スローライフ
さて、仕事を辞めたからちょっと興奮したけど、落ち着いてこれからのことを考えよう。
俺の目的はただ一つ。
スローライフだ。
作物でも育てながらゆっくりのんびり暮らす。世界にゾンビがあふれているけど、それは些細なこと。もともと商売敵の殺し屋に狙われるような生活だ。ゾンビのほうがまだマシだと言えるだろう。むしろ、いままでよりもゆっくり寝れる気がする。
そんな暮らしをするためにも色々揃えないとダメだな。いきなり田舎のほうへ行ったところで生活はできない。生活基盤を整えるための準備が必要だ。こういうときはホームセンターに行くといいかもしれない。
その前にお腹がすいた。近くのコンビニで何か食料を調達しよう。それに色々と周りの状況を調べないといけないだろうな。すぐに田舎へは行けないし、行く場所も決めないと。あと、足となる車も必要か。物事は計画的にやろう。
よし、まずは食料だ。コンビニへ行こう。
服を着替えてから部屋の外へ出る。憎らしいくらいにいい天気だ。1週間前とは違ってヘリコプターはもう飛んでいない。それに車のクラクションとかも聞こえず、外は静かだ。
住んでいるマンションの11階、その通路から町を見下ろす。たまたま空いていた部屋がここしかなかったから住んでいるけど、なかなか眺めがいい。パンデミックのせいで台無しになったけど。
町のあちこちから煙が上がっている。外には誰もいないようだし、事態が収束している気配はない。
まあいい、まず探索だ。コンビニへ行ってみよう。都会で一番うれしいのは近くにコンビニがあることだ。徒歩5分もかからない。
マンションの1階までエレベーターで降りる。エレベーターが動くということは、電気がまだ生きているようだ。パソコンも動いていたし、電力はまだ供給されているんだろう。いつまで供給されるかは分からないけど。
そういえば、契約時にこのマンションは災害発生時の対策で太陽光発電をしているとか聞いた。もしかするとそのおかげかもしれない。電気が無制限に使えるという訳じゃないだろうが、こういう時は助かるな。このマンションを借りた自分を褒めたい。
1階に着いたエレベーターから外へ出る。そしてマンションのエントランスへ通じる自動ドアの前に立った。そして自動ドアに付いている「押してください」ボタンを押す。ガラス製のドアが左にスライドして開いた。そしてしばらくすると、またスライドしてドアが閉じた。
改めてボタンを押すと、さっきと同じようにガラス製のドアが左にスライドして開いた。
深呼吸をしてからエントランスへ出る。背後で自動ドアが閉じた。
さて、念のため、自動ドアを確認しておこう。
……うん、エントランス側から素手でドアを開けるのは無理だ。ドアはガラス製だから割ってしまえば入れそうだけど。おっと、まずは戻れるかどうかも確認しないとな。
自動ドアの近くにある壁に操作パネルがあり、そこに鍵穴がある。鍵穴に家の鍵を差し込み、右に回すと、自動ドアがスライドして開いた。
よしよし。太陽光発電で電気が使える間なら問題はないだろう。でも、いつ使えなくなるか分からないから非常用の出口も後で確認しておくべきだな。あっちはアナログな鍵がかかっているだけだから電気がなくても使えるはずだ。
次はエントランスからマンションの外へ出よう。でも、まずはエントランスの確認。郵便受けと掲示板があるが、今は関係ないだろう。それらと自動ドア以外だと、エントランスには外へ通じる両開きのドアがあるだけだ。ドアは頑丈そうだから、そこさえ破られなければなんとか持ちこたえられるとは思う。
さて、そろそろマンションの外へ出てみよう。ここからが本番だ。
あれから1週間経っている。俺を噛んだ幼女はいないと思うが、念入りにチェックしておこう。
まずはドア越しに外を見てみる。外へ通じるドアは分厚い木製のドアだが、ガラス部分もあって外が見える。そこから覗くと道路が見えた。マンションのすぐ外は大きな通りになっていて、普段は車が行き来している。だが、今は一台の車も通っていない。何台かは車同士がぶつかって放置されているようだ。
見える範囲の車には人が乗っているようには見えない。でも、ああいう場所からいきなりゾンビが出てくるんだ。車には近寄らないようにしよう。移動のための足は必要だが、壊れかけの車なんて乗れたものじゃない。でも、あとでガソリンは抜き取っておくかな。
可能な限り周囲を確認してからマンションの外へ出た。
コンビニに向かって少し歩いたが、すごく静かだ。カラスの鳴く声が聞こえるくらい。自分の足音だけが嫌に響いている。
それにしてもゾンビがいないな。最初に外へ出た時はゾンビに襲われている人がいたのに。それに死体もない。道路に血の跡は結構あるけど、どこへ行ったのだろう。
もしかしたら近くに避難所とかがあるのかもしれないな。ゾンビもそっちへ向かったか。
ゾンビがいないとはいえ、気を抜くのはまずいから、周囲を警戒しながらしばらく歩く。少し進むと、コンビニが見えた。
このコンビニは自分のお気に入りだ。ただ、いつも熱くポイントカードを勧めてくる女の子の店員さんがいるのがちょっと困る。毎回断るのが面倒。名前は知らないけど、たぶん高校生くらいだと思う。実は心の中で勝手にポイントカードちゃんと呼んでいる。彼女は無事だろうか。ただの顔見知りにすぎないが、あの子の死体やゾンビはあまり見たくないな。
そんなことを考えていたらコンビニのすぐ近くまで来ていた。
入り口にバリケードはない。コンビニ入口の自動ドアは開けっ放しだ。この状態でだれかが籠城していることはないと思う。なにか食べ物が残っていればいいんだが。
入ろうと思ったところで、嫌なものが見えた。
人だ。
コンビニの入口付近にあるゴミ箱の前に、人がうつぶせで倒れている。
見た感じ、頭を殴られたのだろう。あの頭の具合と地面に広がった乾いた血を見ると、死んでいるのは間違いないな。
うつ伏せだからはっきりしないが、どうやら30代くらいの男性のようだ。結構恰幅がいい。地面の血が乾いているから結構前からこうなのだろう。ちょっと嫌な臭いもするし、死後数日は経っていると思う。
ゾンビになったこの人を誰かが殴ったのだろうか。その割にはどこも噛まれた跡がないように思えるんだけど。まあ、服を脱がせてまで確認したいとは思わない。
服といえば、着ているのはこの店の制服か?
