能力
お隣さんも殺し屋だった。なら問題ない。普通の人だったらゾンビでも突き落とすのは可哀想に思うけど、同業者ならどんな死に方でも構わないだろう。
ターゲット以外は殺さないルールはあるけど、相手が殺し屋なら話は別。それにこいつはライバル会社の殺し屋だ。躊躇なくやれる。
さて、どうやって突き落とすか。
テラス窓を割ってしまうのが手っ取り早いけど、出来れば窓を残したまま何とかしたい。うまくゾンビを誘導して鍵を開けられないだろうか。
見た感じ、俺の顔の場所に合わせて頭を移動させている気がする。それを利用して中から鍵を開けさせる作戦で行こう。
さっそくチャレンジだ。
テラス窓の鍵、正式名称はクレセント鍵だっけ? その鍵のほうへ顔を移動させる。そうするとゾンビのほうも顔を寄せてきた。上手く上から下に顔を移動させて、ゾンビに同じことをさせる。そうやって鍵を開けさせよう。
何度かやると、ちょうどゾンビの鼻に鍵が引っかかって上手く開けることができた。あとはベランダへおびき寄せればいい。
それにしてもゾンビになると窓も開けられないのか。鍵は開いているのに、いまだに窓へ頭をぶつけている。簡単な動作だとしてもダメなのかな。
まあいい。早速窓を開けて、ベランダから外へ突き落とそう。
テラス窓の左側を右側へスライドさせながら開けて、俺も窓と一緒に右側に移動する。
「あの、センジュさん、まだかかりそうですか?」
「え?」
窓を全開にしたと同時に、エルちゃんが俺の部屋の窓から体を乗り出してベランダに出たようだ。ゾンビ越しにエルちゃんが見える。今はまずい!
「エルちゃん、戻って!」
「え? きゃあ!」
お隣さんゾンビはベランダに出ると、俺を無視してエルちゃんのほうへ向かった。
そしてエルちゃんを噛もうとしている!
「やめろ!」
そう言いながら、手を伸ばし、ゾンビの背後から襟首をつかむ。そしてこっちへ引っ張った。
思っていたよりも抵抗がなく、そのまま一緒に倒れこんでしまった。ゾンビって弱いな。でも、そのおかげでエルちゃんは無事だろう。
だが、今度はこっちの身動きが取れない。ベランダが狭いし、それなりに重いゾンビが俺に覆いかぶさっているから、立ち上がれない。なんとかして立ち上がらないと。ゾンビにならないとはいえ、噛まれたくない。
「くそ、どけ!」
ゾンビを引き離そうと手に力を入れたら、ゾンビは普通に立ち上がった。そして立ったままゆらゆらしている。
さっきから何かおかしくないか? 俺の命令に従っているような?
自分も立ち上がってゾンビを正面に見据える。
「右手をあげて」
俺がそう言うと、ゾンビは右手をあげた。
おいおい。もしかして、ゾンビに命令できるのか?
「あ、あの、センジュさん、大丈夫なんですか? なんでこのゾンビは襲ってこないのでしょう?」
エルちゃんがゾンビの背中側から話しかけてきた。
「良く分からないんだけど、どうも俺の命令に従っているような気がする」
「本当ですか!? すごいじゃないですか!」
確かにすごい。でも、なんでこんなことになっているか分からないし、どんな命令も聞いてくれるかは不明だ。過信するわけにはいかないな。
「エルちゃん、試しにこのゾンビに命令してもらえる?」
「はい、やってみます。えっと、ベランダから飛び降りなさい!」
「ちょ――」
ゾンビはエルちゃんのほうを見ると、ベランダからは飛び降りずに襲い掛かった。
「セ、センジュさん、助けて!」
「やめろ!」
俺が命令すると、ゾンビはピタリと止まる。そしてこっちへ振り向いた。
どうやら俺の命令だけを聞くみたいだ。このゾンビが特別なのか、それとも俺はゾンビに命令を下せるような状態なのか……もしかすると選ばれし者の能力とかなのかもしれない。身体能力は上がってないし、別の恩恵があったのかも。
色々と検証してみたほうがいいかもしれないな。でも、今日はここまでにしよう。そろそろ暗くなる。俺とエルちゃんの部屋が確保できれば十分だ。
よし、ちょっとだけ複雑な命令をしてみよう。
「部屋を出て、ドアの前で待機しろ」
ゾンビにそう命令すると、ベランダから部屋に戻り、ドアのカギを開けて外へ出た。
すごいな。さっきは窓を開けることもできなかったのに、命令すればあんなこともできるのか。
