魔王とNo.2
魔王城。
この城は人間が築いた物を何百年も前に魔王軍が占領したもので、歴代の魔王が本拠地としてきたため魔族の間ではこのように呼ばれている。人間がかつて付けた呼び名はあるが、誰も呼ばない。
その魔王城の一角。濡れ羽色の刀身をもつ大剣が壁に架かったその王の間に、白髪の老人と非常に大柄な黒髪の男が集っていた。
この老人こそ、当代にあたる第7代魔王のノーデンスである。約300年前の魔王就任以来、領土奪回を目指す人間達の軍勢を過去幾度か薙ぎ払った、魔の王国の上級悪魔である。
しかし、その武勇も既に過去のもの。かつては妖しい銀色だった髪は弱々しい白髪となり、浅黒の肌に覆われた身体は歩くのも辛い程痩せ細る等、人間界に長く居すぎた事による衰えとの戦いを余儀なくされており、実権を少しずつ後継ぎに移していた。
しかし衰えたとはいえ、体内には未だ並の魔族を凌駕する量の魔力を温存しており、名実共に支配者として君臨する老雄だった。
黒髪の男はハルファス。勇将・猛将・知将の3つの椅子からなる最高幹部"魔王三翼"の筆頭たる勇将であり、ノーデンスの後を継ぎ第8代魔王となる事が既に決定している魔族である。深い紫色の眼が落ち着いた印象を与えるが、良くも悪くも冗談を言わない硬い男として周囲には知られている。
ちなみに、次代魔王には勇将がなるのが魔王軍の慣例である。
「人間どもの様子はどうだ?」
外見だけでは人間とたいして見分けのつきにくいノーデンスが、柔らかそうな玉座に深く身体を預けながらハルファスに問い掛けた。
「はっ。コボルドどもに探らせたところ、人間どもはアドラメレクを討った後二手に別れ、一隊が東へ進んでいるようです。周辺地域の魔族達には兵を連れ、王城へ参じるよう指示をだしました」
身長が人間の成人男性の1.5倍はあるハルファスは、窮屈そうに屈強な身体を曲げて臣下の礼をとりつつ、敵の動きと現在の対応を伝える。
アドラメレクとは、すなわちレティーシャの父のことである。紅い短髪に象徴されるような気性の荒い大男だったが、その気性からくる爆発力をあてにされ、戦ではよく先陣を任されていた。
「うむ、それで良い。我ら魔族は個々の武勇に優れるが、人間どもは集団の統率に優れる。皆が思い思いに戦おうては勝てるものも勝てまいて」
二、三うなずき、ノーデンスはハルファスの指示を追認した。
「しかし、アドラメレクが敗けたのは痛いな。あの不屈の闘志、必要なのは今この時だというのに」
「もう闇に還った者の事を悔いても仕方ありません。今は旗下の諸将を参じさせ、この雪辱を晴らさなければ……それと魔王様、2つ気になる事があるのですが」
「東へ向かった事と、今が夏である事だな」
自分が言わんとした事を言い当てられたハルファスだが、さして驚いてはいなかった。肉体はともかく、頭脳は未だ現役であるこの魔王なら、これぐらい容易い事である筈なのだ。
「最後に人間どもが攻めてきたのは確か……もう100年は前の秋になるか。その時はこの城と余の首のみを目標にしておったな。それ以前も、魔王の討伐を目指して主に秋から春に兵を進めていた」
「なぜ東なのか……魔王様は、どう思われますか?」
魔の王国の東へ向かっても、あるのは山脈と丘陵だけ。目の前の敵を無視してまで、何故わざわざ逃げ場の少ない場所を何故目指すのか?
