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それなのに、だ。
見計らったようにバーのマスターが、そのスケッチをする男性に声を掛けたのである。
「どうです? 期限には間に合いそうですか?」
ぎょっとした。期限? 期限とは何の期限だというのだろうか。
「えぇ。おかげさまで。とりあえず下書きは一通りできそうです。今夜中にね」
朗らかに彼は答えた。「それはよかったです」と、マスターもまたニコリと笑って言った。
この時点で私は隣に座る男性が、一体どういう人なのか見当もつかなくなった。
そもそも隣に座った見知らぬ人間がどういう人間かなんて、そうそうわかるものではないことは当たり前だが、それでもこのときの私はそう思ったのだ。
彼の服装を改めて見てみると、どうみてもビジネススーツ。仕事返りというのは間違いないだろう。
またその雰囲気からどこか夫と通じるものがある。銀行員ではないにしろ、硬派な職業ではないだろうか。
そんな彼は株を勉強し、そして今期限に間に合わすためにバーの内装をスケッチしている。
少なくとも私の人生、こんなに謎と思える人はいない。
「あの……。どうかされましたか」
いつの間にか私は隣の男性を直視していたのだろう。彼の方から私に声を掛けてきた。
「え? あ……いえ」
戸惑った私はそれを表した声をボソボソと上げ、どうしたものかと考えた。
気を悪くさせただろうか。それはそうだろう。期限に間に合わそうとスケッチしていたら、隣の見知らぬ女性が自分を凝視してくるのだ。気を悪くしないまでも、気にならないわけがない。
「……」
ちょっと思案した私であるが、ここは思い切って彼に尋ねてみることにした。
「あの……。隣に座っても、いいでしょうか?」
彼は少し困った表情を一瞬見せたものの、「えぇ。どうぞ」とおそらく快く了承してくれた。




