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啼く鳥の謳う物語

作者: フタトキ

あと何秒。

あと何分。

あと何時間。


早く夜よ明けてくれ。



「なにが迷惑かけんや」

心配でここ1週間まともに眠れないやんけ。

「ユウ?」

梨々(りり)。おはよーな」

「大丈夫なの?最近どんどん窶れていってるように見えるけど」

それは俺自身、朝方、鏡の前に立った時に思ったことだ。

「大丈夫。なわけないやろ」

あいつが。

「これあげる」

そう言って梨々が俺の口に押し込んだのはチョコボール。

梨々は可愛い顔して小さな箱を振る。中でチョコボールがぶつかる音がした。

「ありがと」

「ユウ、無理は禁物。幸い明日から三連休だからゆっくり休みなよ」

「休めたならな…」

「どういうこと?」









「暫く泊まらせて」

「は?」

1週間前、崇弥(たかや)は突然俺の家にやって来て突拍子もないことを言った。

「家賃は後払いで」

そして、彼はずかずかと……

「ま、待てや!何普通に泊まろうとしてんのや!?」

「後払いじゃ不満?」

リビングに入り、ソファーに乗る雑誌や読み掛けの本を乱雑にテーブルに起きながら聞き返した。

「不満やないけど…」

「じゃあいいだろ」

そして、ソファーに寝転がった。「お休み」の掛け声を最後に崇弥は眠りにつく。

「って!何でや!!何で突然泊まらせてなんや!?」

「煩い」

「何が煩いんや!!!」

と、ぎろりと睨まれた。

黙れ。

目でそう訴えてくる。

何でや。ここは俺の家なんや…。

「崇弥!!!!!!!!!」

叫んだ。

ここ数年の内で聞いたことのない大きさで。

崇弥は目を真ん丸にして再び睨む。

負けちゃいけない。

「詮索はしない。そう約束した。でもな、ここに居たいんならせめてその理由だけでも教えてや」

崇弥は鋭い眼光を俺に向けるだけ。この行動にはかなり苛っとくる。

「聞いてんのか!?なにが後払いや!俺の家をホテルか何かと思ってんならどうにかして帰させるで!!!」

「へぇ、どうやって?」

あからさまな挑発。売られた喧嘩は買ってやる。

琉雨(るう)ちゃん達に言う」

と、出てきた言葉はショボい。もう完成度なんてどうでもいい。俺は実行に移すことにした。

俺は踵を返して玄関に向かおうとしたが…

「俺ならこうだな」

「うわっ」

俺の後ろに立った崇弥は俺を抱き締めるようにして俺の腕を前で掴んだ。そして、低い声で言う。

「お前を縛り上げてここに拉致監禁。で、毎朝仕事場に曰く付きで欠席を伝える」

片手で電話を掛ける振りをする崇弥の力は強くて逃げられない。

「そう長く持たないで」

これしか言葉がない。崇弥は俺の肩に一度頭を乗せて沈黙すると、やがて顔を上げて俺の耳元すぐ近く、唇が耳朶に触れるか触れないかの所で囁いた。

「そうだな。その時は……」


…―死のうかな―…


「なっ!!?っんぐっ」

冗談には聞こえないその声に叫ぼうとした俺は崇弥の手に口を塞がれる。手で外そうとしたが腕が掴まれていてそれが出来ない。

「最近、右肩がよく痛む。今までは夜だけだったけど、日中にも痛むようになった。そんで、昨日の昼頃からの記憶が全くないんだ。このままだと何をしでかすか分からない」

と、やっと崇弥は口を塞いでいた手を外した。

「だからって」

「ちぃの近くには居られないから」

「なんで千里(せんり)君なんや」

と、

「ひっ!!!?」

崇弥が俺の耳朶を噛んだ。

「詮索はしない。約束だろ」

「だ、だ、だからって何でみ、みっ、耳噛むんや!!!!」

「何?耳じゃ不満?赤くて果実みたいだったから。それとも唇がよかった?」

崇弥の人差し指が俺の唇をゆっくりと這う。

何言うてんのや!!!!!!

