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価値の定義  作者: 歌多琴
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「こういう場所で、こんなことをしていたら、そりゃあ気になりますよね」

 おずおずと彼の隣に座った私を気にかけるように、まず彼が私に声を掛けてくれた。

「え……。えぇ。気になりました」

 先ほどまで彼の正面に立っていたマスターはいつの間にか、私たちの視野の端に移動している。

「そうでしょうね。たまに聞かれますよ。まぁ皆さんお酒も入っているでしょうから、行動に軽さが生まれるのでしょうね。『何を描いているのだ』ってね」

 そう言って彼はくすぐったそうに笑い「あ、ちょっと失礼でしたかね」と何かを誤魔化すように付け加えた。

 彼はどうにも幼く見えた。少なくとも私よりは年下なのではないだろうか。

「えっと……。そうですね、素直に気になって。……お邪魔ではないですか?」

 年下だと思うのに、どうにもかしこまってしまう私である。

「邪魔なんて、そんなことないですよ。あなたみたいな綺麗な人に声を掛けてもらって、少し浮かれているくらいです」

 夫なら絶対に口にしないような軽口だ。普段の私ならそっぽを向くようなセリフなのだが、どうにも無碍にできないのはなぜだろう。

「結婚されているかと思うと、それは少し残念ですがね」

 私の薬指を見て言ったことだった。真面目そうで、軽そうで、しかし実のところきちんと物事を見ている彼。


 一体どういう人間なのか。私はますますわからなくなった。

 そして私が反応に困っていると、すぐに取り繕うように彼は語る。

「いえね。ちょっとした趣味でして、これ」

 そう言ってスケッチブックを私に見せる。そこにはこの店の一部を切り取った絵が描きかけてあった。鉛筆を用いた黒の濃淡だけで描かれたそれは、やはり写真とは違う良さが描き出されている。

「上手、ですね」

 私は思ったままに感想を述べた。絵には疎かった私であるが、上手いか下手かくらいわかる。

「それはどうも。嬉しいです」

 たぶんそんなありきたりな感想を言われ慣れているのだろうが、それでも彼はちゃんと正直に嬉しそうだった。

「あの……。お仕事は何をされているんです?」

 スケッチは趣味。けれど締切はある。どういうことだろう。

 私はいきなり職業を聞くのは失礼かもと思いつつも、尋ねてみたのだった。

「あぁ、仕事ですか」

「えぇ。何をされている方なのかなぁと……」

「公務員ですよ」

 彼は特段隠す様子もなくそう答えた。

「公務員です。ただの地方公務員です」

 そうか、と私は得心する。だからか。

「よく聞かれるんですよ。画家なのか?とか、イラストレーターなのか?とかね。でも残念ながら僕は公務員です」

 それは残念なのだろうか。私から見たら公務員というのは残念なんて職業ではないのだが。

「それじゃあ、それは趣味?」

 趣味にしておくには惜しい才能だと、私は彼の持つスケッチブックを見つつ尋ねる。

「趣味ですね。まあ一応」

「一応?」

 とその単語が気になったので疑問符をつけながら復唱してみると、彼は少し目を伏せ照れ笑う。

「そう、一応ですかね」

 慌てて彼は「副業と言えるものでは、もちろんないです」なんとことを付け加えた。公務員って副業が禁止されているのだっけ? 大して興味もなかった職業だったので、その辺私はよく知らない。

「それじゃあ締切……って?」

「ちょっとした小遣い稼ぎなんですよ」

 その答えはよくわからなかったので、黙って彼の話を聞こうと思った私である。


「……ちょっとした同人サークルに入っていましてね。あ、同人サークルと言って、わかります?」

 サークル。大学のつながりだろうか?

 私が首を捻ると、彼は慣れた口調で説明してくれた。

「まぁ大学のサークルのようなものです。それの延長戦ですかね。同じ趣味の……同じ目的の人が集まって、何かをする集まりです」

「あぁ。絵を描くサークルですか?」

 私がした理解は少し間違っているらしく、彼は「まぁ……。違いますかね」と言って続ける。

「僕が所属しているサークルは自分たちでゲームを作っているんですよ。絵を描くサークルではなく、ゲームを作るサークルです」

 ゲーム。私にとってあまり詳しくない分野だ。夫もゲームなんてものはしないので、私がゲームと言われて思いつくのはモンスターを育成して戦わせる国民的ゲームくらいなものだ。

「ゲームといっても、ノベルゲームなんですけどね」

「ノベルゲーム? それはどういうゲームなんですか?」

「そのままですよ。小説をゲームにしたようなものです」

 あまり私がパッと理解できなかったことを察したのだろう。彼はカバンからタブレットを取り出し、なにやら写真を探していた。

 そして一枚の画像を選ぶと、それを私に見せながら言う。

「こんな感じですかね。ノベルゲームって」

 写真の上3分の2くらいはただの絵である。重苦しい雰囲気の背景に、切り出したような男女の立ち姿がそこにはあった。そしてその下、3分の1にはテキストが載っている。

 そうか。ノベルゲームというのはずっと絵がありきの小説のようなものか、と私は理解した。

「僕はこの背景担当なんです」

 と、そこで彼は一番の照れをみせつつ言った。

「これ、あなたが描いたんですか?」

 私は素直に驚いた。背景が背景としてきちんとしている。少なくとも素人が描いたようには見えない。いや、それは私が素人だからそう見えるだけかもしれない。

「そうです。いわゆる前作、ですかね。今僕が描いている背景は次のゲームで使われる予定なんですよ。締切はその締切ですね。まあこれは下書きの締切として自分で設けたものですけど」


 そこまで聞いて、私はなんだかふわふわした気分になった。単にお酒が回っただけかもしれない。いつの間にかグラスは空になっていた。

 けれど、公務員という硬い仕事をこなしつつも、それでもこういった目に見えてすごいと思える趣味を持った彼に対して、並々ならぬ好感を持ったことは否定できないと思う。

「すごいですね。公務員の方だなんて思えないです」

 だから素直にそう言った。

 しかしである。

「いえ。そんな褒めてもらえることではないんですよね、実際」

「? そうは思いませんけど」

「いえいえ。そう言っていただけるのは嬉しい限りなんですけど、まだまだなんですよ。このくらいの背景を描けるくらいの人はいくらでもいますし……」

 それでも趣味として立派じゃないか。私はそう思った。

「でも売上がね。ゲームの売り上げが、まあそんなに良くないわけですよ。趣味の域をでないし、小遣い稼ぎとさきほど言いましたけど、まあ小遣いになんてなってないんですよね」


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