逝き先案内人
餅は餅屋、時津さんの情報は直ぐに集める事が出来たけど……これはやばいな。
とりあえず、ある程度情報が集まったので、所長に報告をする。
「時津直五十三歳。大手の証券会社に勤めていましたが、最近退職願いを出したそうです。家族は奥さんと一人娘がいましたが、件の飲酒ひき逃げ事故で亡くなっています。そして事故起こしたのは当時十五歳の少年。こいつは近々少年院を退院するそうです。少年の名前は正龍院愛牙、親は警察のお偉いさんだそうですよ」
正龍院と言った瞬間、所長の目つきが変わった。これは踏み込まない方が安全だと思う。
時津さんは奥さんと中学時代に知り合い、結婚してからも周囲がうらやむ仲だったらしい。そして時津さんは娘の事を溺愛していたとの事。事故の後時津さんはご飯を食べられないほど、憔悴していたそうだ。
「なんとか持ち直した頃に、偶然娘と似ている風俗嬢を知り在りし日の家庭生活を思い出していたって訳か。でも、その風俗嬢を心配するあまり、生霊になったと。加害者からは弁護士を通じて定期的に謝罪の手紙が送られているな……しかし、最後の内容は酷いな」
文太に時津さんの家を探ってもらったら、正龍院からの手紙を書き写してきてくれたのだ。手紙の内容は『これでようやく自由になれます。亡くなった奥さんや娘さんの分も幸せになりたいです。青春を取り戻してみせます』俺が読んでも腹が立つのだから、時津さんの憤りは凄まじかった思う。
「それと時津さんは探偵を雇って正龍院の事を調べていました。知り合いの調査員だったので、それとなく聞いてみたら、案の定反省していないみたいですね」
俺の力は同業者の間で重宝されており、それなりに融通がきく。最も守秘義務に反するので詳しい内容は聞けない。わざと曖昧にした情報を教えてもらうのだ。
◇
春の雨が咲き始めた桜を散らしていく。時津さんは雨に濡れながらじっと散りゆく桜を見ている。
「桜を奥さんや娘さんと重ねているんですかね?」
俺と晴野さんは、少し離れた所に停めた車の中から時津さんの様子を見ている。同業者の話では、この近くに正龍院と仲が良い友人が住んでいるとの事。事前にその家に盗聴器を仕掛けておいたので車内にいても会話が聞ける。
「時津さんは雨の日は傘を差さずに外出する事が良くあるんだってよ。雨の中なら泣いても分からない。いや、雨の中でしか泣けないんだよ。自分が泣く事すら許せないんだろうな」
雨の日なら泣いても、涙が雨に混じって流れてしまう。
「……正龍院も死後の裁きに期待しなきゃいけないんですか?」
それを決めるのは俺じゃない。最も今回に関して言えば、警察でもないが……スーツの内ポケットにしまっている紙に手を伸ばす。
(今回は髪切りにお願いするか)
雨脚はますます強くなり、道路を桜色に染めていく。俺の故郷では花筏なんて名物があるが、差し詰め花絨毯と言ったところだろうか。
「おい、俺達ダチだろ!?泊めてくれよ」
住宅街にガラの悪い声が響く。盗聴器必要なかったんじゃないかって位大きな声だ。声の主は坊主頭の少年名前は正龍院愛牙、時津さんの奥さんと娘さんをひき殺した犯人だ。
「ダチ?こっちはお前の所為で散々な目にあったんだ。僕は受験勉強で忙しいんだ。帰ってくれ」
友人の目に浮かぶのは嫌悪の感情。まあ、彼の気持ちを考えれば正龍院を邪険に扱いたくなる気持ちも分かる。
「当時正龍院にはやり手の人権派弁護士がついたそうだ。弁護士いわく『被告の少年は、同乗していた友人に無理矢理酒を飲まされ車を運転させられていた可能性も否定出来ない』と主張したんだとよ。実際は正龍院が付き合わせたらしい。でも、弁護士に言わせれば飲酒運転を止めなったのは、肯定したのと変わらないんだとさ」
事件当時、救急車を呼んだのは彼だ。それでも自分が乗っていた車が、人をひき殺したという事実はかなり彼を苦しめたらしい。
