探偵の本音
古い友人に会うと、『餓鬼の頃から憧れていた仕事に就けてお前はは幸せ者だ』と言われる。しかし、幼い頃の俺が今の姿を見て喜ぶとはどうしても思えない。
『主殿、たーげっとの根鳥と坂橋が逢引き宿に入るのを確認しました』
スマホから聞こえてきた報告を聞き、安堵と呆れが混じった溜め息が洩れる。
(しかし、昼間からお盛んだね。仕事をサボって浮気相手と火遊びか……羨ましいね)
俺の仕事は探偵だ。でも小説やドラマみたいに難事件を解決する事はない。仕事の大半は浮気調査と身辺調査なのだ。
今も奥様の浮気を疑った旦那からの依頼の調査中である。早い話がラブホテルの近くの物陰に潜んでいるのだ。幼い頃に憧れたハードボイルドな探偵とは大違いだ。
火遊びが終わるのを待ってカメラを構える。他人のエッチ待ちにも、もう慣れた。
ターゲットをファインダーで捉えてシャッターを切る。数枚取り終え画像を確認。顔を確認出来るし、ラブホテルの名前もきちんと写っている。
(背後で怒っている守護霊の声が伝わっても……浮気はやめねよな)
今ならまだ間に合うと思う。まだ救いの手は差し伸べられている。
仕事柄、浮気をする人間を何人も見てきたが、あいつ等は懲りるって事を知らない。ばれても運が悪かったと思うのか、また性懲りもなく繰り返す。
差し伸べられた救いの手を振り払って、地獄へと突き進んでいく。まるで自ら蟻地獄の巣に突き進んでいく蟻の様だ……それを飯の種にしている俺も同類だと思う。
◇
都内の雑居ビルの一角に居を構えている氷室探偵事務所。ここが俺の職場だ。
そんな事務所の片隅に離れ小島の様に周囲からポツンと離れて置いてあるのが俺の砦。あそこに戻れば疲れた足を休ませる事が出来るのだ。
「田中、戻りました。所長、撮影が出来たのでクライアントに連絡を入れますよ」
今すぐ椅子に座りたい気持ちを抑え、デスクで煙草をふかしている男性に声を掛ける。氷室竜也、この事務所の所長で元は警視庁の刑事だったそうだ。映画俳優顔負けの渋さで、ロマンスグレーの髪が嫌味な位似合っている。ちなみに怒らせると洒落にならない位怖い。だから休む事より挨拶を優先したのだ……新人の頃、よく怒鳴られたよな。
「米(よね、)お疲れさん。連絡は俺がしておく」
田中米功、それが俺の名前だ。俺の親父はハードボイルド小説が大好きで、マイクって名前にしようとしたらしい。でも、農家の爺ちゃんが青森の田舎者が、外人の真似をしても恥ずかしいだけと猛反対してくれたそうだ。
そこで妥協案として当て字でマイクと読める名前にしたそうだ……今となっては感謝しかない。純和風なこの顔で田中マイクはかなりきつい……ついでに歩き過ぎて俺の足もきついです。
「所長、お忙しいじゃないですか。俺なら大丈夫ですよ」
これは歩き疲れた俺を労わってくれてるんだろう。そう考えると、かなりありがたい申し出であるが、ここは断っておいた方が安全だ。
「勘違いするな。荷物が届いたから、先に例の件を片付けてくれ」
はい、リアルに勘違いしてました。違う仕事をしろって事ですね。
「不動産屋、急いでいましたもんね。クレームもきているそうですし」
所長から荷物を受け取り、包みを破いていく。出て来たのは、十数年前に流行った少年漫画の単行本。少年がある日突然力に才能に目覚め、ライバルと戦いながら成長していくベタな漫画らしい。
「しかし、漫画本で除霊なんて知らない奴が聞いたら、驚くどころか冗談だと思って笑うだろうな」
科学万能って言葉さえ古臭く感じる現代では、霊自体を信じてない人の方が多いと思う。でも俺は霊が見えるし、話も出来る。
「除霊じゃないですよ。行き先を伝えているだけです」
俺は神仏に御仕えしていないので、霊と会話する事は出来るがお祓いは出来ない。会話して相手を説得し、行き先を伝えるだけである。霊の行き先、それはあの世。逝き先と言った方が正確なのかもしれない。
「とりあえず変な現象が治まればそれで良いんだよ……それと今日から来る新人も連れて行ってくれ」
新人か……探偵に憧れて入社してくる奴は結構多い。でも、その大半は退職してしまう。憧れと現実とのギャップ。探偵と言えば格好良く聞こえるが、難事件に関わる事は皆無だ。人の嫌な部分に首を突っ込み白日の下にさらしていく。ハードボイルドヒーローとは真逆の仕事なのだ。
小説の探偵はどんな悪を恐れず、権力にも媚びない。でも現実の探偵は依頼がくれば相手がヤ―さんでも警察でも尻尾を振って応える。そうして飯を食っているのだ。
「良いですけど早過ぎませんか?」
浮気調査に同行しただけでも辞める奴がいるのに、心霊調査なんて即アウトだと思う。
「大学の同期の娘なんだよ。親は大学に進学させたかったんだけど、どうしても探偵になりたいってきかないのさ」
