英雄が呼ばれた理由
校舎内に入ったレクトは、校長室に向かう途中で制服姿の生徒を何度か見かけた。
「「こんにちは」」
「おう、こんにちは」
おそらく来客だと思われているのだろう、すれ違う度に生徒に挨拶をされる。そして当然と言えば当然だが、全員が女子である。というより女子校なので女子しかいなくて当然なのだが、レクトの頭の中は何となくモヤモヤしていた。
「なんかこう…違うんだよなぁ」
階段を上がりながら、レクトは呟く。というのも、学校の雰囲気が体育会系のスパルタかつ汗臭い青春チックな教育現場を勝手に想像していたレクトのイメージとは大分かけ離れていたからだ。
そんなこんなで校舎の4階まで上がると、大きなドアの上に校長室と書かれた札が目に入った。レクトは早速そのドアをノックする。
「どうぞ、お入りください」
中から女性の声が聞こえたので、レクトはドアを開けて部屋の中へと入る。部屋の正面には大きな机が1つあり、その向こうにはおそらく正装であろう真っ黒いドレスを着た初老の女性が座っていた。
レクトが歩み寄ると、女性はにこやかな表情で口を開く。
「ようこそいらして下さいました、レクト・マギステネル。私はこのサンクトゥス女学園の校長を務めております、クラウディアといいます」
校長のクラウディアは右手を差し出し、レクトもその握手に応じる。ただ、笑顔のクラウディアに対しレクトの表情は穏やかではない。
「呼び方は、レクト先生…はまだ気が早いかしら。それとも英雄殿とお呼びした方が?」
クラウディアはそう言ったが、レクトはあまり英雄と呼ばれるのは好きではなかった。世間的には確かに世界を救った四英雄の1人ではあるのだが、本人としてはあまりその自覚は無い上に英雄と呼ばれるのは何となくむず痒い感じがしていたのだ。
「レクトで構わないし、敬語もいらねえ。それよりも聞きたいことがある」
「あら、何かしら?」
彼の申し出を聞いたクラウディアは、早速敬語ではなくなくなる。もっともレクトにとっては今はそんなことはどうでもよかった。それもそのはず、まず最初に確認しておかなければならない重要なことがあったからだ。
「俺は女子校だなんて国王から一言も聞いてないんだが?」
レクトは不満そうな顔で尋ねた。だがそれを聞いたクラウディアは何かを察したようで、微かな笑みを浮かべながら答える。
「おそらくだけど、国王は共学とも男子校とも言わなかったのでしょう?」
「まあな」
確かに言われてみれば、戦士の養成学校ということで勝手に男子校のようなイメージを抱いていたのは他ならぬレクト自身だ。
そうは言っても普通は女子校なら女子校だと事前に言うのが筋なので、国王が意図的に隠したか、あるいは単に忘れていたかのどちらかだろう。尚、その疑問についてはクラウディアの言葉であっさり解決することとなった。
「女子校と知られてしまうと、あなたは断るかもしれないと思ったのでしょう。都合の悪いことはなるべく隠す。一国の王のくせに、そういう所は姑息なのよ彼は。昔からずっとね」
クラウディアは少し不機嫌そうな顔になる。国王の事を彼と呼ぶあたり、彼女が国王の古い友人であるというのは本当のようだ。
しかも口振りからするとおそらく過去に国王との間に何かあったのだろうが、今はそんな事が聞きたいのではない。
「ってことは何か?やっぱし俺は国王に騙されたってことか?」
「そうなるわね」
レクトの問いに、クラウディアは間髪入れずに答えた。確かに思い返してみれば、あの時の国王は目が思いっきり泳いでいたような気がする。改めて国王に騙されたと知り、レクトは急に腹立たしくなった。
そんな彼の心情を知ってか知らずか、クラウディアの方から本題について触れてきた。
「しかしそうなると、やはりこのお話は引き受けては貰えないということになってしまうのかしら?」
