将軍の演説
時刻は既に午後の6時過ぎであり、西の空では太陽があと少しで完全に沈むといったところである。目的である御神刀を手にしたレクトたち一行は、観光客で賑わう中心街へと戻ってきていた。
「んー、最高―!」
そう言ってニナは、手に持った巨大な緑色の塊をばくばくと頬張る。そんなニナの様子、もとい爆食を、隣で歩いていたリリアは若干引き気味に見ていた。
「胸焼けしそうな量ね」
緑色の生地にたっぷりとクリームと小豆が乗ったその菓子に対し、リリアが素直な感想を漏らす。その大きさはどう見ても一人前という量ではなかったが、それはあくまでも常識的な目線で見た場合の話だ。無論、ニナは元から1人で食べきるつもりである。
「これぐらい全然だよ!それにこの後は夕ご飯もあるしね!」
「あー、わかったから」
反論する気もないのか、リリアは適当な返事を返した。
ちなみにニナが満足そうな顔でばくばくと頬張っているのは、近くにあった屋台で売られていた“クリームあんみつのせジャンボ抹茶カステラ”という何ともカオスな…もとい珍妙な名前の菓子である。
「というか、あれだけの辱めを受けてケーキ1個で機嫌が直るなんて、あんたの食への執着って一体どうなってんのよ」
今度は別の観点から、ルーチェが指摘する。先の一件で、レクトに辱めを受けたニナはつい先程までかなり不機嫌そうな様子であった。そんなニナの機嫌直しにと、レクトが屋台で購入して与えたのがこのカステラだ。そしてニナの機嫌についてはご覧の通り、というわけである。
「んー。だってよく考えたらただ見られたってだけで、別に何かを失くしたわけじゃないしさぁ」
「誰がどう考えても、大事な何かを失ってると思うけど」
能天気なニナに対しルーチェは若干の皮肉を飛ばすが、あいにくとニナには伝わらなかったようだった。
「大事な何かって?」
「…いや、あんたがいいならそれでいいわ」
これ以上の問答は無意味だと悟ったのか、ルーチェは口をつぐんだ。ニナの方も特に気にしたような様子もなく、「変なのー」と一言だけ呟くと再びカステラを頬張り始める。
そんなやりとりをしている3人の少し前では、案内人も兼ねたハクレンがこの人だかりについての説明をレクトたちに行っているところであった。
「今日は前夜祭ということで、日没後に将軍であるマサムネ様が中心街で演説を行う予定になっているんです」
「ショウグンの演説か…あんまり聞きたくねえなぁ」
ハクレンの説明を聞いてレクトは露骨に嫌そうな、というか面倒くさそうな表情を浮かべる。レクトにとっては別に将軍に話が嫌というのではなく、単純に長話を聞きたくないというだけのことだ。
それを理解しているからか、フィーネが横からレクトの態度に対して言及する。
「せ・ん・せ・い?」
「はいはい」
「はいは一回!」
「…」
教師と生徒、完全に注意する側とされる側の立場が逆だ。その光景をハクレンはなんとも言えない表情で見守っていたが、サクラの方は慣れてきたのかあまり気にしていないようだった。むしろ、サクラに至っては少し面白おかしそうに見ているぐらいだ。
「まぁ、演説といっても要は主催者の挨拶のようなものですから」
嫌そうな顔をしているレクトをなだめつつ、ハクレンが説明を続けた。
そんなこんなで街の中心までやってくると、いよいよ人混みはとてつもないものになってくる。ちょうど広場のように開けている場所には台が設置されており、おそらくは将軍がそこに立って挨拶を行うのだろう。
「ショウグンの挨拶って言ってたけど、サクラはそのショウグンと一緒にいなくていいのか?」
レクトが素朴な疑問を投げかけた。国家元首の挨拶ともなれば、姫巫女であるサクラも一緒にいなければならないというのは想像に難くない。しかし、サクラは小さく首を横に振った。
「私の出番はもう少し後です。1時間ほど後に守護神に感謝の祈りを捧げる儀式があるので、その少し前にマサムネ様たちと合流する予定です」
「ふーん、わかった」
サクラの話を聞いて、レクトは納得したように返事をした。
とはいえ、周囲はもの凄い人だかりだ。別に将軍の挨拶を最前列で見る必要などもないので、レクトたちは人だかりから少し離れた大通りの隅に立って待つことにした。
「けど、姫巫女のサクラに負けず劣らずショウグンの人気も凄いなぁ」
「確かに。国家元首としての支持率も相当なものなんじゃないかしら」
集まってきた人の数を見て、ベロニカとエレナが率直な意見を述べる。集まっている人たちも地元の人間は当然として、観光客であろう様々な人種の人々で溢れていた。
