存在意義
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改行の仕方を少し変えてみました。
以前と比べて見やすくなったor見難くなった等ありましたら、
ご指摘いただけるとありがたいです。
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餓狼隊についてキバが知っていることは、実はそう多くない。
内戦の早期終結を目的に集められた、政府軍最強の部隊。少年の頃のキバにとっては、それで十分だった。
全員が一騎当千の猛者であり、憧れの戦士。彼らを倒せる者など、いるはずもない。そう信じて、キバはその日も彼らの帰りを待っていた。しかし――
「…………!!」
そんな子供の幻想を打ち砕かれ、彼は言葉を失った。
帰還した彼らは皆激しく疲弊しており、一人では立てない者もいる。
「くそっ!」
聞こえてきた悪態に目を向けると、黒髪の青年が一人、固く拳を握り締めていた。比較的軽傷で、自分の足で立ってはいるものの、疲労の色までは隠せていない。
十八歳という若さで、餓狼隊の副長を務める実力者。そんな彼でさえ、頬には深い傷を負っていた。
「紫電の連中め、噂には聞いていたがあれほどとは……」
彼の言葉に不安を感じ、辺りを見渡す。いつもなら真っ先に目に入る巨体が、今日は見当たらないことに気付いた。
「リチャードは?」
恐る恐る、青年に問い掛ける。
「死んだよ」
青年の答えは、これ以上ないほど簡潔で、容赦のないものだった。
それを聞いて言葉を失うキバの肩に、別の青年がそっと手を置く。振り返ると、白衣を着た青年の、優しい顔が目に入った。
「ドクター……」
「大丈夫。あの人ならきっと生きています」
それに対し、副長の青年は声を荒げた。
「あの高さから落ちて、生きてるわけないだろ!」
「無事ということはないでしょうが、彼があの程度で死ぬとは思えません」
ドクターは一歩も退かず、副長の目を見返して言う。
「…………」
「…………」
二人はしばらくの間無言でにらみ合っていたが、
「そう思いたければ好きにしろ」
やがて副長はそう言うと、きびすを返してその場を後にした。
「さて、僕も皆さんの手当てをしないと。手を貸してもらえますか」
「了解!」
ドクターの言葉に顔を輝かせ、キバは深々と頷く。
(そうだよ。ドクターがいる以上、誰も死ぬもんか)
彼にも救えなかった仲間がいることを、キバは知っていた。それでも、そう信じずにはいられない。
一方で、ドクター自身が死ぬかもしれないとは、思いもしなかった。
こんなにも優しい人が死ぬなんてことは、夢にも……
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「まあ、完治したと言っていいだろう」
投げやり気味な医者の言葉に、赤い髪の青年――キバは胸を撫で下ろした。これでようやく仕事が再開できる。
「二度も傷が開いたと言ってきた時は、正直ぶん殴ってやろうかと思ったが」
「いや、実際ぶん殴っただろ……」
言いながら、キバはその時に殴られた頬をさすった。他の患者には、こんな乱暴な真似はしていないことを祈る。
医者の名はサラ。キバにとっては恩人の妹であると同時に、十年近い付き合いになる昔馴染みでもある。きつい口調や、眼鏡の奥に見えるきつい目つきにも慣れたものだ。
キバは二週間前に受けた傷の経過を診てもらうため、彼女の経営する小さな診療所を訪れていた。
「待合所の掃除、終わった」
診察が終わったタイミングを見計らって、部屋の外から声が掛けられる。
二人が視線を向けると、男物のコートとハットを身に着けた少女――キバの連れのヒトミが、ほうきを手にしたまま診察室を覗いていた。
「ありがとう。次は病室のほうを頼む。今は患者もいないから、気を遣う必要はない」
「分かった」
サラが言うと、ヒトミはさっと顔を引っ込めた。次いで、スリッパが床を叩く音が聞こえてくる。
「本来はキバ、お前がやるべき仕事じゃないのか?」
「……仕方ないだろ。安全な仕事しか任せられないんだから」
痛いところを突かれ、顔をしかめる。
ヒトミが行っているのは、診察費代わりにサラがキバへと押し付けた雑用の数々だ。
サラはやれやれといった様子で肩をすくめると、白衣のポケットから煙草を取り出して口にくわえる。だがその先端に火を点けているところを、キバは見たことがなかった。
会話が途切れ、二人の間に静寂が訪れる。この二週間、キバが診療所を訪れる度に繰り返される光景だ。
キバにはサラへ伝えるべきことがある。彼女もそれに気付いていたが、深刻な空気を察して、無理に白状させようとはしなかった。
だが怪我が完治した以上、二人が会う機会は少なくなる。
意を決して、キバはゆっくりと口を開いた。
「この前、ドクターの仇を倒した」
それを聞いて、サラの肩がぴくりと揺れる。