クラウディアは残念そうな顔で尋ねた。レクトとしてはここではっきり断っても別に支障は無いのだが、事情が事情なだけに少し気まずそうな様子をしている。
「まだ断るとは言ってねえだろ。とにかく、話を聞いてからじゃないと決められねえよ」
レクトはとりあえず一旦返事を保留する。内心では女子校での教師生活などあまり気が進まないというのも事実ではあったが。
「そうね。それで、何から話せばいいかしら」
クラウディアの言葉に、レクトは少し考える。聞きたいこと自体は色々とあったが、まずは一番知りたかったことを尋ねることにした。
「どうしてわざわざ俺なんかに教師を頼んだのか聞かせてくれ。どうせ俺の人格については国王から色々聞いてんだろ?」
レクトは直球の質問を投げかける。自分の人となりを知る国王が、自分の事を良く言っている姿がレクトには想像できなかった。
そもそも国王に限らずレクトの事をよく知る人物であれば、間違いなく人格者であると答える人物など誰1人としていないだろう。
「ええ。傲慢で傍若無人で、おまけに超が付くほどのドSだと聞いているわ」
「そりゃあまた、包み隠さず正直な意見なことで」
クラウディアが隠す事なく即答したので、レクトはやや自嘲気味に返した。ある程度予想できた回答ではあったものの、ここまでストレートに表現されると最早清々しささえ感じられる。それが面白かったのか、クラウディアは笑みを浮かべながらレクトの顔を見た。
「否定しないってことは、自覚はあるのね?」
「まあな。それに今更直す気もないしな」
クラウディアの問いに、レクトは肩をすくめながら答える。だが、今は自分の性格の良し悪しなどはどうでもいい。大事なのはそれを承知の上で尚、なぜ彼女がレクトに教師をして欲しいと頼んできたかということだ。
「話を戻すが、わざわざ俺に頼まなくても適任者なんざ他にいくらでもいるんじゃないのか?」
レクトは真顔で尋ねた。何故自分でなければいけないのか。その事を尋ねられたクラウディアは、それまで穏やかであった表情をレクト以上に真剣なものへと一変させた。
「いいえ。今この学校に必要なのは、あなたの圧倒的な力と実戦経験よ。これに関しては、まずあなたに担当してもらう予定のクラスの子たちのことを話さなければならないわね」
そう言いながらクラウディアは机の引き出しからファイルのようなものを取り出すと、机の上に広げた。中には数人分の顔写真が付いた生徒の名簿らしきものが入っている。だがその中の1人に、レクトは見覚えがあった。
「あれ、この小娘…」
レクトの目に留まったのは、赤髪の少女の写真だった。おそらく今よりも少し前の写真なのだろう、髪が少し短くて顔つきも若干幼く見えるが、つい先程校舎の前で会った少女に間違いない。
「あら、ベロニカを知っているの?」
クラウディアが少し驚いたような表情で尋ねた。この学校に一度も来た事がないであろうレクトが生徒のことを知っていたのだから無理もない。
「さっき校舎の前でいきなり勝負を挑まれた」
「そうなの?結果は…まあ聞かなくてもわかるわ」
10代の少女と実戦経験豊富な傭兵の勝負の結果など、子供でもわかる。クラウディアはその件に関しては軽く流し、話を進める。
「この子たちは、『S組』と呼ばれるクラスに属しているわ」
「S?随分とクラスが多いんだな」
レクトは端的に思った事を口にする。確かにA組からアルファベット順に存在しているのであれば、最低でも1学年につき20クラス近くはあるということだ。だがそんなレクトの安直な考えは、すぐに否定されることとなる。
「いいえ、Sは番号ではないわ。わが校ではクラス毎に育成目的が決まっていて、その育成目的の頭文字をクラス名にしているの」
クラウディアが答えた。その考え方からすると、レクトが担当する予定のS組も何かしらSが付く単語を冠しているという事になる。
「SだからSpecial(特別)ってところか?」