「そう言う崇弥の方が赤いやんけ………崇弥、酒飲んだな」

酒臭い。

「ふん」と崇弥は唇を尖らせた。そして、ふらふらする足取りで俺をソファーまで連れていくと、彼は俺を膝に乗せて座った。

「放してや」

「矢駄。後払いって言ったのは悪かった。理由は話したから泊まっていいだろ?」

いいと言うまで放さないつもりだ。

「分かったよ。泊まってええよ」

「アハハ、ハハハ…」

なんやこいつ。

崇弥は盛大に笑い始めた。何に笑ってんのや。

「喰っていい?」

「は?」

意味不明のことを訊いてきた崇弥は一瞬で俺をソファーに組臥せた。

クウ?

「彼女いる?」

「いないわ!!」

ムカつくこと訊いてきやがる。

「じゃあ、司野(しの)の唇喰っていい?」

…………………………………。

「お前、男やろ!!!!」

「だーかーらー?」

…………………………………。

ぐっと近付く崇弥。

「崇弥、近い近い近い近い近い!!!!」

顔を叛けると崇弥は肩を押さえていた手を放して俺に正面を向かせた。

近い!

「ストップ!」

「何?」

「キ、キ、キ、キスってのは好きな人とやるんやろ?」

「キス?え、何?俺が司野にキスするのか?っははは、ははは、あー。俺が司野にキス?」

話が噛み合わない。

「だって唇喰うってキスやろ?」

「ふーん」崇弥の目が意地悪く輝いた。

「大丈夫、安心しなよ。キスはしない」

「だ、だよな~。男同士でキスなんてな?」

「キスじゃなくて無理強いだから」

は?無理強い?

って!!!!

「無理矢理だからキスじゃないだろ?」

はあ!!!!!?

