突然の襲撃 ③
レクトが急に“気に入った”などと言い出したので、対峙しているグレンは少しだけ戸惑ったような様子を見せていた。
「気に入った、だと?どういう意味だ?」
レクトが自身の渾身の一撃を受け切ったこともあってか、グレンの口調には最初の時のような威勢の良さは感じられない。
「そのままの意味だよ。お前、かなり見所あるし、ただひたすらに強さを求めるだけのストイックな奴も俺は嫌いじゃない。正直、敵じゃなけりゃわかり合うこともできたかもしれねえ、ってな」
少しだけ残念そうな様子で、レクトは淡々と述べた。だがグレンにとってはその言葉が意外だったのか、首を傾げている。
「なんだ?まさかこの期に及んで、和解しようとかそういうこと考えてるんじゃねえだろうな?だったらこちらから願い下げだぜ」
レクトが投降を勧めているのだと思ったグレンは、先に断っておいた。ただグレンの場合は見栄張りや強がりなどではなく、戦いの中で死ねれば本望という自らの信念からくるものであるのだが。
しかし、レクトはグレンの予想をあっさり否定する。
「いや、それは無い。仮にお前が命乞いしたとしても、ショウグンを斬った落とし前はきっちり付けさせてもらうしな。ただ単純に惜しいなぁってだけの話だよ」
そう言って、レクトは再び大剣を構え直す。
「その台詞からすると、俺がテメェに負ける、という風に聞こえるんだが?」
不服そうな様子で、グレンが尋ねた。とは言いつつも、グレンの表情に余裕は見えない。
「そうだよ。お前は俺に負ける。次の攻防が最後だ」
一方でレクトの方は自信満々の様子だ。S組メンバーにとっても、こうやってレクトが啖呵を切るのは最早見慣れた光景である。レクトがそう口にしたということは、おそらく本当に次の攻防で決着をつけるつもりなのだろう。
「お前のその威勢の良さに免じて、俺も本気を出してやる」
その言葉を皮切りに、レクトの雰囲気が少し変わった。昼間にソウゲンとの戦いで見せた怒りを纏ったものとはまた違う。一言で表すなら、“真剣勝負”という言葉が相応しいだろう。
「いいじゃねえか…来い、英雄レクトぉ!!」
グレンの方も決着を付ける気は満々のようで、両手の太刀を構え直す。だがグレンが再び臨戦体勢に入った次の瞬間には、いつの間に距離を詰めたのか既に目の前にレクトがいた。
「何!?」
自身の反応速度を上回るレクトのスピードに驚くグレンであったが、振り下ろされたレクトの剣は止まらない。そして。
バキン!
鈍い金属音が鳴り響いた。その音を聞いてまさかと思ったグレンは、自身の右手を見る。右手に握られていた大太刀は、刀身の中程からボッキリと折れていた。
そして一瞬遅れて、グレンの背後で地面に何かが落ちたような乾いた音が響く。目で見てはいないものの、折られた太刀の刀身が地面に落ちた音であるというのはすぐに理解できた。
「バカな!?」
「やろうと思えば、いつでも折ってやれたんだが?」
驚くグレンとは対照的に、レクトは超が付くほど余裕の態度だ。“いつでも折ることができた”というのも決してハッタリなどではなく、レクトの性格からしておそらくは本当のことなのだろう。
「ちいっ!」
グレンは小さく舌打ちをして、折れた太刀を投げ捨てる。だがグレンが左手の太刀を利き手である右手に持ち替えた次の瞬間、レクトの大剣の横振りが襲いかかってきた。
「2本目」
「くそっ!」
甲高い金属音と共に、弾かれたもう一本の太刀が宙を舞う。先程とは違い刀身が折れこそはしなかったものの、太刀は回転しながら落下していき、10メートルほど後ろの地面に突き刺さった。
「ぜ、全力の俺の動きすらも上回っているだと…!?何なんだこの男!?」
様々な感情が入り混じった様子で、グレンは呆然と立ち尽くしていた。
