◆嬉しい!!
むっつりとした桐崎さんに、その桐崎さんに甘えるように抱きついている如何にもな人は、何と桐崎さんの実のお兄さんらしい。
らしいって言うのは、桐崎さんだけの意見だから。
お兄さんはお兄さんで意見があるらしいんだけど・・・。
「もう、私の事は芽衣って呼んでっていつでも言ってるでしょ。それかお姉ちゃん」
「何が‘芽衣,だ、何が‘お姉ちゃん,だ。気色悪い」
「ひっどーーい。芽衣、悲しい、悲しいわ。」
さっきからこの調子で、全くというか全然話が進まない。
まぁ、私は無色だから良いけど、二人は会社があるんじゃないの?仕事あるんじゃないの?
兄弟中が良いのも良いけれど、程々にしておいた方が良いと思うの。
「おい、その生温い瞳で俺を見るのはヤメロ。コイツとは人種が違う。」
「あら、誰のお陰で社長でいられてると思ってるの、なっちゃんのクセに。」
「・・・・・・っく、」
ギリギリと歯ぎしりが今にも聞こえて来そうな形相の桐崎さんに、私のお腹は痙攣しそうだった。だって、だって、あの桐崎さんが『なっちゃん』だなんて。
これが笑えずにいられる?
(ううん、無理。無理ったら無理。例え天地がひっくり返されたって無理。)
笑いたいのに思いっきり笑えないのは苦しい。ここで私が笑ってもお兄様、――お姉様には怒られないだろうけれど、桐崎さんには恨まれちゃうから笑えない。だけど、だけど・・・っ。
「あー、無理っ。もう無理。なっちゃんって、なっちゃんって、子供扱いされてるし!!しかも女の子みたい!!」
こんなに笑ったのは本当に久しぶりで、ううん、もしかして初めてかもしれない。とにかく私はお腹が捩じれるくらい大きな声で笑い続けた。
見るからにイイ大人が、一目見れば心惹かれるだろう男性が、女・子供扱いされるのは下手な芸人のコントより面白い。だから、笑って許してよ。
でも桐崎さんは、そんなに甘くはなかった。
そして、だからこそ驚いた。
「央子、笑ってる暇があるんだったら、このろくでもないバカ兄貴を追い出せ」
「・・・(茫然)」
「おい、央子!!」
あれ?
やっぱり聞き間違いじゃない。
今、私の事名前で呼んだよね?
私の夢、幻、幻聴じゃないよね?
ゆるゆると緩んでくる頬に、私はとても言葉で言い表せない位の嬉しさを感じて、感謝のハグを、桐崎さんにお見舞いした。
だって嬉しかったから。
名前を呼んで貰えるって事が、こんなにも心を揺さぶられる事だったなんて、私は今日、この日のこの瞬間まで知らなかった。
名前一つで嬉しくなっていた私は知らなかった。
これからの私達の未来を・・・。