「ふむ、普通に考えるならば、我らを誘い出し野戦を挑む構えだな。自ら退路を断つは、死地に追いやる事により、兵どもに死力を振り絞らせる為か。だが、それは無いだろうな」
魔の王国は天から見ると釜のような形をしており、西側の海岸線を除けば人間の領域と唯一往き来可能な釜の口がアドラメレク領なのだ。そしてこの夏の時期、西側の海は荒れ、船の航行は困難である。
つまり、ノーデンスら防衛側にとっては、アドラメレク領を奪還さえしてしまえば敵の補給を妨害できる事になる。
そのような状況で重要拠点の守りを手薄にしてまで人間どもが何をしたいのか、理解に苦しむものである。
「大物見だ。アドラメレク領の敵の様子を探れ」
「はっ。では、誰に命じましょう」
大物見、つまり軽くつついてみて反応を探る事にしたのは良いが、次は人選が問題である。
常備軍を持たない魔王軍には偵察専門の部隊が存在しない。そして偵察という任務の特性上、適当に戦い、適当に切り上げ帰って来れる慎重さを持っており、かつ交戦が前提になる以上強力な者を指揮官に抜擢したい。
最後の一兵となってでも戦いぬく闘志など、少なくとも今この場では求められていないのだ。
「……お主か"知将"くらいしか思い付かんな。あいつは駄目か?」
魔王三翼、もしくは三翼に次ぐ実力者を派遣したいが残念な事に、今魔王城内にいる者共の中で、この仕事を任せられそうな人材は非常に少なかった。
力不足なのではない。適当なところで戦いを切り上げてこれそうな者がいないのだ。
「それが……知将殿は今回の戦に興味が無い様子。参戦を拒否されております」
ハルファスの言葉を、ノーデンスは呆れ半分怒り半分で聞いた。期待はしていなかったとはいえ、実際やられると腹立たしいものがある。
「まったく、あの女はどこまでも自分本位だな。まあ、魔族らしいといえば魔族らしいが」
「そうですな。それと、その女からなのですが、アドラメレクの遺臣を先陣に用いてはどうかとの代案が出されています」
悪くはない案だった。アドラメレクの遺臣なら実力は問題ないだろう。ただし、実力以外で問題がある。
ひとつは彼らがノーデンスの配下ではないこと。彼らはあくまでアドラメレクの部下であってノーデンスの部下ではない。
敵に背を向けて逃げてまで貫いている、アドラメレクからの最後の命令が完了しない限り、こちらの命令を素直に聴いてくれるかどうかわからなかった。
そこで、ノーデンスはあることを思いついた。アドラメレクにはつい先日顔を見たばかりの娘がいるではないか。
「奴には娘がおるな。使えぬか」
アドラメレクが大喜びで娘の誕生を聞いてもいないのに報告してきた日から考えれば、そこそこの歳になっている筈だ。
「確かにおりますが、レティーシャ嬢はまだ20にも満たない、魔名
まな
すら持たぬ小娘です。使えるかどうかは……」
「あくまでも自分の意思が大事だが、もし行きたいと言うたら兵の100も持たせてみよう。遺臣らも、そのレティーシャ嬢が指揮を執るならば文句あるまい」
ハルファスはノーデンスの大真面目な指示を不審に思った。いくら物見は重要とはいえ、素人を引っ張りだしてまで今すぐにせねばならないことなのか。今王城にいないというだけで、魔王軍全体には大物見を任せられそうな者はちゃんといる。
彼らの到着を待ってからでも良いのではありませんか、とハルファスは疑問を口にした。
「確かに、普通に考えれば彼らを待ってからで良かろう。だがな」
ノーデンスは、ハルファスの意見を肯定した上で、自分の危惧を口にした。
「長生き故の勘とでも言うのか……此度の人間どもは、今までとは違う。対応を少しでも間違えれば、我らがこの世界から叩き出されかねない。情報の為ならば、最悪……」
「御意。彼女には私から意思を問うておきます」
ノーデンスが言わんとしたその先を、ハルファスは自らの言葉で制した。指揮する立場に在るものとして、それは最後の最後まで口にしてはいけない事だと思ったからである。
ハルファスが一礼と共に退室したその外で、集まり始めた雑兵らの罵声が聞こえていた。