崇弥が眼鏡に手をかけた。

「邪魔だな」

あっさり取られ、テーブルに畳んで置かれる。そして眼鏡が取られてぼやける崇弥は俺の顔をじっと見た。

「綺麗だな。その髪も目も何もかも」

歯の浮くような言葉。

男に言われても嬉しくも何ともない。

「マジなん?」

「マジ」

「嘘やろ?」

「司野」

そう囁く崇弥の目は真剣だった。

近くなる…。


「抵抗しないわけ?」


恐る恐る目を開ければ崇弥がソファーに座り直して俺を横目に見ていた。結局何もしてこなかった崇弥は感情のない瞳をただただ向けてきた。

「嫌い、そう言えよ」

「崇弥?」

俺に呼ばれて、崇弥は顔を叛けた。

「俺のこと嫌いだろ?突然家に押し入ってきて、無理矢理キスしようとして」

崇弥の口調が荒い。

「崇弥?」

あの時と同じ。初めて会った時と。

苛立っている。

「俺のこと軽蔑しただろ?もう顔なんて見たくないだろ?」

「崇弥。こっち向けや」

向かない。

「見たくない」

「崇弥は俺は崇弥の顔見たくないって思ってるんやろ?だったらこっち向いたってええはずや。俺は崇弥の方を向いてないんやから」

彼はこっちを向いた。複雑な表情。

「崇弥、本音は?」

「言うかよ」

「本音あるんやな」

「てめぇ!」

崇弥が怒りを露にした。でも、怖くない。

「餓鬼が。崇弥の望むこと分かるで」

分かる。

餓鬼の崇弥の望むことなんて。俺は上体を起こすと見下ろした。

「俺が崇弥の方から離れさしてやるわ!!」

図星だろ。

「これはキスやない。無理強いや!」

崇弥の首の後ろに腕を回し、引けば…


「やめろ!」


ガタンッ

「っ!!」

俺は崇弥に突き飛ばされ、体を壁に背中から打ち付けた。

痛い。

口の中切ったし、足を有らぬ方向に捻った。激痛が身体中を駆け巡る。

それよりもだ。

ムカつく。

崇弥にとてもムカつく。

「崇弥!俺のこと嫌いになったやろ!!!!そうやろ!!!?俺だって崇弥のこと嫌いや!!」

今の崇弥は大っ嫌いや。

「全てを失う前にその全てを消し去る。馬鹿餓鬼の崇弥の考えそうなことや!怖いか?怖いだろうな、失うことは!!!!」

失うことが怖いのは誰だって同じだ。

「俺だってそうや!大切なものを失うのは怖い!」

生きてきて俺は失い、俺は失いかけた。

あの時の悲しみは酷く痛く、あの時の不安は酷く恐ろしかった―…

「好きなものは手に入れたい。好きなものは誰にも渡したくない。好きなものはいつも輝いていて欲しい」

だけど―…

「独占欲の塊や!自己中や!感情的や!」

それでも―…

「俺は崇弥を手に入れたい。誰にも渡したくない。いつも輝いていて欲しいんや!」


…―俺は崇弥が欲しいんや―…


「だから、そんな大切なものから突き放されることは何よりも怖いんや!!」

俺達は出会った。

その事実は変えられないし、変えたくない。

「崇弥は自分より他の人が苦しむことに苦しむ。他の人の為にわざと自分を嫌うようにさせて自分から離れさせる。一石二鳥ってか!?そんなの偽善や!!!!」

崇弥の優しさは時にとても残酷に聞こえる。

「崇弥を嫌いになれるわけないやろ!皆そうや!嫌いになれるわけないんや!皆崇弥が好きなんや!だから崇弥にそんな態度取られると苦しいんや!悲しいんや!」

崇弥が思ってる以上に俺は崇弥が大好きだ。

「馬鹿餓鬼!大馬鹿餓鬼!悩むのは年長者の仕事なんや!!!お前みたいな馬鹿餓鬼の仕事やない。馬鹿餓鬼は年長者に頼ればいいんや!馬鹿餓鬼より経験積んでるんやから!」

頼ってええんや。

…………………………なんや?

「司野?」

崇弥が険しい表情を見せる。

なんだか…

「痛い」

とてつもなく痛い。

「……っ…うっ…つぅ……はぁはぁはぁ……うっ…」

またや。

胸が苦しい。

背中も足も口の中も頭も全てが痛い。

「司野!」

崇弥が叫んだ。




微かな痛みを感じて目を開ければ上半身裸だった。

「ひゃぁ!」

我ながら女々しい悲鳴を上げて反射的に前を隠そうと手を上げようとしたら…

「手当てされとる」

捻った足には湿布が。

切れていたらしい口の端には絆創膏が。

先日監査現場で労働者同士の喧嘩に巻き込まれてできた身体中の怪我には包帯が。

傍らの静かな呼吸音の合間から微かな呟きが聞こえる。

「……ごめ…ん………」

隣の物体は僅かに身動きすると再び安らかな寝息を発てた。

「崇弥がこれを…?」

崇弥がソファーの座席に頭を置いて眠っていた。

小さく口が開き、柔らかそうな前髪が吐息に揺れる。

痛む回数が増えたと言うからあまり寝れてないのだろう。

「…ごめん…………氷羽……」

崇弥が小さく、しかしはっきりと呟いた。

ヒワ?

何処かで…

「うっ!な、何や!?」

頭痛だ。

今までの比にならない。

「っ!!!!!痛い!…っう!!!!!」

ぐわんぐわんと頭の中で鳴り響く。視界が歪む。

痛い。

止まらない。どんなに強く押さえても、少しも良くならない。

飛びそうになる意識に自らの手の甲に爪を立てて現世にしがみつく。

痛い。

意識を手放してはいけない。そう直感する。

「っくうぅ!!!!!」

痛みに汗が吹き出す。

傷口が一斉に疼く。

立てた爪のせいでそこから血が流れ始める。

背中が脚が全身が熱い、重い、痛い。

この頭を粉々に壊すことが出来たら…

―ぼくの大切な方の名をお前みたいな穢れた奴が口にするな!!!!!―

君は…

―殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ―

痛みが増す。

「っうぁ!!!!!!」

―殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ―

手が動く。左手が俺の意思に関係なく。起きない崇弥に向かって。

―殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ―

俺の手が崇弥を殺す!?

