(4)
―― なんであの時思い切って家を出てしまわなかったんだろう
胸の底から後悔の思いが突き上げて、寝転んで天井を見上げている目からまた涙があふれた。
高校で同じテニス部だった柴崎潤也から、予想もしていなかった告白をされたのは三年生の秋。大学受験が目の前に迫っていた。
受験勉強をしている図書室で受けたメール。開くと「好きだ」の三文字。顔を上げると、斜め前の机に潤也がいた。一緒に部活をしていた頃はテニス一筋で、女の子に興味を持ったり、告白したりするようなタイプには見えなかった。眉が太くて目尻がきりっと上がった顔は、昔のお侍さんみたいだと亜矢は会うたびに可笑しくて、ふっと心がほどけた。
「なんであたしだったの?」
付き合うようになってから、亜矢は潤也に聞いたことがある。
あたしより可愛い子やきれいな子がいくらでもいるのに。そんな思いからだったが、潤也はそれには答えず、プラットホームの柱の陰で、すばやく亜矢を抱き寄せて頬にキスをした。
クリスマス・イブの夜、亜矢は潤也の家で彼に抱かれた。
「いいの?」とたずねた潤也に、亜矢は黙ってうなずいた。潤也はとても優しくて、亜矢はただ無我夢中で、潤也のがっしりとした胸に自分を委ねた。自分では、男の子の目を引くようなタイプじゃないと思っていたので、友達に比べたら、こうしたことにはおくてだった。高一の時に同級生の男子と、ふざけて軽いキスをしたことがあるだけで、体に触れられたこともない。羞恥心が体を強ばらせ、その後に経験のない鈍痛が体の芯を貫いて、思わず涙がこぼれた。潤也は、そんな亜矢を気づかうように、何度も何度も髪の毛を撫でながら、キスをしてくれた。
―― あたしは潤也と一緒に京都に行くつもりだったのに。なんであきらめちゃったんだろう
好きという気持ちが高まってどうしようもなくなった時に、いきなり別れがきた。二人きりで過ごせたのは、イブの夜と、年が明けてから一度だけ。自分の気持ちと冷静に向き合うには、すべてが短か過ぎた。後悔の暗い沼の底から湧き上がってくるのは、母絹子に対する恨みと嫌悪。
―― ママはあたしを束縛するだけで、あたしの気持なんか全然分かろうともしない
大学で講義を受けている間も、学校の行き帰りも潤也のことが頭から離れない。会いたいという思いが亜矢の心の中で際限もなくふくらんでいた。