「残念、ハズレよ。彼女たちのクラスのSはStrategy(戦略性)の事で、主に少人数で遊撃部隊を組んだり破壊工作に徹することを目的としたクラスなの」
これまたレクトの予想はクラウディアにあっさり否定されるが、その話を聞いてレクトは少し驚いた。クラス分けと言っても、てっきり剣術のクラスや魔法のクラスといった戦い方で分けられていると思っていたからだ。
「ちなみに、他にはどんなクラスがあるんだ?」
レクトは更に尋ねた。というのも、この学校の仕組みに少し興味が湧いたのだ。
「Aid(救護)のA組とか、Defense(防衛)のD組など様々ね」
「戦士の養成学校って聞いてたから、みんな剣持って戦うもんだと思ってたよ。色々あるんだな」
クラウディアの回答を聞き、レクトは感心したような様子で言った。彼女の言う育成目的というのが漠然としたものではなく、それぞれの目的や方向性に関して明確なビジョンを持っていたからだ。
「さて、話が逸れたけど本題に入るわね」
クラウディアがそう言うと、レクトも頷く。レクトとしてはこの学校が他にもどういったクラスを有しているのかは多少気になるが、今はこの先自分が担当になるかもしれないクラスの方が重要だ。
クラウディアは改めて、先程広げたファイルを指差す。
「最初に言っておくと、過去にこのクラスを担当した教師は全員、他のクラスの担当に異動したか、あるいはこの学校自体を辞めているわ」
「それって、手に負えない問題児が多いってことか?」
レクトは怪訝そうな顔をしながら尋ねた。レクトも教育現場に関しては詳しくはないが、そういう話を聞いたことがない訳ではない。しかし、その事に関してクラウディアの口からは予想外の言葉が発せられた。
「あながち間違ってはいないけど、少し違うわね。優秀過ぎるの」
「優秀過ぎる?」
レクトは最初、言葉の意味がイマイチよくわからなかった。優秀であればそれに越したことはないだろう。ピンときていないレクトに対して、その言葉の本当の意味がクラウディアによって語られる事となる。
「剣術、医学、魔法と得意分野は様々だけど、どの子も何かしら突出した能力を持っていて、大人顔負け…つまりヘタな教師よりもよっぽど高い戦闘能力を誇っているのよ」
非常に高い戦闘能力を持っているなど、これもまた普通に考えれば良い事には違いない。だがそれはあくまでも“戦士”としての話であって、教師と生徒という間柄であればそれが逆に良くない効果を生み出すこともあり得るのだ。
「自分より弱い人間に戦い方を教わるなんて、誰しもが納得してくれると思う?」
「少なくとも、俺なら納得しないね」
ここまで話を聞いて、レクトにも何となく状況が読めた。勉学ならともかく、自分や仲間の命を危険に晒すこともある戦場での作法を自分より弱い人間に教わるなど普通なら納得いかないだろう。そういった事情も含め、クラウディアは話を続ける。
「こういう事情もあってか、この子たちの中にはベロニカのように教師を見下すようになっている子もいてね。だけど、英雄レクトはそういう人間の鼻っ柱をへし折って従順にさせるのが大得意だって、国王が言ってたわ」
「褒めてねえよな、それ」
自分の知らないところで好き勝手言われているのは釈然としないが、その件についてレクトは否定自体はしなかった。
「でもこの子たちに才能があるのは事実なのよ。校長の立場としては、多少強引な手を使ってでも立派な戦士になって欲しいと思ってるわ。その為には確かな実力のある教師が必要なの」
一通りの説明を終えたクラウディアは一呼吸おくと、改めてレクトに協力を頼む。
「レクト・マギステネル、お願いよ。力を貸してもらえないかしら?」
自身に白羽の矢が立ったのは思ったより複雑な理由であった事に、レクトは少し頭を悩ませる。しかし事情が事情なだけに断り辛いのも事実であったので、最早答えは1つしか残されていなかった。
「仕方ねえな、引き受けるよ」