「ヤマトは開国して以降、少しずつ他国との貿易や移住の受け入れを進めてきました。最初は中々思うようには進まなかったのですが、マサムネ様は自ら先陣をきって外国との交渉や条約の締結に乗り出したのです」
ハクレンが説明をする。自分の国の国家元首であるからか、心なしか誇らしげだ。
「当初はそのあまりにも積極的すぎる政策に国民の反対意見などもありましたが、結果としてヤマトはここ10年ほどで飛躍的な発展を遂げました。そのような経緯もあり、マサムネ様を支持する者は国内外を問わず随分と多くなりました」
「ほう」
ハクレンの話を聞いて、レクトは少し感心したような声を漏らした。世界中を旅したレクトだからわかることであるが、それまで周囲との関わりを持たなかった国や街が外交を始めるのは非常に難しいことなのだ。
「外食する時以外は玉座の間に引きこもりっぱなしの、どっかの国のだらしねえ中年太り国王とはえらい違いだな」
「それ、わたしたちの国のことですか?」
「国王陛下のことをここまで堂々と罵倒できる人間も凄いですね」
強烈な皮肉を飛ばすレクトに対し、アイリスとルーチェが少し呆れた様子で彼に言った。
実際のところ、レクトの言っている事そのものはあながち間違ってはいない。フォルティス国王の普段の仕事は玉座の間での謁見のみで、政治については基本的には大臣と評議会に任せっぱなし、自身は偶に議会に顔を出す程度だ。
もっとも当然のことながら、フォルティス王都で国王のことを罵倒すれば騎士団に捕らえられても何らおかしくはない。人前で国王のことを堂々と罵倒できるのは、彼が“レクト”だから、である。
そうこうしているうちに、太陽は完全に沈みきって辺りが暗くなってきた。そんな中、リリアが大通りの向こうからやってきた馬車にいち早く気づいた。
「あっ、あれがショウグンの乗ってる馬車じゃない?」
リリアの指差した先には、豪勢な馬車とそれを取り囲む護衛の侍がゆっくりと広場へ向かって歩いてくるのが見えた。周囲の人々が拍手をしたり歓声を上げているので、将軍の乗っている馬車であるのは間違いないだろう。
馬車が広場にある台の前で止まると、扉が開かれて中にいた人物がその姿を現した。大方の予想通り、昨日城で会った将軍その人である。
「マサムネ様―!」
「将軍殿―!」
将軍マサムネが姿を現すと同時に、周囲から大きな歓声が上がる。しかしマサムネは手を振ったりはせず、厳格な様子のまま台の横に備え付けられていた階段を登っていった。
マサムネは台の上に立ち、手に持っていた棒状の機械を口元へと持ってきた。そしてそのまま、ゆっくりと口を開く。
『まずは皆に感謝をしたい。皆の協力のおかげで、今年も無事に祭りを開催することができた』
将軍マサムネの声が、周囲一帯に響き渡る。どうやら手に持った機械は持ち主の声を広範囲に拡散させるもののようだ。
「ねえせんせー、“あれ”ってどうなってんの?」
既に半分以上平らげたカステラを手に持ちながら、頬にクリームの付いたままのニナがレクトに質問を投げかける。“あれ”というのは、十中八苦マサムネが手に持っている機械のことだろう。
「おそらく小型の拡声魔道機だな。中に埋め込まれた魔法石で使用者の声を増幅して、周囲に拡散させる機能を持った道具だ」
「へぇー」
レクトの解説に返事をしつつ、ニナは再びカステラを頬張る。聞いておいて何だが、少し気になっただけで対して興味はないらしい。
そんなレクトの説明を、エレナが更に補足した。
「ちなみに、学校の校内放送で使ってるのもアレと同じものよ」
「えっ、そうなんだ」
拡声魔道機が以外と身近なところにも存在していたという事実に、ニナは少し驚いたような表情を浮かべた。
そんな会話をしている間にも、将軍の演説は続く。といっても、内容は今年は農業で豊作であっただとか、観光客がより一層増えただとか国家元首の挨拶にありがちな話だ。
ハクレンとサクラは当然として、S組メンバーもフィーネ、アイリス、エレナの3名は真面目に話を聞いている。一方でリリアとベロニカは話を聞きつつも、若干ながら退屈そうな様子を見せていた。ルーチェに至っては話を聞く気すらないのか早々に読書を始め、ニナは相変わらずカステラをパクついている。
話を聞く生徒の態度に問題がある場合、本来であれば教師がそれを正さなければならないのは至極当然のことである。しかし残念なことに、この場で態度に一番問題があるのは教師の方であった。
「あー、面倒くせえなぁ。早く終わんねえかなぁ」
銀髪の剣士は、欠伸をしながら空に昇ったばかりの満月を眺めていた。