「もう大丈夫ですか?」
「そうだね、この部屋にいたゾンビは外へ出したよ」
これでこの部屋をゲットできたわけだ。でも、殺し屋の部屋だからちょっと危ないかも。銃とかあったらまずい。エルちゃんなら何も考えずにぶっぱなしそう。
今日は俺がこっちに泊るべきだな。なにか適当な理由を言って、こっちに泊るように仕向けよう。危険なものを回収したらエルちゃんに引き渡せばいい。
「部屋を確保できたけど、ゾンビがいた部屋に泊りたくないよね? 今日は俺がこっちに泊るから、エルちゃんは俺の部屋を使って」
「大丈夫ですよ。そんな贅沢はいいません。ゾンビがいた部屋に泊まれなかったら、これから生きていけませんよ!」
たくましいというか、切り替えが早いというか。頼もしいとは思うけど。
「えっと、でも、匂いとかひどいかもしれないよ?」
「ゾンビは死んでいますけど、腐らないからそんなに匂わないらしいですよ? 普通の人並みらしいです。それに消臭スプレーは持ってますから。乙女のたしなみですよ!」
乙女はバットで人を殴らないよ、と言っちゃいけないよな。それとも、これでエルちゃんが店長を殴ってない可能性は増えたか?
仕方ない。部屋を調べてからエルちゃんに引き渡すか。
「それじゃまず部屋を調べてみるね。もしかしたら部屋にまだゾンビがいるかもしれない。安全が確保出来たらエルちゃんに明け渡すよ」
「そうですか? 分かりました。なら、よろしくお願いします」
よし、急いで部屋をチェックだ。
ベランダから部屋に入って中を見渡す。
俺の部屋と同じで余計なものは置いていない。テーブル、椅子、ベッド。そしてテーブルの上にはノートパソコン。冷蔵庫はないな。
ノートパソコンは直前まで動かしていたようで、今はスクリーンセーバーになっている。リターンキーを押したら、パスワードの入力を求められた。自動でロックがかかるようになっていたのだろう。
これじゃ使えないな。もしかしたら、見られたら困るフォルダが残っているかもしれないが、使えないなら問題ない。とりあえず、電源を落として放置だ。
次はベッドを調査。こういうところに銃を隠す人は多い。寝ているときに襲われても反撃できるように隠すわけだ。
……ベッドの下も確認したが銃は無いようだ。枕の下にも置いていない。
最後にクローゼット……服しか入ってないな。俺の部屋みたいにクローゼットの中に壁を作って2重にしているような真似もしていない。
……そもそもどんな殺し屋だったんだ? 銃も何も無いって逆におかしいような気がする。スマホで調べよう。
さっき検索した殺し屋リストで確認。
えっと、なになに、通称、毒の芸術家。毒を使って標的を殺す殺し屋で、殺し屋歴は5年。殺し屋ランキングは2377位。
なるほど、毒を使うのか。なら銃がなくても問題ないのかも。それに毒の調合とかを住んでいる場所でやるとは思えないからここは安全だろう。でも、念のため、浴室とトイレを確認しておくか。毒性のある植物を栽培していたら困る。
……どちらも大丈夫だな。これならエルちゃんが使っても問題ないだろう。
ベランダを通って自分の部屋に戻ってきた。
「エルちゃん、確認は終わったよ。ゾンビはいなかったから、安心して」
「あ、本当ですか。ありがとうございます。今日は久しぶりにゆっくり寝られそうです。あ、でも、その前に夕食ですね。板チョコでいいですか? それともカレー味のポップコーンを食べます?」
どっちも捨てがたい。でも、俺の腹はカレーを食べたいと言っている。廊下で寝なくてもそれが食べられるのは嬉しい。
「じゃあ、カレー味のポップコーンで」
「はい。それじゃ、今後のことを話ながら食べましょうか」
「今後のこと?」
エルちゃんはスポーツバックからポップコーンを取り出しながら「ええ」と言った。
「今後、どうしていくか、ですよ。センジュさんの能力を使えば、もしかしたら世界を救えるかもしれませんよ? あれですよ、救世主。歴史に名前を刻みましょう!」
「まず、能力とか言わないで。あと世界を救うのは却下で」
殺し屋が救世主をやっちゃいけないと思う。それにのんびり暮らしたいから、断固拒否する方向で話を進めよう。俺は絶対に世界を救わないぞ。