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パリサイド  作者: 中 庸
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初動

 死に場所が高架下になるとは思ってもみなかった。

 深夜の通勤電車が通過するたびに響く騒音を聞きながら、大内善浩はそんなことを考えていた。仰向けになった体の腿の辺りからは血が流れ出しており、灰色の背広は段々と赤黒く変色していった。一瞬だが、もし今日、黒の背広を着ていたら血の跡が目立たずに済んだのに、と考えた自分自身に大内は苦笑した。こんなに痛い思いをしているのに、仕事先でのことを考えるのか。

 その大内の上には二十代に見える若者が、出刃包丁の切っ先を大内の目先に向け、腰を跨ぐようにして仁王立ちしていた。黒のマスクをしていたので顔は分からなかったが、彼の目は大内を蔑むように見下ろしている。黒のパーカーに黒のジーンズと、黒づくめでシルエットが捉えづらく、巨人に襲われているのではないか、とさえ思えた。

「悪いな、こんなことになってしまって」

 思ったよりも落ち着いた声を出す若者は、少し申し訳なさそうにこう呟いた。

「こちらこそ、お手間を取らせてしまい、申し訳ございません」

「え」

 これには若者も予想外だったのか、頬を引き攣らせて大内を睨み付けた。それよりも驚いた顔をしているのは大内の方だったが。

「馬鹿にしているのか?」

「違うんだ、許してくれ。仕事柄、毎日謝ってばかりいるから、相手から謝られると珍しさのあまり、反射で謝ってしまうんだ。本当にすまない」

 地方公務員になって早十五年、日々押し寄せてくる住人からの苦情に常に平身低頭で謝罪をし続け、もはや何を謝っているのかさえ分からないながらもひたすら頭を下げ続けてきた大内には仕方のないことだった。この前はある女性にご主人の稼ぎが少ないことを謝っていた気がする。それは僕のせいじゃないだろう。

「まあ、構わない。どうせ今から私は君のことを殺さなくてはならないんだ。少し馬鹿にされたところで、家に帰ってシャワーを浴び、寝て起きて、朝を迎えればきっともう忘れている」

 若者は淡々とこう述べながら、じっと大内を見下ろしていた。一人称が「私」なのか、最近の若者はこういうものなのだろうか。

 そんなことを考えていると、なぜか彼に興味が湧いてきた。普段単純作業の決まりきった仕事しかしていないせいか、非日常というものへの憧れは常に抱えていた。大学生から二十代前半までは別の仕事をしていたが、結婚を機に安定した職業に就こうと思い、必死で勉強して公務員試験に合格した。後悔はしていないが、前の仕事ほどやりがいが無く、満足できないと感じることのほうが多い。

 今、目の前に立っている若者は、前の仕事を思い出させてくれる。安定はしていなかったが、退屈はしなかったあの頃に戻りたいという願望でもあるのだろうか。

「折角だから少し質問をさせてもらってもいいかな。どうせ僕は今日で終わりなんだろう?」

 若者は少し目を見開いたが、すぐに目尻を下げた。恐らく苦笑しているのだろう。当然だ。殺人鬼と話したいと考える人間なんて見たことが無い。というか、殺人鬼に会ったのも初めてだ。これも当然か。

「死に際に加害者に質問するような奴はお前が初めてだ。良いだろう、冥土の土産というやつだ」

 いつの間にか腿の痛みは消えていたが、逃げようとは思わなかった。

 電車の窓から漏れた明りに照らされた若者の顔が、どことなく別れた妻と似ていた様な気がしたからかもしれない。彼について知りたくなったのも、それが原因だろう。

 こうして奇妙な立ち位置のまま対話が始まった。

                    

