サイコパス
サイコパスを簡単に言えば、ちょっと普通じゃない人。先天的にそういう人もいるが、たいていは死の恐怖からおかしくなってしまう人が大半だ。職業柄、そういう人を何人か見たことがある。今回のゾンビパンデミックでおかしくなった人も多いだろう。
エルちゃんも同じようにおかしくなってしまった可能性は高い。
でも、本当にサイコパスか怪しいな。
そもそも、この子に店長が殺せるか? この店長は体が大きく、背が高い。エルちゃんが死体を移動させるのは難しいだろう。つまりここでやった。でも、ここでどんな隙があったんだ? ゾンビがいる外で周囲を警戒しないわけがない。
それにエルちゃんのバットは綺麗だ。頭を殴ったのなら血が付いているはず。ふき取った可能性もあるが、そこまで綺麗に出来るとは思えない。バットではない別の鈍器という可能性はあるけど、それならそれでエルちゃんじゃないという可能性も出てくる。
そしてエルちゃんは俺がロッカールームの鍵を開けたときに襲ってきた。ゾンビが鍵を使う訳ないんだから人間だったのは分かってたはず。鍵を使う人間、つまり店長が来たと思ったんじゃないか? まあ、入る前にこっちから声をかけたから店長じゃないのは分かっていたかもしれないけど。
判断は難しいが、エルちゃんはサイコパスのようなおかしい人に見せかけているだけの可能性が高い。自分は危ない奴ですよ、と俺にそう思わせている気がする。
理由は俺を信用してないから。
全部憶測にすぎないし、憶測が正しくても、ロッカールームを開けたとたんに俺を殺そうとしたわけだから、危ないのは間違いないと思うけど、この子がサイコパスなのはちょっと信じられないな。
まあ、そう思う一番の理由は俺の願望でしかないけど。なんとなく、この子は普通の子だって思いたい。
……決めた。本当にサイコパスだったらちょっと危険だけど、当初の予定通りマンションへ連れて行こう。この子はサイコパスのふりをしているだけの女の子だ。
でも、念のために無害アピール。もしかしたら本当にサイコパスかもしれないし、殺し屋だって保険は必要。
「えっと、俺はセクハラなんてしないからね? まわりから紳士って言われてるから安心して」
「あはは、大丈夫ですよ。セクハラしたらやっちゃいますけど」
なにが大丈夫なのだろうか。自分の考えに自信が持てなくなってきた。だが、見捨てる訳にもいかない。ちょっと心配だけどマンションへ連れて行こう。
「そうだね、大丈夫だね。それじゃ行こうか」
「はい、お願いします」
二人でマンションのほうへ歩き出した。
コンビニからマンションまで約500m。晴れているし、視界はいい。急にゾンビに襲われることもないだろう。でも、注意は必要だ。
周囲を警戒しながら歩く。エルちゃんもそのあたりは理解しているようで、音をたてないように歩いているようだ。
「ゾンビがいませんね」
エルちゃんが小さな声で話かけてきた。
「そうだね。どこかに移動してしまったのか、この辺りにはいないようだ。ちなみにゾンビって夜のほうが活発とかあるのかい?」
「どうでしょう? そういう情報は知らないです。ただ、ゾンビは視覚、聴覚で人を認識するようですよ」
「視覚と聴覚?」
「ええと、ゾンビは人を目にすると対象を追うのですが、見えなくなってしばらくすると追ってこなくなるそうです。そして見えないときは音に反応して移動するとか。あと生前の記憶が少し残っていて、よくやっていた行動を繰り返すみたいです」
「良く知ってるね? 自分で検証したのかい?」
「ネットに書いてありますよ。スマホで調べました」
なるほど。そこまでの情報は調べていなかった。この1週間で有志が調べたのだろう。俺ももう一度ネットで調べてみるべきだな。
そんな話をしながら歩くと、マンションの入口に着いた。
扉の窓から中をのぞいてみる。エントランスにゾンビはいないようだ。
「さあ、入って。入ったらここは施錠しよう」
エルちゃんを中へと促してから一度だけ周囲を確認する。近くに誰もいないことを確認してからエントランスへ入った。すぐさま扉を閉めて施錠する。これなら外から入ることはできないだろう。
ふう、という息を吐きだす声が聞こえた。どうやらエルちゃんが緊張を解いたようだ。
「無事に着きましたね」
「そうだね。でも、このマンションの中を全部調べた訳じゃないから、まだ警戒だけはしておいてね」
「そうなんですか? パンデミックが起きてからずっとここにいるんですよね?」
「マンションにはいたけど、自分の部屋を出ていないからね。それに俺の部屋は最上階の端っこなんだ。ほかの階にゾンビがいるかどうかはわからないんだよ」
ゾンビだけじゃなくて、生きている人がいる可能性もある。こういう時に危ないのは内部の人間なんだよな。ゾンビ映画理論で言えばだけど。