「……やめろ…」


―アイツを殺せ―


「やめるんや!彩樹(あやき)君!!!!」

勝手に動く左手をテーブルに右手で押さえ付ける。

彩樹君のものやない。これは俺の体や。

崇弥が手当ての際に包帯を切ったと思われる鋏。

それを握った右手で左手を…

「―!!!!!!!!!」

骨が歪んだ音を発てる。

血が滝のように流れ出す。

痛い。




…………し………の……しの…

煩いやんけ。そんなに呼ばんでも起きるから…

「司野!」

崇弥?

「司野!!」

「…た…かや?」

崇弥洸祈?

「司野…………ごめん」

崇弥は俯き、嘆息した後謝った。

なんで崇弥が謝るん?

「崇弥?…っ!!!!!?」

痛い。重い。熱い。

「手が…」

巻かれた包帯が真っ赤だ。早鐘を打つ鼓動に合わせてそこがズキンズキンと痛む。

と、血に濡れた鋏が目に入った。

あの鋏は………。

あぁ、俺は……また人を殺そうとしたんやな。

「ごめん。俺はここに来てはいけなかったんだ」

…―俺は犯罪者―…

痛い。

崇弥の言葉が痛い。

重い。

俺の頭が重い。

熱い。

全てが熱い。

色んなものが奥深くに突き刺さる。抜けなくて抜けなくて…。

崇弥は立ち上がる。起き上がらなくてはと俺はソファーに座り直した。

「崇弥?」

「ホテルに泊まる」

無機質な声で畳んであった俺の長袖をソファーの隅に置く。

崇弥が踵を返す。

何処かに行ってしまう。

……………………………嫌だ。

「嫌や!」

「何!?」

嫌。そう口にした時、俺は崇弥を捕まえていた。

「放さへん」

「司野!」

俺は左手の傷口から血が流れ出すのを感じながら腕の中のものを締め上げた。崇弥がもがく。

「絶対に放さへん」

「苦し…い」

崇弥の手が俺を掴もうとしては床を打つ。

「俺は崇弥を手に入れたい。誰にも渡したくない。いつも輝いていて欲しい」

…―狂った犯罪者―…

「……し…の……苦し……い」

崇弥は俺の背中に手を回し、力なく爪を立ててくる。

馬鹿な俺は考える。

その行為は崇弥は俺を抱き締めているんだと。

「崇弥はきっと帰って来なくなる。嫌や嫌や!崇弥のいない店になんか絶対に行かへんからな!」

「…し…の……は…な……せ」

くぐもった声で崇弥は訴える。

「誰にも何も言わずに俺達の元から離れていくんやろ?許さへん!」

「……………」

崇弥の腕が俺の背中を滑り落ちた。

もう抱き締めてくれへんの?

「崇弥が何したってええ。俺達が止めるから!だから、ここに…皆のいるこの場所に居てくれや!」

と、首筋に奇妙な衝撃が走った。

この感触は……

崇弥が俺の首に歯を立てやがった!

「っあっ!!!!!!」

腕の感覚がなくなり、全身が痺れる。

「放せって言っただろ、司野」

腕の中から顔を出した崇弥の顔は満更でもないようだ。

陽季君のせいなのか!

「だからって…崇弥の馬鹿!」

馬鹿野郎!