◆                    


「まず、こういう、誰かに依頼されて人を襲う、というのは随分前から続けているのかい?」

 若者の目を見つめながら、大内はできるだけ平静を装って訪ねた。

「そうだな、かれこれ三年になるか。初めて仕事をしたのが十九の時だったのを考えると、意外と短かいのかもしれない」

 三年間もこんなことを続けてきたのか。この若さで。

「そんなに長いこと人を襲い続けてきたのか」

「生活費さえほとんど無かった状態だった。生きていくには必要だったと考えている。お前だって、毎日肉を食べているだろう?それと同じだ。違いは罪の意識の大きさくらいだろう。お前らは綺麗に切られた肉片を食べているが、私は殺したうえで食べている。この違いは大きいぞ」

 若者はとても誇らしげだった。

「直接食べ物を得るために殺しているわけではないのだけれど」

 若者の鋭い視線が大内の両目を捉えた。眼力だけで命を奪いそうな勢いだ。

「細かいことはいい。要は食べるときに食物に感謝しているかどうかだ。私は食事の度に消えていった命に対して感謝している。それが人間か家畜か、などの別は意味を為さない」

 少し苛ついたような声色になったが、次第に先程までと同じ調子に戻り、彼は一息ついた。

「さっき生活費と言ったけど、君には家族がいるのかい?」

 一人だけならばアルバイトでも事足りるはずだと思っての質問だった。

「ああ、いる。母親と二人で暮らしている。私が中学生のころに両親が離婚して、裁判で親権を母親が勝ち取った。だが父親から振り込まれる養育費を母親は自分の娯楽の為に使い、私は食事の代わりに金を渡され、ほとんど家に一人で生活していた。高校へ進学することはできたが、母親はほとんど家にもおらず、学費などは自分で調達しなくてはならなかったので、毎日働いていた。高校時代の思い出といえば、働いていたことと、母親との思い出が無いことくらいだ。」

 突然若者が話を中断した。よく見えないが、少し泣いているようにも見える。話が思わぬ方向に行ったような気もしたが、彼の言葉が次第に熱を帯びてきたので、大内は話を遮らないようにしていたが、ここから先はあまり話したくはないのだろうか。

「もちろん大学に進学できるはずもなく、近くの一般企業に就職した。最初は良かったが、どうしても職場の人間とうまくいかなかった。苛ついて町をふらついていたら、親父狩りというものに遭遇して、憂さ晴らしに助けた。良いことをすると気分が良くなることは知っていたからな。そうすると、その親父から金を受け取った。そこで金の稼ぎ方と言うものを知ったんだ」

 この若者の話すような離婚話というのは、今の世の中、腐るほどありふれているのだろう。確かにテレビで流れるニュースでも、ドラマの題材にしても、頻繁に「離婚」という単語を見かける。自分もそんな中の一人だ。ありきたりだが、当人たちにとっては大ごとだ。家族と言う一つの世界を壊すのだから。しかも、子供たちの立場からすれば、正に世界の崩壊に感じるはずだ。離婚した家庭の子供が悪影響を受けやすいというのも頷ける。今までの自分の土台というものが崩壊し、何を信じて生きていけばいいのか分からなくなり、そんな現実から目を逸らすために深夜に外を出歩いたり、非行に走ってしまうのだろう。一概にそうだとは言い切れないが、離婚は子供に悪影響をもたらすはずだ。僕にも子供がいたが、親権は元妻にあり、裁判以来一度も会っていない。あの子もこの若者と同じ様に苦労しながら生きているのだろうか。

「それからは頻繁に深夜に街に出かける様になった。喧嘩を見つける度に間に入っては仲裁まがいのことをした。と言っても、両方倒すだけだったから特に難しいことは無かった。腕力には自信があったし、小学生の頃に習った空手のおかげでどこを叩けば良いかは知っていたからな。そうこうするうちに怪しげな人から声を掛けられるようになり、俗に言う依頼というやつを受けるようになっていった。そして、今に至るというわけだ」

