女男恋愛 第1章第8話 修学旅行当日⓻
(俺、女になっちゃったんだ・・・。)
心の中でそんなあり得ない現実を反芻する度にどうしようもない絶望感に包み込まれていく
男が女になるのなんて絶対にあり得ないことだ。
だけど、それは起きてしまった。それも自分がまさかそうなるだなんて思ってもみなかった。
鏡に映る少女の瞳からはまたしても涙が零れ落ちていく。
あれが自分だなんてまだ信じられない。
男の自分を特別に愛していたわけではない。そんなナルシストのような考えではなかったものの、やはりそうはいっても、これまで苦楽を共にしてきたからだが跡形もなくなって、別のものに書き換えられてしまった。
喪失感。
それが一番大きかった。
そして悲しくもあった。
自分という存在はこの世界に不要な物だったのではないか。
まるでそんな風な現実を突きつけられてしまったかのようで、どうしようもなく苦しい。
「うっうっ、なんでこんなこんなことに・・・。」
「遥。大丈夫だ。大丈夫だからな。」
大和はそんな俺のことを抱きしめ続けてくれていて、時折背中を撫でてくれた。
何も大丈夫な事なんてないはずなのに、こういう時の大和の優しさはどうしようもなく、ありがたいと思った。
男にこんなことをされたって嬉しくはなかったのに、今はこの温もりが多々ただ優しく俺のことを包んで安心させてくれた。
「大和、ありがと・・・。」
その声は自分のものとは思えないほどにか細くなっていた。
どれくらいの間、そうしていただろうか。
大和の腕に抱きしめられながら、時間の流れを感じる。
「はる君。これ飲んで」
明日香が気遣うようにペットボトルの水を渡してくる。
「ん。ありがと・・・。」
それを受け取ると、大和は気持ちを汲んでくれたのだろうか。
俺のことを離さないと言わんばかりに抱きしめてくれていた腕の力を緩めると、そのままの背中から外していく。
「あ・・・。」
背中にあったはずの温もりが徐々に離れていくことに何となく寂しさのようなものを感じてしまい、思わず声が漏れてしまった。
(なんなんだよ。今の変な感じ・・・。)
俺はふと感じてしまった知らない感情に目を伏せるように、明日香から渡されたペットボトルの蓋を捻って開けると、そのまま飲んでいく。
コクコク
喉に冷たい水が流れ込んできて、潤いを与えていく。
さっきまで流していた涙を補うように、水分が吸収されていっているのがわかる。
「ふ~。」
ペットボトルから唇を離し、一呼吸つく。
(これからどうしたらいいんだよ!)
「これからどうしたらいいの・・・。」
また自分が考えている心の声とは違う言い方になってはいたが、今はそんなことよりもこれからどうすればいいのかを考えることの方が重要だろう。
気にはなりそうだけど、ひとまず言葉遣いのことは留保して、先のことを考えようと思う。
「遥・・・。もう一度抱きしめた方がいいか??」
「ん。もう大丈夫だよ。ありがと」
また自傷行為を取るのかと思われてしまったのだろうか、
大和は手をもう一度俺の背中へ回してこようとしたのだが、それを制する。
大和の優しさにこれ以上う甘えるわけにもいかなかったのはもちろんのことだったが、これ以上抱きしめ続けられたら、おかしくなりそうで・・・。
「そっか。それならいいんだ。」
大和は伸ばしていた手を自身の方へ引っ込めた。
その表情は妙に安心しているようで、これ以上心配をかけないようにしようと心に誓った。
「はぁ・・・。」
ため息までも女のものに変わっているため、自分の声じゃないみたいだ。
「遥・・・。お前本当に大丈夫なのかよ。さっきからため息ばかりじゃないか。」
「・・・っっっ。しょ、しょうがないでしょ・・・。ため息くらいつきたくなるわよ」
何度目かのため息を心配された俺はついつい口を尖らせてしまう。
さっき心配をかけないようにと誓ったはずなのに、何とも情けない。
「それにしても、お前のその言葉遣いなんか慣れないんだが・・・。」
「うっ。それもしょうがないでしょ・・・。私だってこんな風に話したくなんてないのに、一向に治んないだってば!!」
大和の言うとおり,俺の言葉遣いは明らかにおかしくなっていた。
脳内の言葉がなぜか女言葉に変換されて出力してしまうのだ。
最初はまだ“俺”という一人称を使えていたはずなのに、今や“私”に変換されてしまう。
慣れないのはそれをしゃべている本人も同じというのは何とも酷な話だろう。
何度か、脳内の通りに話そうと試みてもなぜか無駄だった。
「はぁ、ほんと、なんでこんな目に遭うの・・・。」
また弱音を吐いてしまう。
どうにもこうにも女になってからというもの、前だったら我慢出来ていたであろうことさえもこうして口に出てしまうようになっていた。
正直、こんな絶対にありえない事態に巻き込まれたりなんてしたら、そうなるのかもしれないが・・・。
「遥…。」
「はるくん・・・。」
そして、そんな俺のことを自分の事のように心配してくれている大和と明日香。
二人はこんなおかしなことになってしまった俺のことを一切気持ち悪がらない。それどころかこうして、俺の側を離れないでいてくれた。
それだけのことでもやっぱり嬉しいものは嬉しいし、友達の大切さを学んだ。
しかし・・・。
ここに来て俺はあることにやっと気付いた。
いや、正確にはもっと前から俺は気づいていたが、そのことに気付かないふりをしていた。
あること。いやある人の存在がここにはいないのだ。
俺の中で、今一番ここにいて欲しい存在。
「ね、ねぇ、大和・・・。ゆ、唯ちゃんはどこなの??」