(2)
「ねえ、大原さんっていう古い家がこの先にあるでしょう」
夕食の最中に、母の絹子が口を開いた。
「うん」
亜矢はパスタを頬張りながらうなずいた。
「あそこ、本当はもう誰も住んでないんじゃないかって、町内会で噂になってるのよ」
「でもいつも伊東のおばあちゃんが、あの家にはきれいな奥さんと娘さんが住んでるって話してたじゃない」
「その伊東のおばあちゃんがね。実はだいぶ前から、認知症が出てたらしいのよ。息子さんは遠くにいるってことで、ずっと一人暮らしでしょ。ママたちも、話してる時は気がつかなかったんだけどね」
「へえ」
「だから自治会長さんが、伊東のおばあちゃんは、昔のことを思い出して話していたんじゃないかっていうのよ。考えてみたらあのおばあちゃん以外に、誰も大原さんの家の人に会ったことがないっていうのも、おかしな話でしょ。それで、もしも大原さんちが長いこと空き家になってるのが本当だったら、一度区役所にでも相談してみましょうって」
「あの家、壊しちゃうってこと?」
「いきなりそんなことにはならないでしょうけど。役所で持ち主を捜してもらったりするんじゃないの。お庭なんかも長い間ほったらかしで、みんなあのおうちには迷惑してるから」
亜矢が初めて大原家の出窓にランプの灯を見つけたのは三ヶ月ほど前のことだ。それ以来小さな炎が絶えたことはない。だからあの家が無人のはずはないのだ。亜矢が絹子にそのことを話そうかどうか迷っているところに、玄関の開く音がして、父の泰三がリビングに姿を見せた。
「パパ、お帰り」
「ああ、ただいま」
地方銀行に勤める泰三は、いつも帰りが遅い。激務のせいもあるのか、このところ髪だけでなく眉や髭にも白いものが目立つようになっている。
「あなた、お食事どうします?」
「ああ、食べるよ」
そう言いながら泰三はリビングのソファーに鞄を置き「亜矢はもう食べたのか」と言いながら、一人娘に優しいまなざしを向けた。