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紳士は語らう

 テラスで女性陣が語り合っている頃、屋敷の南側にある応接室では、まるで別世界のような空気が流れていた。重厚な木製のテーブルの上には、琥珀色に揺れる強い酒が置かれ、ランプの灯りを受けてゆらりと光を返している。アルベルトとカシムは向かい合って腰を下ろし、ゆったりとグラスを傾けていた。外の静けさとは対照的に、ここにはどこか気の抜けた、しかし妙に熱を帯びた空気が漂っている。


 カシムは上機嫌だった。鼻歌まじりに愛用の魔導具を布で丁寧に磨き、その手つきには無駄がない。時折、仕上がりを確かめるように角度を変えては満足げに頷いている。そして、ごく自然な流れで口を開いた。


「それでさ、アルベルト。君たちは、いつ結婚する予定なんだい?」


 あまりにも軽い調子だった。まるで明日の天気でも尋ねるかのように。


「……結婚?」


 グラスを口元へ運びかけたところで、アルベルトの動きがぴたりと止まる。そのままゆっくりと顔を上げ、心底理解できないという表情で首を傾げた。


「誰と誰が、だ?」


 眉間に皺を寄せた問い返し。それに対し、カシムは一瞬言葉を失う。数秒の沈黙の後、信じられないものを見るような目をした。


「誰と、誰って…」


 そして次の瞬間、声を張り上げる。


「君とエメラルダ嬢に決まってるじゃないか!!」


 思わず身を乗り出しての熱弁だった。対してアルベルトは、ほんの一拍置いてから、


「はあ……」


 と、間の抜けた相槌を返す。あまりにも温度差のある反応に、カシムはがくりと力を抜き、椅子に深く座り直した。その視線は、まるで未知の生物でも観察するかのような色を帯びている。


「美しくて強くて、さらには古代魔術の行使者。しかも君と対等に議論ができる。そんな人間、世界中探してもそうそういないよ」


 淡々と並べ立てるが、その言葉には確かな評価が込められていた。それはアルベルトだって感じていることだ。エメラルダのような完璧な人がゴロゴロいてたまるか。でも、それがなんだというのだろうか。


「だから何だ?」

「だから何って、」


 カシムは額を押さえ、深く息を吐いた。


「それだけ条件が揃っていて親密なら、婚約していてもおかしくないだろうって話だよ!」


 アルベルトは再びグラスを傾け、ゆっくりと酒を喉へ流し込む。そして、あくまで平坦な声音で言った。


「婚約していなくても問題ない」

「辺境伯と元聖女の伯爵令嬢だろう!? どうしてお互いに婚約者がいない上に、最適な相手がいるのに婚約しないんだよ!」


 理解不能、と全身で訴えるカシムに対し、アルベルトは肩をすくめる。


「ただの古代魔術の同士だ。それ以上でも以下でもない。おそらく、それはエメラルダも同じ認識だろう」


 その一言で、カシムの動きが止まった。


「…同士?」

「そうだ」


 アルベルトは真顔のまま頷く。


「共に真理を追究する研究仲間。いわば相棒だな」


 その瞬間、カシムの手からクロスが滑り落ちた。床に落ちたそれを一度見て、アルベルトを見て、また床を見る。そしてゆっくりと頭を抱えた。


「ちょっと待ってくれ」


 深く息を吸い込み、吐き出す。


「君、本気で言ってる?」

「本気だ」


 即答だった。カシムはしばし絶句し、やがて心底呆れたように首を振る。


「…正気かい?」

「正気だ」


 あまりにも揺るがない返答に、カシムは天井を仰ぎ見た。


「じゃあ、聞こう。もし誰かがエメラルダ嬢にベタベタしていたら、どう思う?」

「……? 正直、想像がつかないな。エメラルダなら、不快だと思う相手から上手く逃げるだろう」

「無理やりにでも想像してみて」


 促されたアルベルトは、わずかに顔を顰めながら思考を巡らせる。


 誰かがエメラルダに触れる。

 距離を詰める。

 馴れ馴れしく笑いかける。


 ……気にならない、はずだ。いや、違う。わずかに、だが確かに胸の奥に引っかかるものがある。言語化できない不快感。理由の分からない苛立ち。もやもやとした感情が胸を蔓延る。


