097 / 館山書店の智子
ギィ、と音を立てて、店のドアが開いた。
「いらっしゃいませ」
智子は明るく、けれど落ち着いた声で客に挨拶をする。
客は若い男がひとり。
3月も下旬になったとはいえ、外はまだ肌寒いのだろう、男は上着のポケットに片手を突っ込んでいた。
「館山書店」は、智子が30代の時に、夫の和弘が脱サラして始めた本屋である。
県立高校の近くにあること、教科書を扱っていること、学生の帰り道にあること、商店街の中にあることなどから、学生を中心とした客が多い。
店は経営当初から大変な人気で、かたい新書を読む大人から、漫画を求める子供まで、昭和から平成の時代、幅広く地域の住民に愛されてきた。
しかし、今の時代はみんな、なんでもインターネットである。
スマホを開かない日はないが、本を読まない日はあるという生活様式が一般化して久しい。
気づけば館山書店の本棚は、本のない隙間が目立つようになり、きれた蛍光灯もそのままになっている。
元々子供のいない二人にとって、この店ははじめから一代限りで終える予定であった。
年をとってからは、二人で「残った方が店に立って、最後まで面倒みようね」などと話し合っていた。
夫の和弘が病に倒れたのは、和弘が七十歳を迎えた年のことだった。
「約束通り、店のことは私に任せて、あなたは回復につとめてね」
と、智子は病床にある夫に言った。
しかしそれから一ヶ月も経たないうちに、夫の病状は悪化し、あっさりと帰らぬ人になってしまった。
ぽつんと取り残された智子は、ひとり館山書店の受付に座り続けた。
今や客足の遠のいたオンボロ書店だけれど、それでも出来る限りは続けたい。
その一心で、受付に座り続けた。
そんなある日のこと。
「館山書店を引き継がせていただけませんか。リフォームして、再びお客さんでにぎわう商店街の目玉書店にしたいんです」
という申し出が、市のUターン・Iターンコミュニティからあった。
智子は二つ返事でオーケーを出した。
その夜、智子は仏壇の前で、和弘に語りかけていた。
「あなた、私たちの大事な子供が、若い人たちの手で、こんど素敵な本屋に生まれ変わるんですって」
仏壇の遺影の中で、和弘はいつもの笑顔をたたえていた。