 若者の声調は次第に冷静さを取り戻していき、話し終えるころには最初の調子に戻っていた。離婚が原因で非行に走り、社会から除外されたような扱いを受ける人間はいるかもしれないが、離婚が原因で殺しを請け負う様になる人間は稀だろう。親の顔が見てみたい。

「それは暴力団に入ったということなのかい?」

「その誘いもあったが、どうやら私は組織や集団というのが苦手らしい。今まで友達と言うものも中学と高校でそれぞれ一人ずつ出来たくらいだからな。それに一人は好きだ。自分にとやかく言ってくる者もいないし、何より自分以外に何も気にしなくていい。だからその誘いを断って、個人営業で仕事をすることにした。最初は暴力団からの仕事ばかりだったが、人の口に戸は立てられぬとはよく言ったもので、次第に一般の人間からも仕事を受けるようになった。一番驚いたのは七十代の老婆から『夫を殺してほしい』と頼まれた時だな。その依頼は『彼は恐らくそのうち死ぬさ』 と言って断ったが、夫婦というのは死ぬ間際までうまくいかないものなのだな、と感じたことを覚えている」

 もう既にかなりの時間が経過しているのだろう。太腿には乾いた血の感触がある。元々人通りの少ない場所だが、物音さえ全くしていない。静かな空間で聞く若者の声は聞き取りやすく、大内は若者の声から感情を読み取ることもできていた。

「いつの間にか私の半生を語りつくしていた。もう話すことは無い。お前からは何か質問はあるか?」

 そう聞かれてこの会話が、自分が若者に質問したいと言い出したことが始まりだったことを大内は思い出した。そして、気になることはあと一つ残っていた。もしかすると僕は、この質問の答えを知っているのかもしれない。

「今回の依頼主は誰なんだい?」

 若者は目尻にしわを寄せ、ふっと息を漏らした。

「今回の依頼主は今までの仕事と違って特別でね」

 若者はおもむろに黒のマスクを取り始めた。大内にとってはその様子は何故かテレビ番組でたまに見かけるスローモーションの様に見え、頭の中には「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」が流れていた。

「依頼人は私なんだ」

 マスクが外れ、口元が見えてくる。遠い昔に見た覚えがあった。

「手伝ってくれないか?父さん」

 数年ぶりに見た息子の顔は、今までに見たことが無いほどの笑顔だった。

                   

                   ■


 二日酔いに頭を抱えながら、有馬凛はゆっくりと体を起こした。昨夜からつけたままにしているテレビからは、地元の野球チームが優勝したことが、監督や選手のインタビューを交えながら、長々と放送されている。野球を見ない有馬からすれば特に何の喜びもないのだが、おかげで近くにある商業施設の店がブランド品を安く売ることを宣言しているようで、これは得をしたと思った。

 近くには地元では有名な大学と商店街があって、少しは栄えていると言える程度の町の、アパートの一室に有馬は住んでいた。部屋は煙草の吸殻や酒瓶、脱ぎ散らかした衣服、出し忘れたゴミ袋など、足の踏み場もないといった様子であった。

 数年前に離婚してからというもの、有馬の生活は荒れていた。毎月振り込まれる養育費は基本的に街に飲みに行くのに使っていた。若い男を見つけては声を掛け、自分の所持している金品を見せつけ、豪快に遊び続けた。

 刺激のない夫婦生活に飽きていた有馬は、夫が仕事先の後輩の若い女と飲んだ後に二人きりで帰っているところを写真に収め、浮気だと言って離婚までこじつけた。もちろん相手は否定したが、いろいろと難癖をつけ続け、結局は慰謝料と毎月の養育費を獲得した。代わりに息子の親権というものも得てしまったが、あまり喋らない子供だったので、最低限の食事代や、多少の学費程度を出すなどのことしかしていなかった。だが、次第にそれも煩わしくなり、いつしか完全に放置するようになってしまった。その頃から家にいる時間がすれ違うようになり、顔を合わせるのも月に一度くらいの頻度になってしまっていた。