「泣くなよ。聞いてるこっちが赤くなるような台詞を二度も言われて、ここに居て欲しいって言われたら何処にも行けないだろ?」

「だからなんで噛むんや。犬か何かか」

情けない声しか出ない。今日1日分のエネルギーをさっきの一瞬で使い果たしたような気分だ。

「腕には力が入らない。だったら噛むしかないだろ?最善の行動をしただけさ。俺は死ねないからな」

『死ねないから』最後に放たれたこの言葉は妙に俺の耳に残った。

ちょっと前に崇弥は『死のうかな』と言った。あの言葉が俺には嘘に感じられなかった。無意識の内に彼は言ったように見えたからだ。

崇弥は何かしらの死ねない理由があるが、それから解放されたいと感じて死にたいと口走ったのかもしれない。

崇弥は秘密だらけだ。






まぁ、そんなこんなで崇弥に散々振り回された俺はあの時見せた笑顔を苦痛に歪める彼を心配して寝れないのだ。こうしている間も効果の薄い鎮痛剤に毒づきながら悶えているかもしれない崇弥のことを考えると仕事に集中出来ない。



「あ~、あ~!あ~!!」

「うっせぇ、馬鹿」

ベシッ

瑞牧(みずまき)さんに紙束で頭を叩かれる。手入れも何もしていない自分の髪が視界の端で舞った。

「朝からあーあーうるせぇんだよ!お前は赤ちゃんか!!」

ゴンッ

と、俺は瑞牧さんの拳の追撃を喰らった。

「だって~」

「司野、敬語を…」

隣に座る原田(はらだ)が忠告をしている最中に…

ゴンッ

「上司には敬語使いやがれ」

冷たい瞳で見下ろす瑞牧さん。痛い。

「後に瑞牧さんのかっこよさに言葉を失ったからや。って付けようとしたのに」

俺は取って付けたような悪足掻きをした。効果は望めないがこれ以上殴られることは回避できるはずだ。

「え?瑞牧さんいつもと変わらないじゃん。ぼさぼさ頭に無精髭」

あぁ、ここに馬鹿がいる。俺よりも馬鹿が。

「原田、瑞牧さんに謝りや」

「は?何でだ?」

「だってな」

瑞牧さん可哀想。

原田御愁傷様。


ゴンッ


「ったあぁぁぁー!!!!!!」

「原田煩い。仕事に集中出来へんやんけ」


瑞牧さんの髪型普段と違うんやで。ほんの少し、例えるなら米粒ぐらいやけどな。



「はぁ~」

「久しぶりに上司が昼飯おごってやってるのに溜め息とはいい度胸だな」

「だってこれ一番安いのやないですか」

あ、間違えた。

瑞牧さんは火のついた煙草をこちらに近づけてきた。

「危ないです」

「安いって文句垂れるからだ。司野、お前、人様の気持ちを考えて喋りましょうってママに教わらなかったのか?」

ママに教わったこと?

「俺が教わったことは遊ぶな、逃げ出すな、大人しくしろ、迷惑をかけるなぐらいや……って、すまんな~。食事が不味くなってしまうわな」

「司野は小さいな」

と、原田は俺の頭をくしゃくしゃと掻き回してきた。

鬱陶しいのでそれを払う。原田は苦笑するだけだ。

「んで、砂雫石(さしずく)が仕事多すぎですよ。ユウ、顔色悪いじゃないですか。って俺に言ってきたんだが」

棒読みで瑞牧さんが俺をぎろりと睨んだ。

何故って?

瑞牧さんの幼馴染み、仲都(なかと)総務官は課に幾つかのルールを設けている。

その中の一つ。それは“雑務の職員には敬意を払うこと”だ。

『雑務の人々は私達の仕事を支えているのだからね。雑務いての労働課。敬意を払って当然だろう?』が彼の言い分。

間違ってはいない。

雑務の仕事はその名の通りありとあらゆる雑務をこなす。多くの部署が連携しているこの労働課は雑務なしでは機能しないのだ。

というわけで苦手な女性といえど、後輩といえど、瑞牧さんは砂雫石梨々の注意をちゃんと聞かなくてはいけないのだ。そんなわけで今朝の俺の様子を心配した梨々に注意された瑞牧さんは、原因であり、敬意を払わなくていい後輩の俺に苛立ちの矛先を向けたのだ。

「と…言われて見れば顔色悪いな」

瑞牧さんは眉を上げた。厳しい目付きが普段の眠そうな目付きに変わる。

「そう言えば。最近司野のボケが減ってきたよな」

「体調悪いとボケが減るって、原田俺を舐めてんのか!?」

俺は調子が良いとボケてばかりいる能天気野郎か!?