なんでもその娘は大学に受かったものの、探偵になるから進学はしないと言ってるそうだ。親御さんや先生が説得するも、頑として首を縦に振らないとの事。そこでうちでバイトをしてみて、実際の探偵はどんな物か経験させようって事になったそうだ。これはあれか現実を見せて早く辞めさせろって事か。
「竜也さん、何度言われても自分は大学には行きませんので」
大声と共に応接室から出て来たのは一人の少女……見た目が整っており、モデルと言われても疑問に思わないだろう。中性的な顔をしており、ショートカットが似合っている。高校では、後輩女子に人気があったはず。
でも探偵には不向きだ。美少女だから人目を惹く。芸能人なら目立ってなんぼだが、探偵が目立って得する事はない。俺みたいに平凡な顔が一番なのだ。
「桜、お前が言ったら聞かない子なのは良く分かっている。ここにいる米について探偵の現実を見てこい」
言い出したらきかない子……所長は桜という少女を幼い頃から知っているようだ。しかし少女は所長の忠告に耳を貸す気配すらない。
大学に進学って事は十八歳か……何歳まで少女扱いして良いのだろう?とりあえず扱いが難しいのは確かだ。セクハラ認定だけは気を付けよう。
卒業した高校は桃花女学院。全国でも有数のお嬢様高校である。大学は同じ系列の桃花女子大……どう考えてもうちに来る人材ではない。
「自分の名前は晴野桜です。先輩、よろしくお願いいたします」
晴野さんは苦言を呈する所長をスルーしながら、礼儀正しく俺に挨拶をしてきた……晴野?所長の友人で晴野……まさか?
「桜ちゃんは晴野検事の娘さんよ。くれぐれも対応には気を付けてね」
忠告をしてきたのは氷室探偵事務所の金庫番北野幸さん。彼女のガードは鉄より硬く、経費を落とすのは至難の業だ。
そして晴野検事。法の番人は地でいく人で、脅しや誘惑には決して屈しない鉄の男。そして家庭では良きパパで娘を溺愛している……本気で気をつけよう。
晴野検事の娘で探偵希望だと、正義感の塊だと思う。動には物凄く気を付けよう。
◇
今回の依頼主は不動産屋。所有しているマンションに幽霊が出るとの噂がたち、中々買い手がつかないそうだ。
「それじゃ、行ってきます。車で行くのでついて来て下さい。それと車の中で資料に目を通しておいて下さいね」
探偵といっても、社員として雇用されているのでサラリーマンだ。後輩といえども敬語で話すのがマナーである。特に晴野さんは早めに辞めてもらう予定の人だ。後々ごたごたしない為にも好印象を与えておきたい……晴野検事に睨まれたくないし。
今回持って行くのはマンションのカギにスマホ、そしてキーアイテムとなる単行本である。
駐車場に停めている社用車に乗り込む。俺専用のハッチバックタイプの普通車。見た目も装備も地味その物。張り込みにも使うから、目立つわけにはいけないのだ。
そんな地味な車でも若い女の子が乗ったら、車内が一気に華やいだ。い匂いもするし、小さな幸を感じる……我ながら親父臭いです。
「幽霊が出るって書いてありますが、これ自分を辞めさせる為の嘘ですよね」
資料に目を通した晴野さんが小馬鹿にした顔で話し掛けてきた。まあ、普通はそうなるよな。
「表向きは悪戯の調査になっています。幽霊が出てたなんて噂が広まったら、買い手がつきませんから」
内覧に来た人が怪しい人影を見たらしく、不動産屋から依頼がきたのだ。俺が下見した結果、ある部屋に幽霊がいる事が分かった。
「本当に幽霊が出るのなら、探偵じゃなくお坊さんに頼むべきじゃないですか?」
確かにそれが一般論である。でも、そう簡単にいかないのが現実なのだ。
「キリスト教を信仰していた人にお経を聞かせても意味ないですよね。仏教にも色んな宗派がありますし。何より日本人は無宗教の人多いんですよ」
無宗教でも波長の合うお坊さんなら効果があるけど、それを探す為に何度も派遣していたら、噂が広まってしまう。
そこで俺が調査して仲介したり、逝き先を示したりしているのだ。
「……はぁ……木茂麻次、享年十九……この事件ネットで見ました。引きこもりの青年が両親の旅行中に餓死したんですよね」
いつもなら調査をするんだけど、今回は不動産屋が幽霊に心当たりがあると情報提供をしてくれた。職業病と言うか癖で自分でも調査したけど。
「麻次は高校時代に酷いいじめに合い、ひきこもりになったそうです。姉の麻華が結婚する事になったので、地方へ挨拶に行く為に家を空けたそうです。死因は餓死ではなく、脱水。両親は家を出る前に、冷蔵庫に食材を沢山入れていったそうですが、帰ってきた時は空だったそうです」
水道が止まっていたわけでもなく、警察は家族に捨てられたと思った麻太が自ら死を選んだと結論付けた。
誰が聞いてもおかしな話だ。しかし、姉の見合いの相手は地方の名家で、麻次の事を毛嫌いしていたらしい。その為か、両親も騒がなかったそうだ。しかし、ネットにも載った所為で、マンションに居づらくなり退去したとの事。
七時に二話を投稿します