それでも有馬は息子の光浩のことは特に気にしたことはなかった。面倒事は避けたいから、おかしな事件に巻き込まれたりしないで欲しい、と思うくらいだった。最近では何故かたまにまとまった金を置いていくようになり(それは有馬にとってははした金でしか無かったのだが)、少しは使えるやつなのだな、と思うようになっていた。

 煙草に火をつけ、スマートフォンを扱いながら、今日はどの男と遊ぼうかと吟味していたところ、家のチャイムが鳴った。煙草を灰皿に置き、玄関に向かう。また怪しい宗教の勧誘か、と思ったが、そこに立っていたのは光浩だった。

「わざわざチャイムまで鳴らしてどうした?愛しい母様の顔でも拝みたくなったか」

 光浩は有馬の軽口に構いもせず、無言のまま部屋の中に入っていった。有馬は舌打ちをした。可愛くないやつめ。

「金が必要になったのか。でもあんたは自分の稼ぎがあるだろう。それで何とかするのが大人、ってもんだよ」

 持っていたテレビのリモコンでチャンネルを変えながら、有馬は似合わない説教を光浩に披露した。朝の報道番組では、小学生の誘拐事件が取り上げられている。昨夜もまた一人行方不明者が増え、合計で十一人になったと報じている。

「今日は大事な話があるんだ、母さん」

 普段から自らを母親だと思ったことはなく、離婚してからというもの、ほとんど呼ばれたことも無かったので、有馬はその言葉に対して何だか気持ち悪い感触がした。

「大事な話って何?警察の厄介にでもなったのか」

 言い終わると同時に玄関のドアが開く音がした。そこにいたのは、もう二度と会うことは無いだろうと思っていた顔だった。

「久しぶりだね」

「なんであんたがこんなところに」

 疑問よりも先に体が嫌な感じを察した。本来ならば数年ぶりに家族全員集合、となるのだが、有馬は謎の恐怖感に襲われていた。

「今更何しに来た?親権はまだあたしのものだし、養育費は今年まで払うことが決まっているだろう」

「光浩からまだ何も聞いていないんだね。じゃあ僕から話すよ」

 有馬凛の元夫であり、有馬光浩の元父である大内善浩は一呼吸置いてこう続けた。

「光浩の母親を辞めて欲しいんだ」


                    ◆


 高架下での出来事の後、大内は息子の光浩と近くの居酒屋に来ていた。全国チェーンも展開している店で、個室でゆっくり話すことができる。店員はいつでも元気な声を出していて、好感が持てた。

