総大将の思惑
とある火山の麓にある小さな社にて。焔神教団きっての武闘派であるグレンは、いつもの癖で自身の大太刀を手で弄んでいた。
「なあ、あのババアに任せて大丈夫なのか?妖術の腕前は結構なものらしいが、戦闘に関してはからっきしなんだろ?」
ジャグリングの要領で太刀を鮮やかに放り投げながら、グレンは質問を投げかける。その視線の先には、柱に背中を預けたシラヌイが両手を組んで佇んでいた。
「カゲロウの仕事はあくまでもレクト・マギステネルを無力化することだけだ。奴さえ戦闘不能になればあとはただの小娘の集団、拙者の部下だけで充分に対処が可能であろう」
シラヌイはあらかじめ用意されていたかのような返答をした。カゲロウは一応は同じ教団に属する立場であるものの、いかにも他人事といったような口振りである。
当然、グレンの方もそんな決まり文句のような答えを返されて納得する筈などない。
「だからよぉ、その英雄レクトを無力化する術自体が本当に上手くいくのかって聞いてんだよ。向こうさんだって素人じゃねえ、それなりに場数を踏んでる猛者の筈だぜ?そういうシチュエーションを全く想定していないとは思えないんだが」
依然として太刀で手遊びをしながら、グレンが再度尋ねた。その口調はカゲロウのことを心配しているというよりも、むしろ見下しているような態度さえ見てとれる。
一方、シラヌイはシラヌイで特に口調を変える様子もなく、冷静に言葉を返す。
「作戦を許可したのはあくまでもソウゲン殿だ。拙者はそれを聞いて、部下と例の鋼鉄兵を貸し与えただけにすぎん」
「はーん、なるほどねぇ」
シラヌイの返答を聞いて、グレンは少しだけ納得したような表情になる。そうして手元で弄んでいた大太刀を腰の鞘へと戻すと、社の奥で静かに鎮座している大男の方を見た。
「で?結局のところ、どうなんだよ?総大将さんよ」
それまでソウゲンは静かに瞑想をしていたようであったが、グレンの問いかけに対して静かに目を見開く。
「随分と自信があるようだったのでな。それに、遅かれ早かれ奴らが炎崇寺を訪れることは間違いなかったからな。それならば先に手を打っておいても損は無いだろう」
ソウゲンは至って落ち着き払った様子で答えた。しかしグレンはあまり納得したようには見えない。単純にカゲロウのことが信用できないのだろう。
「ま、上手くいけば、の話だけどな?」
「グレン。お前は毎回毎回、一言多いぞ」
「へいへい」
ソウゲンの注意に対し、グレンは反省していない子供のように空返事を返す。
そんな中、勢いよく社の扉が開かれて1人の忍者が飛び込んできた。だがよく見てみると、忍者は誰かを肩に担いでいるようだ。
「シラヌイ様!!」
「どうした。一体何事だ」
慌てた様子の部下を見て、シラヌイは冷静に尋ねた。忍者は上司への報告の前に、担いでいた人物をゆっくりと床に下ろす。
その人物とは、つい先程まで話題に上がっていた教団の最高司祭、カゲロウその人であった。意識はあるようだが、虚ろな目をしながらゼイゼイと肩で息をしている。
「おいおい。その様子じゃとても、作戦成功です!なんて報告をしに来たようには見えねえなぁ?」
醜態を晒すカゲロウを目の当たりにして、からかうような、蔑むような口調でグレンが言った。
それを聞いたカゲロウは、ひどい顔をしながらもグレンのことをキッと睨む。だが2人の間に火花が散る前に、総大将であるソウゲンが声をかけた。
「カゲロウよ、一体何があったというのだ」
「あ、実は…」
肩で息をしているカゲロウに代わって、彼女を担いでいた忍者が事情を説明しようとする。だがそれを良しとしなかったのか、カゲロウはもの凄い形相をしながら忍者の方を掴んだ。
「いい…それぐらい、自分で説明するわい…!」
脅しをかけるような口調であったが、カゲロウ自身にもここは自分で話さなければならないという多少なりの責任感があったのだろう。それを見て戸惑う忍者に対し、直属の上司であるシラヌイが声をかける。
「だそうだ。お前はもう下がっていいぞ」
「は、はっ!」
隊長であるシラヌイに命じられるがまま、忍者はそそくさと社を出て行った。
ようやくカゲロウが落ち着きを取り戻したところで、ソウゲンは改めて彼女に尋ねる。
