S組の生徒たち
レクトが正式にサンクトゥス女学園の教師を務める事が決まった翌日のこと。
事情により昨日までは担任不在であったS組の教室では、朝のホームルームを直前に控えた女生徒たちが噂話に花を咲かせている。
「聞いた?今日から新しい先生が来るって」
「この間の女の先生はダメダメだったねー。絶対フィーネの方が強いよ」
「えー、そう?」
「その前の先生は力持ちだったけど魔法がねー。いわるゆ筋肉バカ?」
「あはははは!」
だがそんな彼女たちの会話を遮るかのように、突如教室の扉が大きな音を立てて開けられた。奥からは真っ黒な丈の長いコートを着たレクトが現れる。新たに新調したのか背中には昨日まで持っていた、魔王と戦った時の物とは別の大剣を背負っていた。
見知らぬ男の登場に生徒たちは少し戸惑いの様子を見せるが、その内の数名は彼が新しい担任の教師であると何となく察していた。そんな中、教室の後ろの方に立っていた赤髪の少女…ベロニカがレクトの姿を見て思い出したように声を上げる。
「あーっ!お前、昨日の剣士!!」
ベロニカはレクトを指差しながら言った。一方でレクトの方も彼女がS組に在籍していることを知っていながら、わざとらしく今気付いたかのようなフリをする。
「何だよ、俺に惨敗して大泣きしてた小娘じゃねえか」
レクトは軽くほくそ笑みながら言った。そんな挑発じみたレクトの言葉を聞き、教室中が騒がしくなる。
「え、惨敗…?」
「ていうか、大泣きって…」
「ベロニカ、かっこ悪」
教室のあちこちからヒソヒソ話が聞こえる。自分の敗北が瞬く間に噂話へと早変わりした事でベロニカは耳まで真っ赤になり、もう一度レクトを指差した。
「う、うるさい!次こそは絶対勝つからな!」
そう言いながら、ベロニカは恥ずかしそうな表情のまま自分の席へと戻っていく。ただ他のメンバーはまだ散り散りの状態なので、レクトはまず全員に着席を促す事にした。
「とりあえずホームルーム始めんぞ。全員席に着け」
レクトの一言に、ほとんどの生徒が自分の席へと戻る。ところが唯一、金色の髪をした少女が1人だけ席には着かず、レクトの事を睨みつけるように立っていた。
「そこの金髪のお前、さっさと席に着け」
当然のように、レクトは少女に席に着くように促す。だが彼女は席に着くどころか、反抗的な目になり腕を組見ながらレクトに言い返してきた。
「教師風情があたしに命令するんじゃないわよ!」
校長のクラウディアが危惧していた事が、早速現実となった。しかしレクトは怯むどころか、低い声で脅しをかけるように彼女に言う。
「あぁ?もういっぺん言ってみやがれ、小娘!!」
「ひっ!?」
レクトが声を発した瞬間、少女は思わず小さな悲鳴を上げた。レクト自身の口の悪さについても教師としては如何なものかという部分もあったが、それ以上に彼女は何か言い知れぬ恐怖感と殺気のような物を感じ、背筋が凍り付くような感覚を覚えたのだ。
「もう一度言うぞ、席に着け」
蛇に睨まれた蛙の如く固まってしまった少女に対し、レクトは言葉を続ける。その言葉を聞き、先程は反抗的な態度を示した筈の少女は素直に自分の席に着いた。
全員が席に着いたのを確認すると、レクトは改めて自己紹介を始める。
「今日からお前らの担任になる、レクト・マギステネルだ」
その名前を聞いた瞬間、それまでやや弛んでいたような教室の空気が一変した。皆レクトの事を改めてまじまじと見つめ、教室のあちこちからザワザワと話し声が聞こえてくる。
「四英雄レクト?」
「え、ウソ、本物?」
「いや、そんな人この学校に来ないでしょ」
「名を騙った偽物じゃなくて?」
やはりと言うべきか生徒たちは皆、四英雄レクトの名前は知っていたようだ。ただ1人を除いては。
「な、何だよ、あいつそんなに有名人なのか?」
周りが急にザワザワし出した事に疑問を持ったベロニカが、左横でレクトの事を興味無さげにぼんやり眺めていた少女に尋ねた。それを聞いた少女は、呆れたような表情でベロニカに聞き返す。