「手伝ってほしい、と言うのはどういうことなんだ。そもそもなぜ急に僕を訪ねたりしたんだ。それよりも、なぜ僕に襲い掛かってきたんだ」

 光浩は落ち着いていたが、顔には微笑を浮かべたまま頷いている。

「落ち着いてくれ。私は聖徳太子では無いのだから、一つ聞かれて一つ答えることしかできない」

「聖徳太子は実はいなかったらしいけど」

「そんなことはどうでもいい。父さんは昔から変わらず、細かくて何の利益にもならないことを気にしすぎる」

「そうかなあ。結構重要だと思うけど。今の日本史の教科書じゃ、聖徳太子に(伝)が付くんだよ。そんなに自信が無いなら載せるな、

という話だよ。僕は日本の教育の未来を憂いているんだ。全くどうでも良くない。」

 見事に話が脱線し、あらぬ方向に行ってしまったことに気づき、大内は少し顔を赤らめた。もしかして、いつも僕はこうだったのだろうか。

「そんなことより、まずは質問に答えよう。最初は父さんに手伝ってほしいことの内容からにしようか」

 元気のいい若い女性の店員が頼んでいた発泡酒を持ってきた。光浩はそれを半分くらい飲んだところでグラスを置き、ゆっくりと話し始めた。

「単刀直入に言うと、母さんに私の母親を辞めてほしい。もっと言うならば、有馬凛の殺害に協力してほしい、ということだ」

 あまりにも突拍子の無い話に、大内は思わず口を開けたまま固まってしまった。

「凛とうまく行っていないことはさっきの話を聞いていて分かったが、それでも殺すというのはあまりにも酷いんじゃないか」

 大内の中では、あの女を殺すことに価値があるのだろうか、というのが本音だったが、父親という立場上、道徳に則った、大人らしい発言をした。

「本音では有馬凛を殺すことに価値がない、程度にしか思っていないのだろう?わざわざ隠さなくてもいい」

 流石我が息子。

「父さんのことは既に調べてある。今の仕事の関係で知り合った興信所の仲間に父さんのことを調べるよう依頼した。今の職場や住所から、私が生まれる前までのことまで全部。そうすると、面白いことが分かった」

 そこで光浩は一息つくと、鋭い目で大内を見つめた。

「父さんも私が生まれる前は殺し屋として働いていたそうだな。これには流石の私も驚いた。高校の担任から心臓に鉛を埋め込んでいるのではないかと疑われた私が驚いたのだ。人生でこれほど驚くことも無いだろう。血は争えないとは、こういうことを言うのだな、と痛感した。そこで、今回の件に協力してもらおうと思ったのだ」

 そこまで知られていたのか。確かに僕は結婚する前まで、俗にいう殺し屋、というものをやっていた。正直、襲い掛かってきた若者が息子だと考え始めたのも、息子が殺し屋として働きだしたいきさつを聞いてからだ。どことなく自分がその仕事を始めた経緯と似ていたし、何より空手をしていたこともヒントになった。息子には人を殺さないような強い人間になってほしかったため、道場に通わせた。まさか僕の思いとは真逆の方向に猛進しているとは。皮肉だなあ。

「僕のことを調べるのはいいけど、なぜ僕に襲い掛かったんだい?普通に話しかけてくれれば、一緒にご飯でも食べながら話を聞くこともできたのに」

「力試しの意味もあったが、私がこれだけ驚いたのだから、父さんにも驚いてもらおうと思ってな。趣向を凝らさせてもらった。だが、まさか謝られるとは思わなかったから、こちらの方が驚いてしまった。父さんは人を驚かす天才なのかもしれない」

 そんなところを尊敬されてもな、とは思ったが、息子から尊敬されることは、何であれ嬉しいことには違いなかった。

「僕のことはこれくらいにしておこう。話が逸れてしまったけど、どうして凛を殺さなくてはならないんだ?さっきも言った通り、殺す価値は無いと思うんだ。だから僕は離婚を承諾したんだ」

大内が凛を不慮の事故に見せかけて殺すことは容易かったが、面倒なのと、素直に死んでくれそうな気がしなかったからだ。死んでも死なない人間がいるとしたら、ああいう図太い人間なんだろうな、とは思っていた。光浩のことは気がかりだったが、時に大内よりも大人な面を見せる彼ならば、きっと大丈夫だろうと考えていた。事実、彼は何の問題も無かった。普通の人生の道を、自ら全力で踏み外しに行っていること以外は。

「そうはいかない。最近巷でよく小学生が行方不明、などと言った話を聞くだろう?あの一連の事件の黒幕に有馬凛が関係しているようなのだ」

「え」

 丁度最近話題になっているニュースだ。夜になっても帰ってこない子供を心配した親が警察に通報、捜索するも、その最中にまた新たに子供が帰ってこないとの通報を受ける、という事件だ。目撃証言は少なくはないのだが、いずれも夕方ごろからはさっぱり目撃されておらず、集団犯罪の可能性もあるとみて警察は調べを進めている、と報じていた。あの事件と有馬凛が、どうやったら関連するのだろうか。