エルちゃんは大丈夫かな? なんちゃってサイコパスだとは思うけど、こういう子がセーフティエリアを危険に晒すというのもお約束だ。
「それじゃ安眠のためにもこのマンション内を調べていきましょう。でも、その前にお風呂を貸してもらえませんか? その、こんな時にアレですけど」
そうか。トイレはコンビニにあるものを使えばいいだろうけど、お風呂はない。高校生にはつらいかも。でも、こういう話ってセクハラという地雷原に飛び込みそうで怖い。出来るだけ話題にしないほうがいいだろう。さらっと言うんだ。
「もちろんだよ、マンションの探索はそのあとにしよう。一度休憩したほうがいいだろうからね」
そう言うと、エルちゃんはニッコリと笑った。くそ、可愛いな。
「ちなみに、覗いたら物理的に頭が破裂しますからね?」
「笑顔でおっかないこと言わないで」
可愛いのに言ってることがえげつない。本当にサイコパスは演技であって欲しい。せめてこんな状態になる前に話をしたかった。パンデミックの前は、お互いにポイントカードを作るか作らないかの攻防しかしてないからな。
とりあえず、部屋へ戻ろう。
鍵を使って自動ドアを動かす。問題なくオートロックの自動ドアは開いた。
自動ドアを通り、エレベーターの前へ移動する。エレベーターの階数表示を見ると、1階を示す部分に光が灯っていた。
俺以外は誰も動かしていないのだろう。ただ、誰かが外へ出た可能性はある。正面玄関の扉を施錠してしまったが、大丈夫だろうか。入れないと思ったら、マンションの裏手にある非常用の扉から入るとは思うけど。
さて、エレベーターの中にゾンビはいないよな? 同じ展開で噛まれたくないぞ。
「エレベーターを使わないんですか? というか、ここにはエレベーター以外何もないですよね? 何をされているんです?」
「ああ、すまないね。エレベーターの中にゾンビがいるかどうかを懸念していてね」
それで噛まれたからちょっとトラウマになってるとかは言えない。
深呼吸をしてからエレベーターのボタンを押すと、普通に開いた。中には誰もいないようだ。
先に中へ入ってから「開く」ボタンを押しっぱなしにする。エルちゃんが入るのを確認してから、「11」のボタンを押し、さらに「閉じる」のボタンを押した。階層表示の数字が「1」から順に増えていく。そして「11」の表示で止まった。
開いた瞬間にゾンビに襲われたら困るが、まあ大丈夫だろう。でも、あまりエレベーターは使わないほうがいいのだろうか。逃げ場がないよな。11階まで来るのに階段を使いたくはないんだけど。
ありがたいことにドアが開いてもゾンビは居なかった。エレベーターから顔を出して通路を見ても誰もいないから問題はないだろう。
通路へ出て、自分の部屋の前へ移動する。
1101号室。それなりに気に入っている部屋だ。鍵を開けてからドアを開けた。
玄関を入ってすぐ右側がキッチンになっている。左側には二つのドアがあって、手前がトイレ、奥が脱衣場と浴室だ。脱衣場には洗面所があり、洗濯機も置いてある。そして正面奥のドアの先には部屋がある。部屋は十畳くらいの部屋だから、独り暮らしの部屋としては十分な大きさだ。
「どうぞ」
「はい、お邪魔します」
とりあえず、無事に戻ってこれた。食料を探しにいって女の子を連れてくるとは思わなかったけど。
「さっそく、お風呂を借りますね」
「えっと、そこのドアはお手洗いで、その隣のドアが脱衣場と浴室ね。電気も水もまだ使えるはずだから遠慮なく使って……あの、これはセクハラじゃないんだけど、着替えとかあるのかい? 男物でよければ、まだ使っていないものがあるけど?」
「ならお借りしてもいいですか?」
「借りるんじゃなくてあげるよ。返されても、その、困るし」
主にセクハラ的な意味で。殴られたら嫌だ。
「はい、それなら貰います」
「それじゃちょっと待ってて。取ってくるよ」
部屋のクローゼットに封を切っていない下着類がある。あと、使っていないワイシャツとかも渡したほうがいいのだろうか。サイズはまったく合わないと思うが、清潔ではある。エルちゃんが着ている制服は結構汚れてたし下着以外も着替えたいだろう。
とりあえず渡しておくか。嫌なら使わなければいいだけだし。個人的にはブカブカなワイシャツを着た女の子にぐっとくるので、ぜひ着てほしいが。
「それじゃ、これね。全部未使用だから使いたいものがあったら遠慮なく使って」
「すみません、助かります」
「うん。それじゃ、俺はそっちの部屋にいるから」
部屋へのドアを開けて中に入る。そしてドアを閉めた。エルちゃんが来るまでここで待とう。そっちへは行かないほうがいい。ずっとバットを手放さなかったし。
さて、今のうちにネットで情報を集めるかな。