「それではカゲロウ、改めて話を聞こうか」
「は、はい…」
息切れはおさまったものの、カゲロウの口調は強張っている。とはいえ結局のところは任務失敗の報告であるので、意気揚々と話すことも到底無理な話ではあるが。
「事前に申し上げた作戦の通り、寺の坊主どもを捕縛して敷地内に術式を展開、やってきたレクト・マギステネルをネコの姿に変える所までは上手くいきました…」
「ほう、それで?」
たどたどしく説明するカゲロウに対し、ソウゲンは淡々と相槌を打つ。
無論、ソウゲンとて馬鹿ではない。彼女の様子や態度からして、作戦が失敗したということは既に理解している。彼が知りたいのは、あくまでもその場で何があったか、ということだけだ。
「ところが奴はネコの姿に変えられて尚も圧倒的な力を発揮、連れていた忍者部隊も先程の1名を除いて全滅、奥の手であった鋼鉄兵も破壊されました…」
強張った表情のまま、カゲロウは説明を続ける。だがその報告の内容に引っかかる部分があったのか、それまで話を聞いているだけだったソウゲンがあることについて指摘した。
「ふむ。だがシラヌイの話では最後の手段として、鋼鉄兵に爆弾を仕掛けていたと聞いていたが?」
「奴は信じられない力で鋼鉄兵を空高くまで放り投げ、空中で爆発させました」
カゲロウのその報告に、それまで黙って話を聞いていたソウゲンの眉がピクリと動く。当然のことではあるがそんな常識外れの話を聞かされて、流石にシラヌイとグレンの2人も驚きを隠せないようだった。
「あの巨体を放り投げただと?信じられん…」
「想像以上にバケモノしてんなぁ、その英雄」
2人の反応は正反対であったが、想定外だったという点では共通しているようだ。
一通りの話を聞き終えたところで、ソウゲンは改めてカゲロウに尋ねる。
「つまり、作戦に関しては1つも成功していない。そうだな?」
その質問に、カゲロウはビクッと反応した。こうなってしまった以上、お咎めがあるのはまず間違いないだろう。
「し、しかし!奴の強さは尋常ではありません!あまつさえネコの姿であの鋼鉄兵を破壊するなど、一体誰が想定できると仰るのです!?」
罰を与えられることを恐れているのか、カゲロウはひどく慌てた様子で懇願するかのように述べた。横で聞いているグレンとシラヌイは、ただただ呆れているような様子を見せている。
「おいおい、そりゃあ言い訳ってもんだぜバアさん。結局のところ、あんたが奴の力を見誤ったのが悪いんじゃねえのか?」
軽々しい口調ではあるものの、グレンが最もらしいことを言い放つ。しかし、激情に駆られたカゲロウにとっては正に火に油でしかなかった。
「うるさい!貴様にグダグダと言われる筋合いはないわ!」
「おー、こわっ」
声を荒げるカゲロウを見て、グレンは冷やかすように両手を上げた。完全に逆ギレに他ならないのだが、関わること自体が面倒だと思ったのかグレンは特に言い返すこともなくそっぽを向く。
だがカゲロウのヒステリーは止まることなく、今度はその矛先を黙って話を聞いていたシラヌイに向けた。
「それにシラヌイ!貴様が用意した鋼鉄兵、ネコになった筈のレクト・マギステネルにあっさり破壊されてしまったぞ!?一体どうなっている!?」
先程の話を蒸し返すように、カゲロウはシラヌイを怒鳴りつける。彼が用意した鋼鉄兵がいとも容易く破壊されてしまったことに対し、カゲロウは酷く憤慨しているようだ。
とはいえ、当のシラヌイ本人にしてみれば八つ当たりに他ならない。議論そのものを放棄したグレンとは対照的に、シラヌイは冷静に自身の意見を述べる。
「人聞きの悪い事を言うな。拙者は万一の時の戦力として使えと言っただけで、あれでレクト・マギステネルが倒せるなどとは一言も口にした覚えは無いぞ」
「なんだと…?」
当然のように返ってきた反論に、カゲロウはピクッと眉を動かす。しかしシラヌイは意見する暇も与えず、更に言葉を続けた。
「そもそも、自分の術であればレクト・マギステネルを無力化できると息巻いていたのは其方の方ではないか?にも関わらず、失敗の責任を拙者に押し付けるのも如何なものかと思うのだが」
「若造が…生意気な口を叩きおって…!」
カゲロウは相変わらずヒステリーを起こしたままだが、的確な返しが見つからなかったのか言葉に詰まっている。