「有馬凛は最近特に一人の男に入れ込んでいてな。その男が犯罪グループの首領を務めているようなのだ。大村という男で、中国系のマフィアと繋がりがあるらしい。恐らく、行方不明になった子供たちは大村に誘拐され、中国に高値で売り飛ばされるのだろう。あまり詳しくは知らないし、知りたくもないが、この情報は確かだ。有馬凛はその男に資金提供する、いわばパトロンの様なものだと考えられている。有馬も売り上げの三割ほどを受け取っているらしい」

 大内はなんだか壮大な話になっちゃったな、と思い始めた。流石に外国が絡んでくるとは思ってもみなかった。

「この件に関しては警察も外交の問題上、手を出しづらいらしい。だが、この状況を黙殺するわけにもいかない。そこで、民間の人間がやったことなら我関せずを貫くことができると考えた偉い人が、いつも私に仕事を回してくれる人に相談した。大村を動きにくくする手立ては無いか、とな。俺にとっての、いわば仲介人のその人は、ひとまず大村について調べ上げ、先程話したような情報をつかんだ。そしていつも仕事を請け負っている俺が大抜擢された、というわけだ」

「つまりお前は、その大村という男の資金源を断つために雇われたのか」

「まとめるとそんなところだな。どうだ、私がどれだけ大変な状況にいるか分かってくれたか、父さん」

 それに関しては嫌というほど分かった。もはや国家の危機を背負わされているようなものだろう。大変な状況だ。

「大分話が見えてきたけど、一つ分からないことがある。そんな大事に、どうして僕を巻き込んだんだい?」

 他にも優秀な人は沢山いるだろうに、何もこんなしがない地方公務員を捕まえなくても。今の僕にできることは書類作成と謝罪くらいだよ。

「あの約束を忘れたのか」

 少し呆れたような顔で光浩は大内をみつめた。

「国の危機が迫ったら連絡してくれ、なんて約束はしてないと思うけど」

 そんなに大事に巻き込まれるような子供に育つとも思っていなかったよ、僕は。

「最後に裁判所で会ったとき、約束をしたじゃないか。私は忘れたことは無かったぞ」

 裁判所、という単語で全てを思い出した。まだ少し幼い顔の光浩と、薄く化粧をした凛の顔が思い浮かんでくる。

「あ、あれのことか。よく覚えてるな。流石に忘れてると思ってたよ」

 光浩が苦笑を浮かべる。それだけ大切な言葉だと思ってくれていたことに感動した。

「『僕は死んでも光浩の父親』、だろう?」


                   ■


「どういうこと」

 突然現れた元夫が、突然母親を辞めろと言い出したのだ。疑問だらけで、何かを考えるような余裕が生まれるはずもなかった。

「最近小学生が誘拐される事件は知っているだろう。そして、大村という男のことも。ここまで言えば分かってもらえるとおもうが、簡潔に言うと、母さんに資金提供を止めてもらいたい。そうすれば危害は加えない」

 今度は息子から自分が今まで関与してきた事件のことを指摘された。今日は一体何だというのだ。

「全部知られているようだからからもう隠さないけど、私は大村にとって必要な存在なんだよ。今更離れるわけにはいかない。それに、もし離れようとしたら口封じの為に殺される。それくらい分かるだろう?というか、その話とあたしが母親を辞めるのと何の関係があるんだい」

 そこまで言ったところで有馬は気づいた。“母親を辞める”の本当の意味の示すことがとても残酷であることを。

「そう、母さんにはもう道が無い。だからせめて、私と父さんが最期を見届けようと考えた。良いだろう?家族再集合の場で、前最愛の人間たちの眼前で最期を迎えることができるのだ。ほとんどの人にこんな機会は与えられないぞ」

 見れば光浩の手には出刃包丁が握られている。ここにきて本当に命の危機を感じていた。青ざめた顔の有馬は思わず後ずさりをしたが、背後を振り返ると玄関口には、大内が黒い塊を持っていた。