「ベロニカ、あんた知らないの?」
「知らない」
あまりにもハッキリ知らないとベロニカに返され、ただでさえ呆れた様子だった少女はため息をつく。そんな2人のやりとりを見て、右横に座っていた長髪の少女が代わりに答えた。
「レクト・マギステネル。勇者ルークスと共に魔王メトゥスを倒した四英雄の1人よ」
当たり前だが魔王を倒し、世界を救った四英雄の名前は新聞にも載ったほどの事であり、最早世間的に言えば一般常識と言っても過言ではない。だがその事実を知らなかったベロニカは、ある意味当然とも言える反応をする。
「ま、魔王を倒した!?」
正に寝耳に水とでも言うべきか、ベロニカが驚愕の表情を浮かべる。同時に、自分があの男に為す術もなく惨敗した理由にようやく合点がいったようだった。ベロニカは思わず立ち上がると、教卓の横に立っているレクトに不満をぶつける。
「ふざけんな!卑怯だぞ!魔王を倒した英雄相手にアタシが勝てる筈ないだろうが!」
憤慨するベロニカであったが、側から見れば完全に逆ギレでしかない。周りが皆呆れたような目で見守る中、レクトも的確な答えを返す。
「卑怯も何も、お前が勝手に挑んできたんだろうが」
「うっ、それは…!」
レクトにもっともな事を言われてしまい、ベロニカは返す言葉がなくなる。ベロニカが黙って座ったのを確認すると、レクトは大きな声で次の指示を出した。
「よし、次はお前らの番な。今から全員1人ずつ立って、名前と簡単な自己紹介しろ。内容は…そうだな、なんか得意な事でいいや。はい、じゃあ左端のお前から」
淡々と話を進めたレクトは、自分から見て一番左端の席に座っていた小柄な茶髪の少女を指差した。
「え、えと…あの…」
指名された側の少女は、あまりにも唐突過ぎる展開に少し戸惑っている。そんな煮えきらない態度の少女に、気の短いレクトは苛立ちを隠さずに口調を荒げる。
「いいから早く立てコラ!!」
「は、はいぃぃ!!」
大きな声で返事をしながら少女は起立した。レクトに怒鳴られたせいか、少し泣きそうな顔になっている。その様子を見ていた他の生徒たちは、大半が同じような感想を抱いていた。
(((英雄レクト…ガラ悪っ!!)))
「え、えと…アイリス・フォードです。医者を目指してます。薬草の調合が得意です。よ、よろしくお願い…します」
「よし、次」
レクトの言葉を聞いてホッとしたような様子でアイリスが座ると、今度は隣に座っていた銀髪を両サイドで結った女の子が立ち上がる。
「エレナ・ファムといいます。この学校に来る前は修道院で修行をしていました。得意なのは鞭の扱いと回復の魔法です。よろしくお願いします、先生」
エレナと名乗った少女はレクトに何も言う暇も与えず、説明を終えるとさっと座ってしまった。とはいえ自己紹介の内容自体にも問題はないし、挨拶もしっかり行っていたので、レクトとしても特に指摘しなければならない部分は何も無いのだが。
次に勢いよく立ち上がったのは、エレナの隣にいたオレンジ色の髪をしたショートカットの女の子だ。
「はいはーい!ニナ・アンダーソンです!よろしくね、せんせー!!」
とにかく声が大きい。あと人目を引くほどに胸が大きい。おまけにテンションもやたらと高い。非常にわかりやすい奴だとレクトが思っている中、ニナは自己紹介を続ける。
「えっとね、特技は大食いと、早食い!よろしくね、せんせー!!」
“よろしくね、先生”が既に2回目であることを指摘した方がいいのかどうかレクトは微妙に悩んだが、こちらの思っていることをを理解したかのように横からエレナが口を挟んだ。
「申し訳ありません、先生。この子、本来脳に行かなければならない筈の栄養が全て胸に奪われてしまっているようなので」
「エレナちゃん、ひどい!」
