」
ソウゲンは胸の前に手を置き、カグツチに向かって一礼した。
『だがその前に、我に楯突いたあの目障りな虫けらどもを始末するとしよう』
カグツチはそう言うと、右手を高く挙げて拳を握る。すると背後のマグマが大きなうねりを上げ、やがて大地が揺れ始めた。
「じ、地震です!」
「ちょ、ちょっと何!?何が起こってるの!?」
急に起こった地震に、アイリスとリリアは再びパニックに陥る。レクトは焦ることなく冷静なままだが、表情そのものはあまり穏やかではなかった。
「ヤバいな。噴火するな、こりゃ」
「嘘でしょ!?」
レクトの見解を聞いて、リリアの声がより一層大きなものになる。このまま火山が噴火すれば、自分たちはどうなってしまうのかなどは容易に想像できる。
「仕方ねえ、脱出するぞ」
レクトは落ち着いた様子でそう言うと、御神刀を背中ではなく腰のベルト部分に挟むようにして携えた。そして何を思ったのか、いきなりアイリスとリリアの腰に手を回して自身の方へと引き寄せる。
「ちょ、ちょっと先生!?」
「な、何なのよ!?」
「いいから掴まってろ」
2人には有無を言わさず、自分に捕まるように促す。側から見ると、ちょうどアイリスを前から抱きかかえ、リリアを背負う形になっている。2人はわけがわからないといった様子だが、この場はレクトに従うほかなく慌てながらもしっかり掴まっている。
「全速力で脱出する。あんまり騒ぐんじゃねえぞ」
レクトは2人がちゃんと自分に掴まっているのを確認すると、足元に落ちていた自身の大剣を拾う。そして空いている左手を地面にうずくまっているサクラの脇腹に回し、彼女の身体をひょいと抱え上げた。
「悪いが俺は見ての通り両手が塞がってる状態だからな。振り落とされないように頑張ってくれ」
「ほ、本気で言ってるんですか?」
真顔で言うレクトに、アイリスが問いかけた。しかもレクトに正面から抱きついている関係上顔が至近距離にあるので、物凄く恥ずかしそうだ。
「この状況で冗談なんか言えるかよ」
「た、確かに」
レクトが真顔のまま返したので、アイリスもそれ以上は何も言えなかった。というより、こうなってしまった以上は最早レクトにどうにかしてもらうしか彼女たちにとって生き残る術はないのだ。
「サクラ、痛むだろうが我慢しろよ」
「は、はい…」
レクトに抱えられたサクラは、力なく返事をした。
兎にも角にも、一刻も早く脱出しなければならない。レクトはカグツチやソウゲンたちには目もくれず、つい先程自分やアイリスたちが通ってきた入口に向かって駆け出した。
「待て!貴様ら!」
レクトが逃げたのを見て、ソウゲンが叫ぶ。だが、彼の背後に立っているカグツチは特に気にした様子もない。
『構わん。どんなに走ろうが所詮は人間、火砕流に飲まれて終わりだ』
実際、火砕流の速さは馬の走る速さをも上回る。いくら人間が走って逃げたところで、瞬く間に追いつかれて飲み込まれるのがオチだ。
『むん!』
カグツチは掛け声とともに、突き出していた拳を開いた。
人間3人を抱えながらでも、レクトの走る速度は常人のものを遥かに超えていた。アイリスとリリアは、とにかく振り落とされないように必死にしがみついている。
今はとにかく、出口を探して洞窟の中をひたすら走るしかなかった。
「揺れがさっきより大きくなりました…!」
アイリスの言う通り、つい先程までと比較すると明らかに揺れが大きくなっている。何故そうなったかなどは、誰が考えてもわかることではあったが。
「急ぐぞ。あの祭壇があった所が火山の中心部だと考えれば、ちょうど反対方向になるこっちにひたすら向かえばいつかは出られる筈だ」
レクトは走りながら答えた。とにかく今は考える時間すら惜しい。もたもたしていると、あっという間に噴火に巻き込まれてしまうのは明らかだ。
しかも、噴火の影響はマグマや火砕流だけではなかった。
「先生!天井が!」
リリアが叫んだ。というのも、大きな揺れが原因なのか十数メートル先の天井に亀裂が走り、バラバラと崩れ始めているのだ。このままでは生き埋めになってしまうのはまず間違いない。
「にゃろ!」
レクトは臆せずに大きく剣を振る。その剣圧と衝撃波によって、崩れかけた天井が粉々に砕けた。
当然だが崩れる天井ごと粉砕したので、天井が岩雪崩のように落ちてくること自体は防げない。衝撃を与えて粉々になったその一瞬の隙に全速力で駆け抜けるだけだ。常人には到底不可能な芸当であろうが、それを可能にするのがレクトという男である。
そして崩れる天井を抜けた先で、リリアがあることに気がついた。
「光が見えるわ!」
その言葉の通り、洞窟の先に微かに光が見えた。だがようやく出口を見つけたと思った矢先、今度はレクトたちの背後を見る形になっているアイリスが叫ぶ。
「先生!後ろから火砕流が!」
背後からは、高温の蒸気を含んだ火砕流が猛スピードで押し寄せてきていた。
「はいよ!」
レクトは走りながら、今度は背後に向かって剣を振る。その一撃によって、つい先程と同じように洞窟の天井が大きな音を立てながら粉々に砕けた。
砕けた岩石はダムのように通路を塞ぎ、それによって背後の火砕流は見えなくなる。
「塞がった!これなら…」
「もって数秒だ!今のうちに外に出るぞ!」
アイリスの言葉を遮るように答えつつ、レクトは光の差す方へと向かう。だがレクトの言った通り、火砕流を塞いでいたダムは僅か3秒ほどで決壊した。
「一気に飛び出す!振り落とされんなよ!」
背後に迫る火砕流の脅威を感じながら、レクトは光の差す穴へ飛び込んだ。すると瞬く間に視界が開け、ゴツゴツした山肌とその先に広がる森が見えた。
それと同時に、背後に大きな爆発音が響く。最早何がどうなっているのかを考える暇すらないので、レクトは迷わずそのまま山の急斜面を駆け下りていった。当然のことながら斜面を下るので、洞窟の中を走っていた時とはスピードも桁違いだ。
「「うわあああぁぁぁ!!!」」
夜の山奥に、アイリスとリリアの絶叫がこだました。