風評被害も加わり件の友人は散々な目にあったそうだ。それでも何とか再起しようと受験勉強に勤しんでいる。
「随分と詳しいんですね」
晴野さん、先輩はベテランの探偵なんですよ。
そうこうしているうちに正龍院は諦めたらしく、友人の家を後にした。
「本人から直接聞いたからな……時津さんが正龍院に近付いていく。行くぞ」
俺は事前に件の友人と接触を図った。そして正龍院が退院後、会いに来る可能性を伝えたのだ。その際盗聴器を仕掛ける事を了解してもらったので、法律違反にはならない。この録音データは彼が正龍院を拒否した証拠になる。
「正龍院愛牙君だね。私が誰だか分かるかい?」
時津さんは努めて穏やかに話し掛ける。正龍院が心から反省している事に期待しているのだろう。正龍院が反省していたら妻や娘もうかばれる、そう思っているのだろう。
……でも、俺には結果が見えていた。万が一に備えて、予備動作にはいっておく。
まずはボイスレコーダーのスイッチをオンにする。
「あんっ?うおっ!ずぶ濡れ親父に知り合いなんていえよ。俺は機嫌が悪いんだ。殴れたくなかったら向こうに行きな」
時津さんの顔に絶望の色が浮かぶ。自分の大切な家族の命が無駄になったのだ、気持は察して余りある。
「私は君がひき殺した母娘の亭主さ。妻も娘も守れなかった父親失格の男だよ」
会いたい、会いたい、会いたい……ごめんね、ごめんね、ごめんね……約束を守れなくて、守れなくてごめんね……あの時流れてきた感情が時津さんの心の叫びだったんだろう。
「俺はもう年少出て罪を償ったんだよ。未成年は人を殺しても無罪なのによ!二年も青春が無駄になったじゃないか」
正龍院は全く反省していなかった。恐らく弁護士に反省して大人しくしていれば、早く出れるとアドレスされたのだろう。
時津さんの目から光が消えたかと思うと、スーツの懐に手を入れた。
「先輩、時津さんがナイフを取り出しました」
晴野さんが叫ぶのと同時に駆け出す。正龍院の為じゃない。これ以上時津さん一家は不幸にさせない為にだ。
「止めましょう。そんな事をしても、奥様も娘さんも喜びませんよ……こんな糞餓鬼の血で手を汚したら駄目です……文太、鑑定を頼む」
さ時津んからナイフを取り上げ、スマホのカメラを正龍院へと向ける。
「全く反省していませんし、魂に罪がこびりついております。思記紙使用の許可が出ました」
思記紙は人に害をなす霊や人外の魔物と戦う時に使う道具だ。式神は契約者に使役されるという。
思記紙は人外の者の力を紙に記した物で、契約しなくても力を貸してもらえる。一枚につき一回しか使用できない。ちなみに使用には許可が必要なので、悪用なんて無理である。
「何なんだよ、お前ら、俺は未成年なんだぞ。それに、お前は無関係だろ?せいぎの味方にでもなったつもりか」
俺から言わせれば、それがどうしただ?未成年でもやってはいけない事がある。
「主殿、結界を張りました。思記紙を使っても大丈夫です」
これで時津さんや晴野さんに見られないで済む。
「俺は正義を語れる程、立派な人間じゃねえ。そんな俺でも許せない奴がいる。それはお前みたいに他人の幸せを壊して平然としてる奴だ……髪切りさん、頼みますよ。切るのは、正龍院愛牙の良縁と霊的庇護」
思記紙を正龍院に投げつける。紙は空中で妖怪髪切りへと変化……と言っても髪切りの姿は正龍院や時津さんの目には映っていない。
「おっ、田中の旦那。お久し振りで、又ヘアカタログお願いしやすよ」
現れたのは両手がハサミになっている妖怪髪切り。本来は人の髪を切る妖怪だが、俺が良く使う髪切りは霊的因子も切れる。悪縁を切れば不幸が減るし、良縁や霊的庇護を切れば……。
「頭の上でジョキジョキ音がする?気持ちわりっ!」
姿は見えずとも、何かを切る音は聞こえる。
