副担任は不安なようです
S組での最初のホームルームを終えたレクトは、一旦校長室へと戻っていた。本来であれば今は授業の時間なのだが、この時間の授業は他の教師に担当してもらっている。
そのおかげでレクトはこうして時間を設けることができている、という訳である。
「どうだったかしら、S組の子たちは?」
クラウディアはにこやかに尋ねた。この場合どうだった、という言葉は様々な意味に捉えることができるが、とりあえずレクトは率直な感想を述べることにした。
「色々な意味で個性的な連中だな。少なくとも退屈はしなさそうだ」
レクトは若干皮肉交じりに答えたが、割と満更でもなさそうな顔をしている。流石は世界を救った英雄とでも言うべきか、不安そうな様子などは一切見せていない。
「新しい担任が世界を救った英雄だと知った時、あの子たちはどんな反応だった?」
クラウディアは更に質問を重ねた。曲がりなりにも有名人が担任になったのだ、やはり生徒たちの反応が気になるのだろう。
「ほとんどが驚いてたみたいだが、一部信用してない奴もいたな。名を騙ってるとか偽物とかヒソヒソ話が聞こえたよ」
レクトはありのままの様子を答えた。確かに、新しく赴任してきた担任の先生がいきなり世界を救った英雄の名前を名乗ったとしても、本当にそれが本人であるとすぐに信用できるかどうかは怪しい。
レクトだって見ず知らずの女性にいきなり声をかけられて、私は実はとある国のお姫様なんです、などと言われたって間違いなく信用はしないだろう。
そんなレクトの心情を察してか、クラウディアからはまず最初にやるべき最も重要な事がアドバイスされる。
「貴方にとって一番大事なのは、まず最初にあの子たちからの信用を得る事でしょうね」
クラウディアの言う通りだ。まずはクラスの皆に信用されなければまともに授業だって成り立たない。しかし、レクトの中では自分が今何をすれば良いかというイメージが既にある程度出来上がっていた。
「やり方は俺の好きにさせてもらってもいいか?少々強引な手を使おうかとは思ってるんだが」
レクトは自信あり気な顔で尋ねた。強引な手と聞くとかなり危険な匂いがするが、仮にも世界を救った英雄の1人なのだ。
「それに関しては貴方に一任するつもりだけど、あんまり暴力的な事とかはしないで頂戴ね」
流石に非人道的な事まではしないだろうという安心感はクラウディアの中にあったが、念の為か確認するように言う。
「組手とか模擬戦闘みたいな授業の範疇なら別にいいんだろ?」
「そうね、それだったらいいわ」
レクトの質問に、クラウディアは落ち着いた様子で答えた。彼自身もそれは理解しているのか、うんうんと頷いている。レクトが直接暴力行為を働くのは当然のようにタブーであるが、授業の中であれば限度さえ守ってくれればクラウディアとしては問題ない。
「それだけ聞ければ充分だ」
レクトは悪い笑みを浮かべながら言った。そんな彼の顔を見たクラウディアは、止めこそはしなかったものの一応の注意も込めて釘を刺す。
「ただし、不測の事態が起こった時は貴方が全力であの子たちを助けること。それは約束してちょうだい」
「それは問題ない。任せておけ」
レクトがあまりにも自信満々の様子だったので、クラウディアはひとまず安堵する。そんな彼女を見て、レクトからは思いがけない一言が発せられた。
「1週間」
「え?」
あまりにも唐突な一言であったので、クラウディアはレクトが何の事を言っているのか理解できなかった。
「1週間後にはクラス全員、俺の言う事きちんと聞くようになってるぜ」
随分と大胆な発言をするレクトに、クラウディアは思わず目を丸くした。だがそれが単なるハッタリではなく、明らかな確信を持って発言しているのだという事は彼女にも理解できた。
「言い切っちゃってもいいの?守れなくてもペナルティは特にないけど、あなた自身のプライドが傷付くんじゃないかしら」
「問題ない、俺にはもう“見えてる”」
相変わらず意味深な発言を繰り返すレクトであったが、クラウディアもこれ以上言及するのは止めにした。最もそれは呆れから来ているのではなく、彼の絶対的な自信と揺るがない態度を見て何かを感じ取ったからであった。
一通りの話も済んだので、クラウディアは席を立つと校長室の扉へと向かう。
「さて、まだ時間もあるし、職員室へ案内するわ。みんなにあなたの事を紹介しないとね」
クラウディアに促され、レクトは彼女と共に職員室へと向かった。
サンクトゥス女学園の職員室はかなり広かった。もっとも学校の規模事態がかなりのものなので、必然的に職員の数もそれだけ膨大になるのは当たり前と言うべきか。
今は授業中であるからか半数以上の席が空いており、室内に残っている職員は2、3割といったところだろう。クラウディアは室内全体が見渡せる位置までレクトを案内すると、手を叩いて室内にいる職員全員の注目を集めた。
「みんな、聞いてちょうだい。新しい教師を紹介するわ」
