不良少女と外道英雄
いくら女子校だとわかっても、そのまま校門の前で呆然と突っ立っていては意味がない。レクトは校門をくぐり、学校の敷地内に足を踏み入れる。
戦士の養成学校だと聞いていたので校門を入ったらすぐに剣の素振りの音とか、教官の怒声などが聞こえるような汗臭い訓練場があるのだろうとレクトは想像していたが、現実はかなり違っていた。
「こいつはまた…豪華だな」
目の前に広がっていたのは、色とりどりのバラに彩られた庭園であった。ブレザーの制服姿の女子が数人、バラに水をやったり剪定をしているのが見える。中央には大きな噴水があり、その真ん中には真っ白い見事な騎士の彫刻が飾られていた。
優雅で気品に満ちた庭園の奥にはレンガ造りのこれまた見事な、おそらく校舎であろう立派な建物がそびえ立っている。それを見たレクトは率直な感想を漏らした。
「完っ全に女子校じゃねえか!あのオヤジ、ハメやがったな!?」
国王をオヤジ呼ばわりとはいい度胸である。もっとも、仮に国王に対する侮辱罪でレクトを逮捕しようとしたところで、フォルティス王国騎士団の中には誰一人として彼に敵う者はいない。たとえ数十人で束になってかかったとしても、即座に返り討ちに遭うのが関の山だろう。それだけ魔王を打ち倒した英雄の力は絶大なのであった。
「くそ…あの時キョドってたのは、これが理由かよ」
自分が男子が相手だと質問した時に国王が一瞬言葉に詰まったのは、この学校が他ならぬ女子校だったからなのだろう。
レクトは一瞬バックれて帰ろうかとも思ったが、一度引き受けた手前、黙って帰るのもそれはそれで何となく後味が悪い。そもそも本当に悪いのは自分を騙した国王であって、元々の依頼人である校長が悪い訳ではない。とりあえず話だけでも聞いておこうと思い、レクトはまず校長室を目指すことにした。
そうやって校舎のすぐ近くまで来ると、何やら言い合いをしているような大声がレクトの耳に入ってきた。
「なんか騒がしいな?」
疑問に思ったレクトが声のする方を見ると、ブレザーの制服を着た赤髪の少女と2人の女教師らしき人物がモメている真っ最中のようだった。
「ベロニカちゃん、教室へ行きましょう。あなた、せっかく素晴らしい才能を持ってるんだから、授業を真面目に受ければきっと優秀な戦士になれるわ」
2人の教師のうち中年の女性が少女を説得しており、横で小柄な女性がその様子を見守っている。一方でベロニカと呼ばれた少女は、そんな説得を聞き入れることなく2人を睨みつけていた。
「フン、アタシに命令すんなよ!第一、アタシより弱いくせして教師面するな!」
ベロニカは2人に向かって吐き捨てるように言う。正に一触即発といった雰囲気であったが、ここで小柄な女教師がベロニカの後方に立っていたレクトの存在に気付いた。
「あ…」
小柄な教師は小さく声を上げた。そんな彼女の様子に気付いたのか、ベロニカも後ろを向く。そこには身の丈ほどもある大剣を背負った銀髪の剣士、すなわちレクトが立っていた。
「ん、なんだよお前。何ジロジロ見てんだよ!?」
ベロニカは威圧するような声を発したが、レクトがその質問に答える前に先程までベロニカを説得していた中年の女教師が口を開いた。
「貴方、もしかしてレクト様では!?」
「レクト?誰だこいつ」
驚いた顔をする中年の女教師に対し、ベロニカはレクトの事など全く知らないといった様子である。もっともそれは英雄としてのレクトの知名度が低いのではなく単にこの少女が無知というか、世間知らずなだけなのであろうが。
「この学校の教師になる…かもしれない男…かな?」
レクトは曖昧に答えるが、そうは言っても実際に教師になるかどうかはまだハッキリ決まったわけではないので、この答えもある意味では致し方無い。
一方、それを聞いたベロニカは何となく納得したような表情になった。
「なるほど、新しい教師ってことか。お前、強いのか?」
ベロニカはニヤニヤしながら、挑発的な口調でレクトに尋ねた。しかしレクトはその挑発に乗るどころか、更に挑発的な口調で返す。
「少なくとも、お前みたいな威勢だけの小娘の100万倍は強いな」
レクトの挑発は余りにも陳腐で子供じみたものではあったが、それでもベロニカの神経を逆撫でするには十分であった。挑発を挑発で返されたベロニカは、少しイラついたような口調になる。
「へえ…面白そうじゃんか。いいぜ、何ならその実力、アタシが試してやるよ!」
そう言うや否やベロニカは背中に挿してあった太刀を抜き、レクトに向けて構える。どうやら本物の刀ではなく練習用の模擬刀のようだが、それでも当たりどころが悪ければ大怪我は免れないだろう。
もっとも魔王を倒した英雄であるレクトにとっては、10代の小娘など取るに足らない相手であることには間違いないのだが。
「なるほど、確かにそいつは面白そうだ」
レクトはわざと乗せられたような口調になり、手首を軽く回す。レクトがその気になったことでベロニカはニヤリとするが、その勝負をよしとしない小柄な女教師が大声を上げた。
「レクト様、ダメです!相手は生徒なんです!」
「安心しろ。怪我は絶対にさせねえ」
女教師の心配をよそに、レクトは自信満々に答えた。レクトが臨戦体制になったのを見計らって、ベロニカは助走をつけながら一気に突っ込む。
「吹き飛べ!」