弾き飛ばされた太刀を拾いに行けば、すなわちレクトに自身の背中を見せることになる。何より先程のレクトのスピードは、獣人化した自身をも上回っていたのは確実だ。刀を拾う前に斬られるのは目に見えている。
万事休す、とは正にこのことだろう。
「お前は確かに強いよ。だが、俺の方が遥かに強い。それだけだ」
グレンの考えを見透かしたかのように、レクトは静かに言い放つ。それを聞いたグレンは己の敗北を認めたかのように両手を下ろし、小さく舌打ちをした。
グレンが完全に負けを認めたのを察して、レクトは最後の一撃を放つ。
「皇帝の凶刃!!」
辺り一帯に響く轟音、そして巨大な衝撃波が巻き起こると共にグレンの身体が5メートルほど吹き飛んだ。そのまま地面に叩きつけられた後も、グレンは動く気配を見せない。
「あぁ…クソッ、全力出しても勝てなかったじゃねえかよ…」
独り言のように、グレンは小さく漏らした。誰かに語りかけているわけでもなく、まるで愚痴をこぼしているかのようだ。
しかし、不思議と未練や恨み言のようには聞こえなかった。その理由は、グレンの次の一言で明らかとなる。
「だが…楽しかったぜ。満足だ…」
それだけ言い残して、グレンは喋らなくなった。
グレンが戦闘不能になったのを確認すると、レクトは正面に向けていた大剣の切っ先を静かに下ろす。
「先生!」
「センセイ!」
「せんせー!」
戦闘が終わるや否や、フィーネ、ベロニカ、ニナの3人が駆け寄ってきた。
「先生、大丈夫ですか!?」
見た限りでは外傷は見受けられないが、それでもやはり心配ではあるのかフィーネが尋ねた。その言葉を受けて、レクトは倒れているグレンに目をやる。
「強い奴だったな。俺の方がその10倍は強かったみたいだが」
レクトは変わらぬ様子で軽口を叩いた。だが、口調そのものはひどく落ち着いていた。やはり目の前で将軍の暗殺を許してしまったことに対しては少なからず負い目を感じているのだろう。
フィーネはレクトの視線の先、少し離れた位置で倒れているグレンに目を向ける。
「あの人…死んじゃったんですか?」
少し小さな声で、フィーネが言った。もっともグレンは敵である上、彼の所業を考えると別に同情などしているわけではないのだろうが、単純に自身の目の前で人が死ぬ、という事に抵抗があるのだろう。
「わかんね。並の人間なら俺の皇帝の凶刃を正面から受けた時点でまず間違いなく命は無いだろうが、リカントってのは人間よりも身体が頑丈な種族だからな」
レクトは左手を顎に当てながら言った。実際、グレンは胴体部分に大きな傷を負いながらも同じくレクトの皇帝の凶刃を喰らったソウゲンとは違い、手足は欠けることなく五体満足の状態である。
「ま、とりあえずこいつのことはサムライどもに任せるさ」
そう言って、レクトは大通りの先の方を見た。そこではこの場をレクトに任せて周辺の警護に向かっていった侍たちが、ちょうどこちらへ戻ってくるところであった。倒れているグレンは最早抵抗することなど不可能であるに違いないので、あとは侍たちに引き渡せばいいだけだ。
アイリスとリリアはサクラとハクレンのそばに、エレナとルーチェはレクトたちから少し離れた、ちょうど両者の中間あたりに立っている。ここで、ふとルーチェが急に周囲を見回し始めた。
「どうしたの?ルーチェ」
その行動を不可解に思ったエレナが、当然のように質問を投げかける。しかしルーチェは難しい表情を浮かべたまま、1、2秒ほど置いて答えた。
「いや、今、何か…」
何かを感じたようだが、上手く説明できないのかルーチェは口をつぐんだ。だがその違和感の正体は、すぐに明らかとなる。
「グレンの阿呆め、あれだけの大口を叩いておきながら無様に負けおって」
S組メンバーの背後で唐突に、どこかで聞いたことがあるような声がした。全員が声の聞こえた方に目を向けると、そこには昼間にも見たとある人物が立っていた。
「まぁ、奴が大暴れしてくれたおかげでこちらも仕事がしやすかったというのもあるし、大目に見ておいてやろうかの。ヒーッヒッヒッヒ!」