そうやって自身の目の前で繰り広げられる内輪揉めを見兼ねたのか、それまで黙っていたソウゲンが静かに口を開いた。
「そこまでだ、カゲロウ」
「は、はい…!」
ソウゲンに名を呼ばれ、カゲロウの顔から血の気が引く。自身に下される処罰が恐ろしくて仕方がないといった様子だ。
だがそんなカゲロウの予想とは裏腹に、ソウゲンは落ち着いた口調で言葉を続ける。
「とにかく、この件に関してはお前はここまでだ。事前に話しておいた通り、お前には後で別の仕事がある。夕方までには信者を例の場所に集めておけ」
「は、はい…。仰せの通りに…」
カゲロウは小さな声で返事をした。てっきり罰を受けると思っていたので、恐怖と安堵が入り混じったような複雑な表情を浮かべている。
とはいえ、カゲロウにとってはこれ以上ここに長居する意味はない。ソウゲンの指示もあるので、一旦この場を後にすることにした。
「さて、それじゃあいよいよ俺の出番ってか?」
カゲロウが社を出て行ったのを見計らって、グレンが意気揚々と肩を回し始める。だが、ソウゲンの口から飛び出した言葉はそんな彼の期待に反するものであった。
「待てグレン。お前はこの後に大仕事が控えている。ここで怪我でもされたらその後の計画に支障が出るからな」
「おいおい、また待機かよ。それなら誰が行くんだ?」
いい加減にしてくれとでも言わんばかりの口調で、グレンは反抗的な態度を取っている。しかし、そんな彼の質問に対するソウゲンの回答は更に意外なものであった。
「私が行こう」
「何だと?」
教団の長であるソウゲン自身が、自ら出陣すると口にしたことでグレンの態度が急変した。黙ってはいるものの、一緒に聞いていたシラヌイも驚いているようだ。
あまりにも意外な展開であったからか、グレンは大層興味深そうにソウゲンのことを見ている。
「ほう、総大将が直々に?」
茶化すようにグレンが言うが、ソウゲンは気にも留めなかった。
無論、ソウゲン自身も勢いや思いつきだけで自分が戦うと言い出したわけではない。それなりの勝算があっての発言であった。
「これまでの報告から、奴の弱点がよくわかった。私が戦う際にはそれを存分に利用させてもらうとする」
四英雄レクト・マギステネルの弱点。ソウゲンのその言葉を聞いて、グレンとシラヌイの2人がピクッと反応する。シラヌイは無表情のままであったが、対照的にグレンは面白くなさそうな様子である。
「俺はあんたのことは嫌いじゃないが、あんたの戦い方だけはどうにもいけ好かないものがあるね」
どうやらグレンはソウゲンの戦い方を知っているようで、肩をすくめながら嫌味っぽく言った。そんなグレンを見て、シラヌイが横槍を入れる。
「いかにも真っ向勝負にこだわる、戦闘狂らしいセリフだな」
「ハッ、褒め言葉として受け取っておこうかね。戦闘狂で結構。戦いこそが俺の生き甲斐だ」
シラヌイの皮肉を軽く受け流し、グレンは胸を張って言った。シラヌイの方もこれ以上言っても無駄だと判断したのか、黙ってソウゲンの方を見た。
ソウゲンは真っ直ぐ前を見据えながら、膝の上に手を置く。
「それに、本番の前に四英雄レクトを一度この目で見ておきたいというのもある」
やはり、ソウゲンとしても四英雄と呼ばれるレクト・マギステネルがどういった人物であるのか、どれほどの強さを持っているのか興味があるらしい。いくら部下からの報告の中で話を聞いていても、自分の目で確かめたいという気持ちがあるのだろう。
「自信があるのは大いに結構だが、あのババアみたいな失敗はしないでくれよ。仮にあんたがやられることになったとしたら、それこそ今までの苦労が全部パアだ」
珍しく、グレンの口から注意喚起の言葉が発せられる。それを聞いたソウゲンは少し驚いたような口調で言葉を返した。
「ほう。お前の口からそんな台詞を聞くことになるとはな」
「これでも、作戦の成功自体は願ってる身なんでね」
グレンの口調は軽いものであったが、作戦の成功を願っているというのは本心のようだ。それを理解しているソウゲンはふっと少しだけ笑うと、静かに立ち上がる。
「待っていろ、四英雄レクト」
そう言ってソウゲンは近くに立てかけてあった大きな錫杖を手にすると、威風堂々とした態度で社を出て行った。