「あんた、なにそれ」

「悪いね、君には隠していたけど、僕は君に会う前までは人を襲うことでお金を稼いでいたんだ」

 思わず唖然としてしまった。大村と関係がある有馬でも、実際にこの目で拳銃を見るのは初めてだった。滅音機がついているようで、恐らく助けを呼ぶのは諦めた方が良さそうだ。万事休す、もう逃げ道は無い。有馬は本能的に光浩に縋り付いた。

「頼む、見逃してくれないか。もう大村と関係しなければいいんだろう。なあ頼むよ。お前も実の母親を殺すのは忍びないだろう。ここまで育ててきたじゃないか。あたしがいなければお前が生まれてくることも無かったんだよ。な、見逃してくれ」

 咽び泣きながら光浩に詰め寄る有馬の様子を、大内は哀しい目で見つめていた。離婚するときもあんなに強気で僕を追い込んだのに、今では見る影もない。

「母さん、悪いのだが私はあなたに育てられた、という思い出が無いのだ。離婚してからは顔を合わせることさえも少なくなったし、お金をくれる相手、程度の認識しかなくなってしまった。だから、私にとっては親というものは一人しかいない」

「その一人というのはあたしだろう。親権はあたしにあるんだ。第一、子は親を選べないんだから、あんたがどう思おうが、あたしはあんたの親なんだよ。親を殺すなんて、とんでもない人でなしじゃないか」

 光浩は冷めた目で有馬を見つめている。大内はそのことが嬉しかった。

「私は随分前から人でなしのレールに乗っかっている。今更どうということは無い。それと、子は親を選べないと言ったが、あれには条件があると思う。何だか分かるか?」

 有馬はこれでもか、というほど涙で顔を崩しながら、分からないといった風で呆然としている。

「子が親を選べないというのは、親が存命の場合のみだ」

 完全に希望を無くした有馬は、大内のいる玄関に向かって半狂乱で駆け出した。大内は落ち着いて拳銃を構えた。

 安全装置を外し、右手を引き金に、左手をグリップの下に固定する。右肩を体に対して垂直に構え、まっすぐ伸ばす。左足を下げ、半身になって凛の額に照準を合わせる。久しぶりの感覚だったが、体が勝手に動く。結婚生活が上手くいっていれば、こんなことにならなかったのだろうか。僕が悪かったのかな。

 引き金を引く。体に衝撃が来ると同時に、タンッという乾いた微かな音が聞こえてくる。凛が仰向けに倒れた。これで終わりだ。あっけないものだ。

「腕は鈍っていなかったようだな。流石父さん」

 光浩は有馬の傍に屈みこみ、開いたままの目を閉じた。

「死んだらあなたの元へ行くだろう。その時は、私が選びたくなるような母親であってくれ」


                   ▲


 有馬凛殺害の後、一週間後にまた会う約束をして、その日はそのまま家に帰った。二人ともこういうことには慣れていたので、出来る限り証拠を残さない工夫は心得ていた。今は昔と違い、拳銃の弾痕から犯人を割り出せると聞いていたので、いつも道具の後処理を任せていた業者に任せて処分してもらった。前々から便利だと思っていたが、未だにこの繋がりが役に立つとは思ってもみなかった。

次の日からは今まで通り、普通に通勤した。仕事は相変わらず単調で、謝罪続きの日々だ。毎日ニュースや新聞を確認していたが、有馬凛という女性が亡くなった、といった記事は見かけなかった。恐らく光浩の仲介人とやらが何とかしてくれたのだろう。偉い人というのは本当に偉いのだな、と大内は感動していた。同時に新たな行方不明者が出たという記事も見かけなかったため、少し安心した。あの件に意味があるのか、疑問だったのだ。