 その正体を掴めず、アルベルトは無意識に表情を変えていた。カシムはそれを見逃さず、目を細める。


「嫌じゃない?」

「……好ましくは思わないな」


 あまりにも回りくどい答えに、カシムは吹き出すように笑った。そして人差し指を立てる。


「僕はね、ナディアのためなら世界くらい敵に回せる」


 あまりにも当然のような口調だった。世界『くらい』と軽く言い切るその豪胆さに、アルベルトは心の中で驚いた。


「事実、禁忌まがいの行為にも手を出したしね」


 肩をすくめ、軽く笑う。そして、視線をアルベルトへ向けた。


「君も、僕と同じ顔をしてるよ」


 アルベルトは何も言わず、酒を飲む。だが否定もしない。その沈黙を肯定と受け取ったのか、カシムはさらに続けた。


「もしエメラルダ嬢に何かあれば、君はその原因ごと消し去るだろうね。存在した証拠すら残さずに」


 アルベルトは反論しようと口を開いたが、言葉が音になることはなかった。


 脳裏に浮かぶのは、かつて聖女と呼ばれた古代魔法の行使者。

 ≪祝福の魔女≫という異名に名前負けしないほどの実力を有する少女の不敵に笑う姿。

 誰にも縛られず、自由に空を飛ぶように生きる女。


 もし誰かがその翼を折ろうとしたら、


   __自分はどうするだろう。

 

 答えは、考えるよりも早く浮かんでいた。アルベルトは静かにグラスを置く。


「……確かに、彼女の道が誰かに阻まれるのは気に入らない」


 低く、静かな声。カシムの口元がにやりと歪む。一瞬だけ、アルベルトの目が冷えた。

 次の瞬間、カシムが机を叩く。


「それだよ!!!」


 心底嬉しそうに叫ぶ。


「それを世間では愛とか執着って言うんだ!」


 アルベルトはわずかに眉を寄せた。


「……違うだろ」

「じゃあ何だっていうんだい?」

「あー…」


 言葉が続かない。明確に否定する根拠も、かといって認める理由も見つからない。やがて小さく頭を振る。


「とにかく、恋愛感情が芽生えていない以上、婚約はない」

「貴族社会では、恋愛感情なんて後からついてくるものさ。婚約してから好きになるなんて、珍しくもなんともない。むしろ、外堀は埋めてなんぼだよ~?」


 軽やかな口調とは裏腹に、カシムの言葉には妙な説得力があった。先を見据え、機を逃さない。そんな計算高さが透けて見える。

 アルベルトはそれを感じ取り、あからさまに眉間に皺を寄せる。そして深く息を吐いた。


「ナディア嬢も大変だな」

「え、なんでナディアの名前が出てくるの?」


 きょとんとした顔で首を傾げるカシム。その様子に、アルベルトはわずかに口元を緩めた。


「お前のような男を制御しているんだ。苦労も多いだろう」

「制御って何さ。僕はちゃんと紳士だよ?」

「どの口が言う」


 間髪入れずに返すアルベルトに、カシムは肩を震わせて笑う。


「まあいいよ。君がその調子でも、いずれ気づく時が来る」


 グラスを軽く掲げ、意味深に言う。


「その時、手遅れじゃないといいね」


 からかうような声音。だがその奥には、ほんのわずかな心配が滲んでいた。アルベルトは答えず、ただ静かに酒を飲む。琥珀色の液体が揺れ、ランプの光を歪めた。


 夜は更けていく。テラスでは穏やかな語らいが続き、応接室ではどこか噛み合わない議論が続く。それでも同じ屋敷の中、異なる温度の時間が、互いに干渉することなく静かに流れていた。

 

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