「殺したのか?」
医者の口から出るには物騒な質問に、キバは首を横に振った。
「とどめは刺さなかった」
「何故だ?」
「……俺にも分からん」
逡巡の後にキバが答えると、サラは机の上の灰皿に、火のない煙草を押し付けた。
「それでよかったんだ。仇を討っても兄は喜ばない。むしろ嘆くような人だった」
彼女は立ち上がると、診察室の窓を開ける。外から風が入ってきて、室内の淀んだ空気が追い出されていく。それとは対照的に、キバの胸の内にはもやもやしたものが溜まっていった。
「死んだ仲間の仇を討つより、生きてる仲間と会う方がよほど有意義だ。そうは思わないか?」
その問い掛けに、キバは答えることができない。
サラの言いたいことは分かる。だが仇を追い求める気持ちを否定することはできない。
彼にとって師であり、父であった、餓狼隊の隊長を殺した男。あの男に、もう一度会いたいという気持ちを。
「……少し歩いてくる」
結局、彼女の問いから逃げるように、キバは部屋の出口へと向かった。
途中で立ち止まり、
「肉を食う奴がいるから、肉屋がいる。靴を履く奴がいるから、靴屋がいる。暴力におびえる奴がいるから、俺がいる……ただ、それだけだ」
誰に向けるわけでもなく、つぶやく。
いつもなら自信満々に言い放つ台詞だが、今日だけは自信が持てなかった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
外の空気を吸えば気が晴れるかと思ったが、そんなことはなかった。晴れ渡る青空を見上げるキバの胸中には、未だどんよりと雲がかかっている。
仕事が見付かれば気が紛れるかもしれない。そう思って仲介屋に会ってみたが、残念ながら空振りだった。マフィアの用心棒、抗争の助っ人、怪しい取り引きの護衛……紹介された仕事はどれも、拳屋にとって管轄外の内容だ。
「相変わらず正義の味方気取りやがって」
別れ際、仲介屋に言われた台詞を思い出す。別に正義の味方を気取っているつもりはない。肉屋が靴を売らないように、靴屋が肉を売らないように、拳屋の存在意義に反した仕事をするつもりはない、というだけのことだ。
だが一方で、キバは師の仇を追っている。その理由は正直自分でも分からないが、
(やっぱり仇が討ちたいのかね……)
「壊し屋」ウォン・ロンがドクターの仇だと知った時、怒りで目の前が真っ白になったことを思い出す。
他人のために暴力を振るうべき拳屋が、自分のための復讐を望んでいる。そう思うと、更に気分が重くなった。
そんな時――
「どいてくださーーーい!!」
警告の声を耳にして、キバはそちらを見上げた。ゆるやかな坂から、かなりの勢いで台車が滑り落ちて来る。
言われたとおり避けようとしたが、台車に詰まれた麻袋に「小麦粉」と書かれているのを見て、気が変わった。貴重な食料が道にぶちまけられるのを、黙って見ているのは忍びない。
キバは腰を落とすと、漆黒のグローブに包まれた両手で台車を受け止める。
荷物を傷つけないよう注意したが、勢いを完全に殺すことはできなかった。台車を押していた人物は慣性に引っ張られて、麻袋に顔面から突っ込む。べちっという、何とも言えない音が響いた。
「悪い。もう少し上手く受け止められれば良かったんだが」
「いえ、お気になさらずに……」
キバが謝罪すると、台車を押していた人物が顔を上げる。整った顔立ちと、美しい金髪が印象的な少女だ。涙目で額を押さえるその少女に、キバは見覚えがあった。
「あんたは……」
「拳屋様!」
向こうも同じだったようで、彼の顔を見るなり声を上げる。
少女の名はクレア。この辺りでは有名な資産家の孫娘で、キバにとっては誘拐されているところを助けた相手でもあった。
「すみません、その節は大変お世話になっておきながらろくにお礼もせず、また助けていただいて……」
危機から脱した反動か、それとも突然の再会に戸惑っているのか、クレアの顔が真っ赤に染まる。心拍数が上がっているせいか、口調も早い。
「落ち着けって。ほら、深呼吸」
キバが促すと、クレアは素直に大きく息を吸って、吐いた。まだ頬のところに朱が残っているものの、落ち着きを取り戻す。その様子は両家のお嬢様というより、ごく普通の少女と特に変わらない印象だ。
「二度も助けていただき、ありがとうございます。拳屋様」
「いいってことよ。それよりその呼び方はやめてくれないか。俺の名はキバだ」
慣れない呼ばれ方にむずむずして、自分の名前を告げる。すると少女は顔を輝かせて、
「キバ様」
と言い直した。それを聞いてキバはがっくりと肩を落とす。
前言撤回。流石は両家のお嬢様だ。感覚がどこかずれている。
「様」も取ってもらおうと口を開くが、その呼び方に何の疑問も持たない彼女の顔を見て、訂正する気が失せた。代わりに――
「とりあえず、平らなところで話すか」
台車を受け止めた体勢のまま、そう提案した。