 一週間後、大内は県の中心市街にあるバーに来ていた。薄暗い店内はクリーム色の壁紙と木造の家具で統一され、ジャズの曲が流れており、まさに“こじゃれた”バーという雰囲気だった。正直、こういう店は緊張してしまうため苦手だ。

「結局、行方不明者は見つかっていないそうだ。既に取引は終わっていたのだろう。資金源が無くなったことでひとまず落ち着いたようだが、新たに資金を獲得した大村は、また別の動きを見せるかもしれないな」

 大内善浩と有馬光浩は、カウンター席に並んで座っていた。店内に人影は少なく、他に二、三組のカップルが座っているだけだった。

「大村を逮捕することはできないのか?もう犯人であることは確定しているんだろ?」

「情報から見れば大村であることは間違いないそうなのだが、どうにも証拠がみつからないらしい。そこが大村の上手いところだ。それを知っている中国のマフィアは、さらに大村に仕事を寄せるだろう。そういう意味では、うまくいくようにできているのだろうな」

 後ろ向きな発言をする割には、光浩は爽やかな表情をしていた。恐らく日本を救うとかそんなことより、有馬凛との繋がりを切れたことの方が、より意義があるのだろう。

「それにしても、良かったのかい?あんな人間だったとしても、自分の実母を亡くしたんだよ」

 前々から気になってはいたのだが、仕事の邪魔をするかもしれないということで、聞くに聞けなかったことだ。もしかしたら心のどこかでは、少し罪悪感とか、淋しさのようなものも感じているのではないだろうか。

「あの時も言ったが、私にとって家族は父さん一人だけだ。法律は関係無い。私が決めたことが、私にとって正しいことなのだ」

と光浩は僕に微笑みながら答えた。父親孝行な息子だなあ。

「それなら良いんだ。ところで、まだこの仕事は続けるつもりなのかい?今回は相手が特に抵抗しなかったから、比較的楽だったとは思うけど、今後もっと厄介な相手が現れるかもしれないんだよ」

「心配してくれているのだな、嬉しいよ。この仕事は続けるつもりだ。今回相手が実母だったことが後々発覚したのだが、忠誠心が示せたとかで、仲介人が今後もいい仕事を回してくれることを約束してくれた。それに、今まで失敗したことが無いから、恐らく向いていると思う。それに」

 光浩は一度言葉を切って、改めて大内に向き直り、目を細くした。

「それに、今後は最も信頼できるパートナーに助けてもらえるだろうからな」

「え」

 この時、大内は息子が自分に助けを求めてきた真意が分かった。確かに最近は非日常に憧れているとか、中学生のようなことを考えていたけど、まさか実現するとは思ってもいなかった。しかし、唯一の大事な息子のお願いとあれば、断れないのが親心というやつだ。

「分かったよ。『僕は死んでも光浩の父親』、だもんな」

 これから面倒事に巻き込まれるとは思うが、不思議と嫌な気持ちはしなかった。それよりも、息子に頼られていることの方が嬉しかった。

「また仕事が来れば連絡する。それまで楽しみにしといてくれ。ああ、それと、言っておかなければならないことがあった」

 大内は少し身構えた。まさか、子供ができたと言い出さないだろうな。

「悪いな、こんなことになってしまって」

 数年前に見た悪戯っぽい笑顔が、僕の両目を捉えていた。


 初投稿です。中庸と書いてあたり・いさおと読みます。

 この話は、友達のご両親が離婚していることを聞いてから、少し取り入れてみようと思って書きました。自分の両親は仲が良い方なので、両親が離れ離れになる辛さを理解できるとは思いませんが、想像を絶する辛さだと思います。家族は幸せが一番、というのが僕の考えです。形がどうであれ、幸せなら良いと思います。

 また、この話は勢いで書いた部分もあり(大半ですが)、至らぬ点が多々あるかと存じますので、ご指摘、ご感想等頂ければ幸いです。

 それでは、読んでいただきありがとうございました。気が向いたら続き書きます。

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