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「僕はお金を稼ぎたいんです」
まず彼はそう言った。なんとも素っ気ない、一番私が聞きたくなかった言葉でもあるかもしれない。
「生きている間に、できるだけお金を稼いでみたいんです」
「……仕事をしているのですから、それは叶うでしょう? なによりあなたは公務員なんですよね? それならお金なんて稼げるじゃないですか」
仕事でお金を稼ぐのだから、仕事以外ではお金のことを考えなくてもいいじゃないか。仕事のときは仕事を一番に考えればいいが、それ以外のときは私を一番に考えてくれてもいいんじゃないか。
それは彼に対して、続けて言うことではない、私の気持ちだ。
「いや、それでは足りないんです」
しかし彼は一蹴した。私の気持ちを察してか、察していないのかはわからないが、そう言い切った。
「公務員だからこそ、とも言えますかね」
私は、これ以上聞く話もないかもしれないな、と思ったのだが、それでも彼の言い分を聞いてやろうと、むしろそう思うことにする。
「僕は常々思うんです。自分の価値は、自分という人間の価値はどのくらいなんだろう。そう思うんです」
自分の価値。そんなこと私は考えたこともない。いや、考えたことがないと言えば嘘だ。考えた結果、私はそこら辺の女性より多少優れている。そう結果を出したのだ。
けれど――。
「でも人間の価値なんて、そんな測れるものじゃないですよね。つまりは幸せの価値とも言えるかもしれないのですけど、億万長者だけど結婚できない男性と、稼ぎは人並みだが結婚して子供もいる男性だったら、じゃあどちらが価値のある人間なんですかね?」
「それは……」
それは、どうなのだろう。
普通に考えれば億万長者の方が価値があるように見えそうなものだ。しかし一概には比べられない。だって、結婚して子供を授かれることもまた、それは人間として価値のある、幸せのある事柄に違いないのだから。
「わからないですよね? 少なくとも僕にはわからない。お金を稼ぐことに人の価値として重きを置くのか、もしくは家庭の幸せに重きを置くのか、そんなの見方が変わればどうだって変化することでしょ?」
「そう……ですね」
「だけどもしも、億万長者で、かつ幸せな家庭を築けた男性と、稼ぎが普通で幸せな家庭を築けた男性となら、やっぱり前者の方が価値のある人生だと、そう思いませんか?」
それは確かにそうだろう。もしも幸せな家庭というあやふやではあるが、そこが一緒だと仮定するなら、それなら多く稼いだ方が価値があると、確かにそう思える。
「人の価値に幸せな家庭を持てるかどうかも含めると、それならもうどう価値を表していいものか、私にはよくわかりませんけど」
だから私は素直にそう言った。仮に私の夫が今の様子で金をいくら稼ごうと、それだけではそれほど価値がある男性だと認められない。そう思うからだ。
「そうですね。僕もそう思います」
彼の指に結婚の様子はない。しかし私の気持ちは察したようだった。
「いくらお金を稼ごうとも、妻をもらって、その家庭を幸せにできないなら、それは価値のある人生とは言えないとそう思います」
「ですよね」
「でも――」
そう。しかし彼はここで「でも」と続けるのである。
「それでも僕は、僕のハッキリとした価値を知りたいんです。ハッキリとした基準を持って、価値を定めたいんです」
「そんなの……無理なんじゃないですか」
彼はここで開いていたスケッチブックを閉じ、そっとその表紙を撫でた。
「だからお金を稼ぎたいんです。お金は一種の基準でしょ? 家庭云々の話はとりあえず除いて考えると、やっぱりお金をできるだけ稼ぐことのできる人間はその分価値があると僕は思っています」
確かにそれだけ見ればその通りだ。人生で一億円稼ぐ人と、人生で一千万円しか稼げない人を比べたら、一億稼ぐ人の方が価値があると言える。
しかしそれはもちろん、お金だけで見れば、だ。
「家庭に限らず、人の価値って、例えば性格だったり、運動神経だったり、まあそういうのも含まれてるはずだと思っていますよ。でも結局、それって数字に換算できないことじゃないですか」
補足するように、勘違いのないように、彼は「運動神経は、スポーツ選手にでもなることで、ある程度数字に換算できますけどね。年俸とか、賞金とか」と付け加えた。
「基本的に人生なんて大雑把なものを数字で表すことはできないはずですよ。でもそれでも何か基準を設けて、それに則って自分の価値を決めたい」
「…………」
「そこでわかりやすいのが、人生でどれだけお金を稼げるか。まあそういうことです」