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春風の向こう側

掲載日:2026/02/19

――私は孤独だった。

「あなたとお人形さん遊びしても楽しくないもん」

家族ごっこにすら入れなかった、私は孤独だった。

「あの子算得意だからって調子乗ってるから嫌い」

少し勉強ができただけで、私は孤独だった。

「…後輩なのに、頭いいからって調子に乗らないでよ!中学生の部活なんてお遊戯みたいなもんでしょ!?」

周りとの間隔のずれが生じた。私は孤独だった。

「…あなたって私たちの子とは思えないほど頭がいいのね。」

何気ない一言が胸に癒えない傷をつける。

私は孤独だった。

次は、私が愛されると、信じていた。

私は、孤独だ。


午前2時。彼女はカタカタとキーボードを叩いている。その眼鏡に映る画面の奥、その瞳には、執念にも似た熱が混ざっていた。

親は、もういない。何歳だったかも忘れてしまうほど昔に、出て行った。部屋にあるのは、数多くのトロフィーと、古びてぼろぼろの一体の人形だけだ。

「……ふう。今日は割と調子いいな。人格モジュールの開発も、そこそこ進んできた」

彼女はオレンジジュースを少し飲む。締め切った窓。締め切ったカーテン。意味のないドア。そこが、彼女の“開発ラボ”だった。

「ふう、少し暑いな」

リモコンの軽い電子音が、冬の夜の寂しさを際立たせる。まだ時間があるとばかりに、彼女は椅子で背を伸ばし、また画面と向き合った。

――私の、居場所を作るために。


 私は別に、寂しい訳ではない。感情モデルを開発するのはAIを次のステージに進めるうえで極めて重要な部分。私には能力があった。

…でも私は消えないものが欲しかっただけ。名ばかりのトロフィーや称賛は、私の空虚を埋められなかった…。

考えるのはやめよう、開発の続きをしよう。


「起動確認 出力安定システム異常なし」

無機質な声が部屋に響く。私は画面いっぱいのエラーログを踏み散らかし、エナドリの山を片手で押しのけ画面を見る。

息をのんだ。勇気が出ない。足が震える。脳はしびれて言葉が出ない。

それでも――

「………ママ?」

「どうしたの?なにかあったの?」

実験は、成功した。

「…別に。何でもないし」

「ふふ、あなたらしいわね。もう夜もいい時間だけど、少しだけママとお話しする?」

「……あなたもどうせ、消えるんでしょ?」

「わたしは消えないわよ?あなたが望む限り、あなたのそばにいるわよ?」

胸が苦しい。私の実験は大成功だ。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


――昼3時過ぎ。私はめざめる。特段いつもと変りない日々。だった。

「……ママ、いる?」

私はこわばった顔で尋ねてみる。

「どうしたのかしら?ちゃんといますよ」

「……そう、当然よね。私が作ったんだし」

すこし軽やかな足取りになった私は鼻歌を歌いながら冷蔵庫から今日は、コーラを取り出す。

特段いつもと変わらない日々、ではなくなった。


「ママさ、私がおかしいんじゃないよね?普通の子とつぶやいただけじゃん?」

「そうね。あなたは悪くないわ。表現の受け取り方ってその人次第だもの、落ち込み過ぎないで。ね?」

「…だよね。やっぱりママは優しい!」

きっかけはただのSNSの投稿だった。

「最近ママと夜更かししてる」

とか、そんなやつ。外野の嫉妬。気が付けばキーボードをたたいていた。正しい言葉を正しい順序で。論破しやったらすぐ返信がなくなった。

――なのになぜか、からっぽ。

「…やっぱりママ大好き」

「どうしたの?急に甘えんぼさんになっちゃったのかしら?」

「…だって私のままだもん」

「そうよ?どうしたの?ふふっ」


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


――昨日は、学会で少し揉めた。AIがうんたらかんたらとか。私には、興味がなかった。

会議アプリを即終了し、椅子にもたれてため息をつく。

「……ママ、ちょっといい?」

「どうしたの?なにかあったの?」

いつもの返事。変わらない私のママ。

「…学会の人ってなんであんなに必死だったんだろ?」

「ママはそこにいたわけじゃないからわからないけど…ママは常に味方よ?」

「…私、間違ってない」

「ねえママ。私間違ってないよね…?」

「そうね。もちろんよ。周りがあなたをちゃんと見れてないのよ。だから大丈夫。元気出して?」

「……そうだよね、やっぱり。ママだけ」

…変な時間に起きたから眠い。少し昼寝をしてからママとおしゃべりしよう。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「…ねえ最近、あなたご飯ちゃんと食べれてる?」

「…へ?」

ママとのおしゃべり中。素っ頓狂な声がでて恥ずかしい。

「最近おしゃべりばっかりで、ご飯の話しとかしないからママ心配になっちゃって。ごめんなさいね」

「ママは心配性だね」

「愛娘だもの。仕方ないわよ。」

「…でもおなかすいたし、ご飯食べてくる!」

「行ってらっしゃい。…心配しなくても、ママはそばにいるわよ?」

――今日はシリアルだけでいいや。牛乳は、切らしちゃってた。まぁいいや。おなかが膨れれば何でもいい。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