見た感じ店長だろうか。結構このコンビニは利用しているけど、この人を見たことはないな。
……うん、放っておこう。
そもそも知り合いでも何でもないし。重要なのはここに食料があるかどうかだ。
店に入り、中を見渡すと、店内は略奪されていた。棚には何も置かれていない。雑誌とかはそのままだ。一部は床にばらまかれている。
コンビニ内を歩き回ってみたが、食べ物類はなにもなかった。飲み物もアイスもない。可能であればレアなアイスを食べたかったのに。三百円オーバーのアイス。値段が高いから普段買わない。ここぞとばかりに略奪するつもりだったんだけど、アイスのケースは空っぽだ。残念、このコンビニはハズレか。
……いや、待てよ? もしかしたらバックヤードに在庫があるかも。ちょっと見てみよう。
レジが置いてあるカウンターの内側に移動した。
ふとレジを見ると、レジのお金が取られていた。こんな状態でもお金が欲しいっていうのはなんとなく分かる。パンデミックが終わった後に億万長者になってる可能性だってあるわけだし。まあ、1週間経ってもこんな状態じゃ、もとの生活に戻るかわからんけど。
もとの生活に戻る、か。
たぶん、俺はこっちの状態のほうがいいと思ってる。前の生活はあまり好きじゃなかった。このまま適当に何もかも忘れてのんびり暮らしたい。そのためにも食料だ。探索しよう。
スタッフ以外立ち入り禁止のドアを開けた。そして部屋を見渡す。
結構な広さがある。ここはスタッフルームなのだろう。この部屋には入ってきたドア以外に二つのドアがある。ひとつは更衣室らしい。扉にそう書かれている。するともうひとつが在庫部屋かな。
在庫部屋と思われるほうの扉のノブを回してみるが、カギがかかっているようだ。そりゃそうだ。
となると、鍵を探さないといけないか。
まずはこの部屋を漁ってみよう。なんだかアドベンチャーゲームみたいで楽しくなってきた。
部屋にはシンプルな机と椅子が置いてある。ほかには壁のメッセージボードにシフト表や今月の目標とかが書かれているだけだ。あとはメモとかも張ってあるが、おそらくどこかの電話番号とかだろう。
机の引き出しを開けてみると、ごちゃごちゃと色々入っているが、食べ物はない。ペンとか紙だけだ。鍵の類は見つからなかった。
仕方ない。外で倒れている死体を漁るか。やりたくないけど。
外に出て、死体の近くに膝をつき、男のズボンポケットをまさぐる。正直、生きてても男のポケットに手を入れたくない。死んでるならなおさらだ。嫌な感触だったが、その甲斐あって、鍵の束を見つけた。束といっても4個だけど。
鍵を持ってスタッフルームへ戻った。早速鍵を使ってドアを開けようと思ったら、ロッカールームから、ガタン、と音が聞こえた。
もしかして、ゾンビがいる? いや、それとも生存者か?
「誰かいるのか?」
とりあえず、声をかけてみる。
数秒待ったけど返答はない。むしろ、ゾンビならなにかしらの反応は有りそうなんだけど。ということは生存者が隠れている?
扉のノブを握り、回した。
鍵がかかっているようだ。中から鍵をかけたのだろう。
さっきみつけた鍵束を鍵穴にいれて確認。三つ目の鍵で当たった。カチリと小気味いい音が聞こえたので、ゆっくりとドアノブを回して扉を開ける。そして中を覗き込んだ。
「だれかいますかー?」
緊張感はないけど、これくらいゆるく言ったほうが相手も和むだろう。ゾンビだと噛まれそうだけど。
「死ねぇ!」
いきなり攻撃された。おそらく金属バットによる攻撃。まあ、躱したけど。まだ甘いな。そんなんじゃ俺の命は取れない。
念のため、相手との距離を取る。相手をよく見ると、高校生くらいの女の子だ。その子が制服姿で金属バットを持っている。死ねぇって、女の子としてどうなの?
あれ? この子、よく見たらポイントカードちゃんだ。
ブラックな企業で働く俺の清涼剤ともいうべき女の子。正直、会社の上司なんかはどうでもいいが、この子が無事なのはちょっとうれしい。
この子のほうも俺の顔を覚えていたのだろう。ジッと見つめられたあと、なにかを思い出したように、目を見開いた。
「ポイントカードさん!」
……同じあだ名をつけるなんて気が合うね、俺たち。