「これでお前を守るものは一切なくなった。まあ、お前がきちんと反省して正しい行いをしていれば直ぐに戻るけどな。まずはさ時津んに謝れ……うん、あれは?」
正龍院の背後に黒塗りのベンツが停まった。多分、仁だと思う。
「なんなんだよ、お前は!気持ち悪いな……これ以上付きまとうなら、弁護士の陣兼先生に言うからな」
正龍院はそう言うと俺を突き飛ばして走り去って行った。余程怖かったのだろう。脇目もふらずに駆けていき、仁のベンツにぶつかった。
「兄ちゃん、どこ見て走ってるんだ。車に傷がついたじゃねえか!?ちょっと事務所まで来てもらうぞ」
仁が転んで呆然としている正龍院に仁が凄んでみせる。うん、高額な修理費を請求されるパターンだ。実際、高い車だし。
「お、俺は悪くない。あいつが変な事を言うから……あいつが悪いんです」
正龍院はそう言いながら俺を指さした。残念、仁を呼んだのは俺です。
「兄ちゃん、今の時代ドライブレコーダーって物があるんだよ。きちんとお前があいつを突き飛ばして、俺の車にぶつかった所が映ってんだぞ。さあ、車に乗ってもらおうか?」
正龍院の親父は警察のお偉いさんだ。違法な請求は突っぱねるだろう。でも、ボイスレコーダーに残っている音声データを聞いたら態度は変わる。息子が被害者の家族を罵倒していたなんて知られたたら出世コースは潰えてしまう。
正龍院は若い衆に囲まれて車の中へ消えていった。
「時津直さんですね。これをお渡しにきました……文太、あの二人に希望する逝き先を聞いておいてくれ」
通販で買ったハンカチを木野さんに手渡す。ハンカチを見た途端、時津さんの目から涙がこぼれ落ち始めた。
「……これはあの子がバイトして買ってくれたハンカチ……どうして、あなたがこれを?」
まあ、市販品ですしネットって大概の物を買えるんですよね。
「ちょっと失礼します。一時的に奥さんと娘さんと話が出来る様にしますから」
その間に奥さんと娘さんの逝き先を検討させてもらおう……時津さんの家は本当に仲が良い家族だったようだ。
「お前達、ごめん、ごめんよ。守るって言ったのに、二人は何があっても父さんが守るって」
子供の様に泣きじゃくる時津さんを奥さんと娘さんが優しく包み込む。優しく温かく在りし日の家族の姿がそこにはあった。
「お二人共、貴方が心配で成仏していなかったんですよ。お二人の希望は来世でも貴方と家族になる事です。でもその為には貴方が前向きに生きる必要があります」
不運な死を迎えた人は来世の希望が聞き入れやすい。
時津さんが立ちあがると同時に雨があがった。きっと彼は大丈夫だ。
◇
退社後、俺が向かったのは故郷の料理を出す居酒屋。
「焼酎のお湯割りをお願いします。それと人参の子和え、いかメンチをもらえますか?」
今日は無性に故郷の味が恋しい。焼酎の温かさが身体に染み入る。
人参の子和えは、細く切った人参を白滝やタラコと一緒に炒めた料理で、いかメンチはイカの足を細かく叩いてハンバーグみたくした料理である。どれも俺の故郷の料理だ。
「随分と渋い物食べてるな……茶碗蒸しと赤飯をお願いします」
隣に座るなり注文を入れたのは仁である。ちなみに青森の赤飯と茶碗蒸しは甘い。
「年かな。お袋の味が恋しくなったんだよ。地元にいた時は、箸もつけなかったのにな……それであれから、どうなった?」
正龍院を守る物は一切なくなった。どう足掻いても痛い目を見てると思う。
「弁護士の先生から連絡を入れてもらったら〝そいつはもう勘当したので、煮るなり焼くなり好きにして下さい〟だとよ。それでも幾らか金を出したから、足りない分は自分で稼がせるさ。それよりあのおっさんの家族は成仏したのか?」
髪切り、親子の縁も切ったのか。これから正龍院愛牙は良くてタコ部屋行きだと思う。
「逝ったよ。いつの日か、また家族になれる日を願ってな」