下品な高笑いを上げながら、ローブのようなものを着た老婆がいつの間にかサクラのことを捕まえていた。魔法で気配を消していたのか、離れた位置にいたレクトですら想定外といった表情を見せていた。
「サクラさん!」
「あんたは確か、教団の司祭!」
心配そうなアイリスの叫びとともに、リリアは大声を上げながらカゲロウのことを指差した。
カゲロウは左腕でサクラの胴体を押さえ込むようにして、彼女を抱えている。サクラは何とか振りほどこうとジタバタしているが、まったく効果が無い。老婆1人の腕力などサクラ1人でも何とかできそうなものだが、魔法か何かの術がはたらいているのかビクともしないようだった。
「昼間あんだけ先生にボコられたくせに、性懲りも無くまた来たのね!?」
昼間、目の前にいる老婆が取り巻きの忍者たちと共にネコの姿に変えられたレクトに蹴散らされたのはリリアたちにとっても記憶に新しい。
「うるさい!余計なことを蒸し返すんじゃないよ!」
カゲロウは声を荒げながら言った。当然のことながらカゲロウ当人にとっては思い返すのも忌々しいようで、苦虫を噛み潰したような顔をしている。
「貴様!サクラ様から手を離せ!」
威嚇するようにハクレンは槍を構え、サクラを捕らえているカゲロウに向ける。しかしカゲロウはまるで相手にする気がないのか、ハクレンの方を見向きもせずに右手を宙にかざした。
「残念だが、目的は姫巫女だけなのでな。お前らの相手をしている暇などない。ここはとっとと退かせてもらおうかねぇ」
そう言って、カゲロウは手を軽く振る。その直後、カゲロウの足元には光り輝く魔法陣が現れた。周囲ではバチバチという音が鳴っており、何らかの術が発動したのはまず間違いない。
「空間転移魔法!」
「あいつ、きっと逃げる気だ!」
フィーネとベロニカが叫んだ。昼間に使ったものとは少し違うようだが、魔法に精通している人間であれば空間転移魔法であるとすぐにわかる術の兆候であった。
「ではな、グレン。お前の最期は実に無様な敗北であったとソウゲン様には伝えておこう。ヒーッヒッヒッヒ!」
遠くに倒れているグレンを見ながら、カゲロウは吐き捨てるように言った。その様子を見る限り、同じ教団のメンバーではあっても仲間意識などはまったく無いようである。
その間にも、カゲロウの足元に展開された魔方陣の光は強さを増している。
「サクラさん!」
「させるもんですか!」
カゲロウの好きにはさせまいと、偶然にもサクラの一番近くに立っていたアイリスとリリアが真っ先に動いた。2人は何とかサクラを救出しようと、カゲロウの方に向かって手を伸ばす。
だが、カゲロウの術は既に発動済みである。一度発動した魔法を完全に止めるには、あらかじめカウンターとなる魔法を用意しておかなければならない。それについては2人とも学校の勉強で知ってはいたが、それでも何とかしようと反射的に動いたのだろう。
「くそっ、間に合うか!?」
次いで、2人よりも遥か後方から高速で移動してきたレクトが手を伸ばした。実はレクトが動いたのはアイリスとリリアの2人よりも先であったが、2人よりも遠くにいた分どうしても僅かに行動に遅れが出てしまったのだ。
「ええい。悪足掻きを!」
鬱陶しそうな様子でカゲロウが言った。
3人の手がカゲロウとサクラに届くか届かないかというところで、周囲が光に包まれる。だがそれはほんの1、2秒のことであり、光がなくなった頃には周囲は元の静けさを取り戻していた。
「サ、サクラ様!」
「先生!?アイリス!?リリア!?」
「い、いなくなっちゃった!」
空間転移の魔法を発動したカゲロウと捕まっていたサクラだけでなく、咄嗟に手を伸ばしたレクト、アイリス、リリアの3人の姿も消えていた。3人とも、カゲロウの空間転移魔法に巻き込まれたのは明白であった。