ベロニカが叫びながら刀を振り抜いた。彼女が自信満々であったように太刀筋自体は下手な大人顔負けの見事なものではあったものの、それでも英雄レクトにとってはママゴト同然であった。
「遅い。あと踏み込みが甘い」
ベロニカの一撃を容易くかわし、レクトは彼女に足払いをかける。自身の勢いも相まってベロニカは半回転してしまい、レクトは瞬時に彼女の膝あたりを無造作に右手で掴んで軽く持ち上げた。その結果、ベロニカはレクトに逆さ吊りにされるような形になっている。
「このっ、よくもっ!」
吊るされて尚、強気な態度を崩さないベロニカであったが、思いがけないレクトの一言が彼女の様子を一変させる。
「威勢がいい割には随分と可愛いパンツ履いてんだな、お前」
「えっ!?」
その一言を受け、ベロニカはハッと気付く。逆さになっている影響で彼女の履いていた制服のスカートは重力に従って盛大にめくれ上がっており、レクトの目の前には可愛らしいリボンの付いたピンク色の布が盛大に晒されていた。これには流石に見ていた2人の女教師もドン引きしている。
「な…!?」
自分の下着が見知らぬ男の眼前に晒されている事を理解し、ベロニカの顔が一気に赤くなる。どうやら彼女はこの手のことに関しては全く耐性がないらしい。
「は、離せ!この!」
「ほい。離すぞ」
ベロニカの言葉を受け、レクトは彼女の足から手を離した。当然だがベロニカはそのまま落下し、頭を地面に打ってしまう。
幸いにもほんの数十センチの高さであった事に加え、芝生の上だったのであまり痛くはないが、それよりも先程のやり取りでベロニカが受けた精神的ダメージは計り知れないものがあった。
「ちくしょう…もう許さねえぞ!」
怒りと羞恥で顔を真っ赤にしたとベロニカは、太刀を大きく振りかぶってレクトに切りかかる。しかし先程と同様レクトには完全に動きを見切られていたようだった。
「だから遅いんだよ」
やれやれといった口調のレクトは最小限の動きでベロニカの攻撃をかわすと、彼女の腕を掴んで後ろに投げ飛ばした。
「う、くそ…」
派手に尻餅をついたベロニカが顔を上げると、いつの間にか彼女の喉元にはレクトの背負っていた大剣の切っ先が突きつけられていた。ほんの一瞬で勝負がついた事に、レクトを除く全員が驚いた様子を見せている。
「さて、何か言うことはあるか?小娘」
見下すような口調で意地悪そうにレクトが尋ねる。これは最早、レクトの圧勝と言う他ない。もっとも、普通に考えても相手が英雄レクトである時点でまず勝てる筈など無いのだが。
「う…」
レクトの言葉を受け、ベロニカは小さく声を漏らす。だが次の瞬間、別の意味でレクトは度肝を抜かれることとなった。
「うわぁぁぁぁん!!」
「はぁ!?」
負けを認めるどころか、ベロニカは大声で泣き出してしまった。流石のレクトもこれには少々困惑し、どうしていいかわからなくなってしまう。
そんな彼に助け舟を出すかのように、横にいた小柄な女教師がベロニカの頭を撫でながら彼女をなだめる。
「よしよし、負けて悔しかったのね。泣かないで、ベロニカちゃん」
「まっ、まげで、ぐすっ、負けで、ないっ!うわぁぁぁぁん!!」
それでもベロニカは泣き止まない。どうすることもできなくなりたじろぐレクトに、中年の女教師が詫びの声をかけた。
「ごめんなさいレクト様。ベロニカちゃんは極度の負けず嫌いで…。こんなに盛大に負けたのは久しぶりなので、すごく悔しかったんだと思います」
女教師の話を聞き、レクトは幾分か納得したような表情になる。とはいえこの勝負はレクトが仕掛けたのではなく、ベロニカの方から勝手に挑んできただけなので別にレクトが悪いという訳ではない。
だが当のベロニカ本人はあれだけの惨敗を喫して尚、諦めの悪さを見せつける。
「うるさぁい!もう一回勝負じろぉ!今度は絶対アタシが絶対勝づぅ!」
大泣きしながらも尚、レクトへ挑むのを諦めようとしないベロニカだったが、対するレクトは至って冷静であり、反応も冷たい。
「お前、今の結果見てまだ勝てるとか思ってんのか?お前の力じゃ10年かかっても俺には勝てねえ」
レクトは容赦のない言葉をベロニカに浴びせるが、そんなオブラートなど知らぬ彼の一言にショックを受けたのか、ベロニカは一層大きな声で泣き出してしまった。
「うわーん!うわぁぁーん!!」
「レクト様!」
中年の女教師が咎めるように声を出した。流石のレクトも子供相手に言いすぎたと言う自覚があったのか、反省した様子で頭をかきながら謝罪の言葉を口にする。
「あー、うん。悪かった。今のは俺が悪かった」
人の苦しむ顔を見るのが大好きな外道であるレクトであっても、流石に大泣きする子供を虐めて楽しむような趣味はなかった。
と、そこへ先程までベロニカをなだめていた小柄な教師がレクトに声をかけてきた。
「レクト様?ベロニカちゃんは私たちが何とかしますから、レクト様は校長の待っている4階へどうぞ」
「あ、そう。じゃあそうさせてもらうわ。あんがと」
こういう事に関してはズブの素人である自分よりも、本職である彼女たちに任せた方が賢明だろう。そう思ったレクトは未だに泣きじゃくるベロニカを尻目に校舎の中へと向かう。だが、その表情はどことなく険しかった。
「のっけから雲行き怪しいじゃねえかよ、俺」
そんな事をぼやきつつ、レクトは校舎の中へと足を踏み入れた。