思わずニナは声を上げた。エレナの発言は内容としては典型的すぎる皮肉であったが、これ以上ないくらいにピッタリの表現だ。あまりにも的を射すぎていたので、レクトとしても同意せざるを得ない。
「あぁ、納得した」
「せんせーも納得しないで!!」
頬を膨らませたまま、ニナは座る。その次に立ち上がったのは、つい先程レクトに対して反抗的な態度をとっていた少女だ。
「リリア・エルトワーズよ。得意なのは剣術と魔法。これで満足かしら、エセ英雄さん?」
最初のやり取り…というよりレクトの脅しがあったからか多少は大人しい姿勢を見せてはいるものの、リリアは未だに反抗的な口調のままであった。いや、むしろレクトの事を見る目は先程よりも一層冷たくなったような気さえする。
「ちょ、ちょっとリリア…」
尊大な態度をとるリリアを、隣に座っていた自己紹介がまだの少女が制止しようとする。が、そんな言葉など一切聞き入れる事なくリリアはレクトに敵意を向けた。
「あんたみたいな人間が英雄だなんて、あたしは認めないわ!あんたに教えてもらうことなんて何一つないんだからね!」
言うだけ言って、リリアはそのまま座ってしまう。とはいえレクトにしてみればこんな反応は想定の範囲内であるし、何とも思わなかった。
次に腰を上げたのは、つい先程リリアをなだめようとしていた桃色の髪をした少女だった。
「フィーネ・グライスといいます。得意という程でもありませんが、レイピアを使った剣技に多少の心得があります。それと、一応このクラスの委員長を務めさせてもらっています。どうぞよろしくお願いします」
フィーネはやや控えめな態度で丁寧に挨拶を終えると、レクトに対して軽く一礼する。先程の説明からすると、どうやらこのクラスの代表者は彼女であるらしい。
「よし、次」
レクトが指示すると、フィーネはそのまま着席する。その隣に座っていたのはこの中で唯一、既に顔を合わせていたベロニカであった。
事前にクラウディア校長から聞いた話によると、普段から教師に対して反抗的な生徒ではあるらしい。が、今は相手が昨日大敗を喫したレクトであるからか、ベロニカは無言で立ち上がると素直に自己紹介を始めた。
「ベロニカ・ハーシェル、特技は剣術。いずれはフォルティス全土に名を轟かせることになる剣士だ、よく覚えとけよ英雄!」
自覚がないのか、やや小っ恥ずかしい自己紹介をしながらベロニカはレクトを指差し堂々と啖呵を切る。しかし前日に現段階での彼女の実力を直に見ていたレクトの反応は冷ややかであった。
「俺に30秒もかからず負けたくせに威張るな」
「うっさい!いつかぶっ倒してやるからな!覚悟しろ!」
揚げ足をとったようなレクトの小言にややムキになりながらも、ベロニカは着席する。残るはレクトから見て右端に座っている、長髪を三つ編みにした少女だけだ。
「はい、最後」
レクトが指示すると、少女は腰を上げた。
「ルーチェ・ターナーです。魔法全般が得意です」
若干棒読み気味にたった二言だけ発すると、ルーチェは即座に座ってしまう。ただその態度は反抗的というよりも、どちらかといえばレクトに対してまるで興味が無いといった様子だ。
兎にも角にも、これで全員の自己紹介が済んだ。この後はすぐ授業に移る訳なのだが、その件に関して早速レクトから説明が入る。
「それでこの後の授業だが、A組との合同授業で応急手当ての実践になる。これに関しては俺はノータッチなんで、各自休み時間中に移動しておくように。以上」
言い終えると、レクトはすぐにS組の教室から出て行った。別に教室にいるのが嫌という訳ではないが、ホームルームが済み次第すぐ校長室へと来るようクラウディアに言われていたからだ。
「とりあえず、泣き虫、堅物、変なの、高飛車、素直、生意気、無関心、ってところか。割と面白そうじゃねえか」
良くも悪くも個性的なS組の面々を思い返しながら、レクトは小さく呟く。その表情はこれから先の事に頭を悩ませているどころか、むしろ楽しみさえ感じているようなものであった。