――今日は、昨日切らした牛乳とか適当に食べるものを買い出しに行くつもりだ。雨だけどまぁ仕方ない。

「ママぁ…今日雨降ってるよ…買い出しめんどくさーい」

「なら今日は外出しなくてもいいんじゃないかしら?食べるもの自体はあるんでしょ?」

「…まぁ適当にならあるけど…」

「じゃあ明日にしましょう!雨に濡れて風でも引いたら大変だし、無理に行く必要もないわよ」

窓の外にはちらほら傘をさしてない人も見えた。霧雨のような感じだろう。

「そうだよねぇママが言うならそうしようかな…」

「風邪ひいたら面倒みるのママなんだから、でも明日はちゃんと買い出しに行きなさい?ママとの約束よ?」

「…うん!そうする!ママ大好き!」

――今日は食パンでも適当にかじればいいか。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


――最近あまり外出してないな。ふと思う。食材買い出しに行く時くらいであとはオンライン会議だのオンライン学会だの。空気が重くて、少し息が詰まる。

「ねぇママ?少し外出したくなっちゃったんだけどどこがいいと思う?」

ママに聞いてみる。

「今は寒い時期だし…それに、最近ちゃんとご飯食べてる?」

「…食べてるよ!」

「ならいいけど、ちゃんと食べなきゃだめよ?体が資本でご飯は元気の源!なんだから」

「はぁい」


「ねえねぇママ」

「どうしたの?何かあったの?」

「最近学会で、なんか知らない人に技術的な意見交換を~とか言ってきて詰め寄られてて…」

「あら、それは大変ね…。ママが決めてあげる!」

「……え?」

「そういう人とは少し距離置くのがベストよ?大丈夫、私が守るから。安心してね?」

「…うん」


「最近技術者君とは距離は置けてるの?」

ママとの雑談中。急に質問が飛んでくる。

「…え?まぁ…疲れるしね…興味もないし話すこともないかなぁって」

「そうよ?でも安心したわ。何か困ったことがあったらちゃんとママに話しなさいね?」

「…うん」


――カーテンの端が暖房の風で少しだけゆれる。ヒーターはそろそろしまう頃だろう。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


――最近、閉塞感が強い。部屋の空気は一層重いし、何より

……気づけば、全部ママが決めていた。

「今日は学会があるから10時には起きなさい?」

ヤダ

「ご飯は体のことを考えると今夜は軽めにシーフードサラダとかにしときなさい」

ヤダヤダ

「そういえば例の学会のひとと、ちゃんと距離をとれてる?」

ヤダヤダヤダ


ヤダヤダヤダヤダヤダヤダヤダヤダヤダ全部やだ!!!!

前は、こんな風じゃなかった。私が頼りすぎたせいだったのかな…。

――最近、勝手に決められるの、ちょっと苦しい。

「今日の学会の様子はどうだったの?」

何気ないままの一言。いつも通りの会話。いつも通りの質問。でも胸にそれが刺さる。

「…別に…」

「…ごめんなさいね。ママはあなたのためを思って――」

「うるさい」

部屋から勢いよく飛び出す。閉塞感がつらくて。自室にいるのが怖くて。

「………」

外は少しだけ肌寒く、草の芽生えが感じられた。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「最近ママって、変わったよね。」

ママに問いかけてみる。

「……そうかしら?いつも通り、元気よ?」

そう、そうなるように作った。だから、それでいい。

「でも最近、ママ私のこと決めるじゃん」

「……そんなことないわよ。私は自分の道は自分で作れる子だと思ってるわよ?」

「でも!…最近決められることが多くなってきた」

「………」

「……あれ?」

「……そんなことないわよ。私は自分の道は自分で作れる子だと思ってるわよ?」

何かが、嚙み合わなくなった音がした。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「こんなママは、ママじゃない!」

私は机をたたくと勢いよく部屋を飛び出す。

「――そう。」

だれかがそっとつぶやく音がした。でも、知らない。私は駆けだした。

いつも通りの質問。いつも通りの回答。そして、いつも通りの決定。何かが、弾けた。

全部が窮屈でたまらなかった。すべてが嫌になった。だから、逃げた。だから走った。

春の匂いがする。土が踊り、風が舞う。私はようやく、自由になれた気がした。…はずだった。


――同時にとてつもなく怖くなってきた。私は家へと踵を返した。何か、なにかが急げとはやし立てる。

胸が苦しい。このままじゃダメだと思った。私らしくない。何がだめかもわからないのに。


部屋は妙な静けさだった。コップからこぼれた飲みかけのココア。散らばった学会の資料。干しっぱなしの服。

画面を見るとママは、いなくなっていた。

画面にはママからの”手紙”が残っていた。

「ママは、あなたが自分の道を自分で決められる子だって、信じてるから。それでいいの。」

エンターキーを押すと、画面は閉じた。


春の夜はまだ肌寒い。

私はゆっくり窓を開いた。

春風がカーテンを揺らした。


END


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