彼女の言葉に、それまで黙々と作業をしていたり、反対にゆっくりコーヒーを飲んでいた職員らが一斉に正面に目を向けた。クラウディアは一歩下がると、その代わりにレクトを前に進ませる。
「彼が新しくS組の担任としてやって来た、レクト・マギステネルよ。どんな人物かは説明しなくてもわかるわよね?」
クラウディアが紹介した名前を聞いた瞬間、職員たちの表情が一変した。S組の教室で自己紹介した時も似たような感じであったが、こちらは皆大人であるからか、はたまた校長直々の紹介であるからかは定かではないが、疑わしげな目で見るものは誰もいなかった。
「レクトだって?本当に四英雄レクトなのか!?」
「ウソ…本当に英雄レクト!?凄い!」
「あれが魔王を倒した四英雄か、意外に若いな…」
あちこちで称賛の声が上がるが、どの人物も皆口々に英雄、英雄と言う。正直レクトとしては英雄など単なる肩書きでしかなく、むしろここ1ヶ月はそう言われ続けてウンザリしている程だ。
とはいえ今ここでその事を言えば空気が悪くなるのは間違いないし、自分自身もあまり気分が良くない。そう思ったレクトは、ここは校長であるクラウディアに任せることにした。
「レクト、あなたの席はドア側の列の一番端っこよ。あの栗色の髪をした女の先生の隣ね」
そう言って、クラウディアは室内の隅にある真新しい机を指差した。その手前の机には、彼女の言う通り栗色の髪をした小柄な女性が座っている。パッと見た感じではあるが、年齢はレクトと同じぐらいか少し下といったところだろう。
そのままクラウディアに連れられ、レクトは自分の席へと向かう。レクトは自分の席へと腰を下ろすと、早速クラウディアから隣の女性教師についての紹介があった。
「紹介するわレクト。彼女はジーナ・フェアライト」
クラウディアに紹介され、ジーナと呼ばれた女性教師は軽く頭を下げると少し緊張したような様子で自分から挨拶を始めた。
「えと、お会いできて光栄です、英雄レクト。あ、レクト様の方が宜しいでしょうか?」
ジーナからの質問は、英雄と呼んだ方が良いかという既にクラウディアとも交わした会話であった。もっともそれに関しては、レクトの答えなど最初から決まっている。
「レクトで構わない。それに英雄って呼ばれるのはあんまり好きじゃない」
レクトは決まりきったように言うが、それを聞いたジーナは少し残念そうな顔になった。
「そうですか…。でも私の方が年下だと思うので、じゃあ、レクトさんで」
ジーナは少し固い笑顔でレクトに言った。最低限の紹介も済んだので、クラウディアはそのまま話を進める。
「彼女はS組で何度か授業をした経験があってね、これからは副担任を担ってもらうわ。つまり、あなたのサポート役ね。年齢はあなたの方が少し上だけど、教師としては彼女の方が先輩だから、わからないことがあったら彼女に聞いてちょうだい」
サポート役が付いてくれるのは、レクトとしても非常にありがたかった。いくら戦闘能力に自信があっても、それは教師としてのスキルとは完全に別物だ。
残りの職員については追い追い紹介すると言い残し、クラウディアは校長室へと戻っていった。それを見届けたレクトとジーナは、早速S組の現状と今後の方針について話し合う。
「あの小娘どもは、君の言う事は聞くのか?」
「こ、小娘って…」
随分といきなりなレクトの質問に、ジーナは戸惑いを隠せなかった。しかし誤魔化したりはぐらかす訳にもいかないので、やや複雑な表情を浮かべながら現状についての説明を始める。
「うーん、難しいですね。アイリスちゃんとかフィーネちゃんみたいな素直な子はともかく、一部の子は私の事をナメてるみたいで…」
「なるほど、校長の言ってた通りか」
クラウディアの言っていた通り、S組の一部の生徒たちが教師をナメているというのは本当のようだ。まだ少し不安そうなジーナは、レクトに授業の事について尋ねる。
「あと数十分もすればレクトさんにとっての最初の授業ですけど、何か良い考えってありますか?」
「特に無いよ。どうせ俺の“指導”受ければ、多分全員逆らう事もなくなると思うから」
レクトは真顔で言ったが、それを聞いたジーナの顔が急に不安そうな様子になった。指導という言葉自体は普通の筈なのに、なぜかこの男が言うと危険な匂いしかしない。ジーナは一応の確認も込めて、その“指導”の内容について改めて尋ねる。
「あの、レクトさん。指導って具体的にどんな事をするんですか?」
「ん?色々。早速次の時間からやってみるけど」
レクトは相変わらず真顔のままだが、その“色々”というのがまた危険極りない感じがする。どうにも不安の色が隠せないジーナに対し、レクトは淡々と話を進めていく。
「とりあえずは俺に任せてくれよ。悪いようにはしないからさ」
「で、でも…」
ジーナはか細い声を出した。納得できない、というよりも心配そうな様子だ。だがそんな彼女を見て、レクトは屈託のない笑顔になった。
「大丈夫だって。ちゃんと校長に言われた範囲内でやるから」
結局レクトに強引に押し通され、ジーナは渋々ながらもレクトに任せることにした。