「ごめんごめん。ショートケーキ奢るから」

甘いもの…欲しい。

俺のプライドは純白の姫君、ショートケーキの前に朽ち果てた。

「でも、砂雫石の言う通り顔色悪いけどどうしたんだ?確かに瑞牧さんの出すノルマは多いけど今までそつなくこなしてただろ?風邪か?」

「睡眠不足にストレスやな」

自己分析は出来ている。しかし、解決法がない。

「睡眠不足?ストレス?夜中に何やってんだよ」

半分になった煙草を灰皿に押し付けると瑞牧さんが頬杖をついて訊いてきた。

「崇弥の看病してんのや」

「あの生意気小僧の看病か。随分とあいつに御執心だよな」

「執心?」

執心とは何かを手に入れたく思い、それが心から離れないこと。最近では恋心を抱くことをからかい、冷やかしの気持ちを込めて使われる。

俺は崇弥を手に入れたい。つまり、俺は崇弥に執心なのだろう。

「お前、心の中だだ洩れ。無意識だろうが呟いてるぞ」

呆れた顔で瑞牧さんは俺を見下ろす。

「崇弥を手に入れたい。って司野ってホモ?」

と、原田も更に呆れた顔で俺を見下ろした。

「ホモ?」

ホモは一般的に男性間の同性愛を指す。しかし、本来の意味はただ単に同型を表す。先程の同性愛の意味を表すならゲイが正しい。

俺は崇弥を愛してはいない。つまり、俺はホモではないということだろう。

あ、ホモセクシャル?

「心の中だだ洩れだから…瑞牧さん、今日の司野は顔色悪いどころじゃないですよね」

「あぁ。かなり深刻だな。ホントにあの生意気小僧に何されたんだ」

俺は回想してみる。

色々あったな。

「…押し倒された…キスされそうになった…肩噛まれた」

「ぐっ!!?ごほっ、ごほっ」

「大丈夫かいな、瑞牧さん」

瑞牧さんが何故か取り乱したので驚きだ。

「残ってた煙りに噎せたっごほっ…ごほっ」

苦しそうに咳をすると瑞牧さんは原田が持って来たお冷やをがぶ飲みした。

水を奪われた原田は口をあんぐりと開けている。

「あれ?瑞牧さんに取られてそんなにショックなん?俺の飲み掛けで良ければあげるで?」

「瑞牧さん、こいつ…」

「あぁ」

噎せ込んで赤くなった瑞牧さんは原田と以心伝心をしたようだ。上司と部下。これを“絆”と言うのだろうか。

「どないしたん?」

「司野、お前あの用心棒に飼い慣らされてるんじゃないか?」

飼い慣らす?

「何言うてんのや。崇弥は俺の息子―」

「息子ー!!!?」

と、叫んだのは…梨々だった。

「―みたいなもんや…で?」

……………………………………。

「息子!?」

「司野に息子!?」

「あの童顔に!?」

……………………………………。

辺りが騒がしくなる。

勘違いされとる。

「てか最後の誰や!!そこは許せへんで!!!」

何処をどう見れば童顔が息子の有無に関係するのや。いつもそうや。皆して何かと童顔に関係させやがる。

「まぁまぁ落ち着けってチョコケーキ奢るから」

ケーキで機嫌治すのは三十路前までだ。が、

「約束やで」

やっぱり俺のプライドは漆黒の姫君の前に朽ち果てた。

「ユウ、ユウ、ユウは既婚者だったの!?」

何故か梨々が慌て訊いてくる。

「なわけないやろ。崇弥は息子みたいなもん」

「よ、良かったぁ」

何で梨々がそんなに安心するだろうか。


「瑞牧さん」

「何だ?原田」

「司野って大人ですね」

「恐いぐらいにな」

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