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「火事だぁ」という叫び声が上がったのは、夜の十時を回った頃だった。帰宅途中のサラリーマンが、古い洋館から火の手が上がっているのを見つけて通報した。間もなく消防車が駆けつけたが、空気の乾燥した冬の夜に燃え盛る炎に打つ手はなく、老朽化した家屋は三十分もたたないうちに、原形を留めないほどに焼け崩れていた。そして鎮火した現場からは、シートに覆われた二人の人間の遺体が運び出されていた。
自治会長の山本は、火事の報せを聞いて現場に駆けつけた。空き家ではないかと噂になった洋館が猛火に包まれている。師走の強風にあおられて、火は隣りの伊東のおばあちゃんの家にも燃え移った。全焼はまぬがれたが、洋館に隣接した部屋の軒や窓の一部は黒く焼け焦げている。幸いおばあちゃんは無事に助け出されて、毛布にくるまった姿で立ち尽くしていた。火事のショックで魂が抜けたようになって、到底一人で置いておける状態ではないので、取りあえず山本が自分の家に連れていった。
大原という家の人たちのことを尋ねても、山本の話が理解できているのかいないのか、ぼんやりとした表情で満足な答えは返ってこなかった。かつて話を聞く側が辟易するほど饒舌だった面影はどこにもなく、石のように寡黙だった。
それでもただ一度、山本が「おばあちゃん、誰か連絡できる身寄りの人はおらんね」と尋ねると、老婆はじっと山本の顔を凝視した。
その奥深くに奇妙な光を宿した据わった目つきに、山本はなぜか背中がぞくりとした。
「息子は戦争で死にました」
老婆はその時だけ正気に立ち戻ったかのような、しっかりした口調で答えると再び口をつぐんで、もう何をたずねても答えようとはしなくなった。
昨夜の火事の名残で、一帯にはまだ焦げ臭い煙の臭いが漂っている。今朝は警察と消防によって現場検証が続いていた。山本は消防署の職員の一人に話を聞くことができた。
見つかった遺体は五十代と、十代か二十代前半と見られる二人の女性なのだという。
「それが妙なんですよ」とその職員は続けた。
「この大原さんという家は、住民票にも戸籍にも記録がないもんで、亡くなった方のお名前が分からんのです。自治会長さんは、この家の人にお会いになったことがありますか」と聞かれて山本は困った。
山本は、これまでにも年に一、二度は大原家を訪れていた。しかし、その度に、隣家の伊東のおばあちゃんが顔を出して、家の人は今出かけて留守だとか、奥さんの体の具合が悪いなどと言うので、直接顔を合わせたことは一度もない。おばあちゃんの延々と続く昔話に辟易して、早々に退散するのが常だった。
「これだけ古い木造家屋ですからね。なにしろ燃え方が激しくて、結局火元も出火の原因も特定することはできなかったです。おまけにこの家は、電気もガスも引いてなかったみたいでね。奥の台所に、昔の農家みたいな井戸がありまして、水はそこで汲んでたんですかねえ。それにしても、ここの住民は一体どうやって生活してたんでしょうかねえ」