091 / 学年3位の私と音楽
年度末の試験で、学年3位になった。
私史上、最高位の成績である。
内心、小躍りしながら家に帰り、さっそく部屋に引きこもり、イヤフォンを耳につける。
音楽について考えを巡らせてみる。
今、巷で流行している音楽は、「才能とコネと運のある一部のアーティストたちが、馬鹿にも理解できるレベルで作り上げた一過性の音楽である」と言える。
一方、クラシックは、「長い年月、厳しいジャッジをくぐりぬけて今の世に残っている価値ある古典である」と言える。
当然のように、ハイレベルな教養ある家庭では、後者が好まれる。
うちはいたって普通の家庭だけれど、子供たちにはいいものを与えたいという親の教育方針で、小さい頃からピアノを習わされたり、クラシックを聞かされて育った。
でも結局モノにはならず、私は友人と競うように流行歌を覚えてはカラオケで歌ったりして音楽に親しんでいる。
でも、たま私の内側である種の葛藤が起こる。
一方では、「何百万人に向けられた薄っぺらいたった使い捨ての音楽に、いつまで支配されているつもりだ」と叫ぶ自分がいる。
もう一方では、「ハイレベルな音楽を、何百万人の人たちと一緒に楽しむことが出来るなんて、なんて素敵。しかも今やスマホ一台あれば誰だって無限に音楽を聴くことが出来る。なんて素晴らしい時代!」と思う自分がいる。
相反する思いを胸に抱きながら、今日も私は流行の音楽を聞く。
「楽しけりゃいい」
なんていう馬鹿が喜びそうな安易な結論には飛びつきたくはない。
とはいえ、私が考えていることなど、どこかの本に書いてあったものを拝借してきたものが大半である。
わずか十七歳の私が、今までにないアイデアをポンと思いつく、などといった馬鹿が好みそうな漫画じゃあるまいし、そんなことはあり得ないと思うだけの分別は持ち合わせているつもりだ。
しかし、世の音楽によらず、巷に流布しているものには、確かな原因があるはずで。
でもそれらをひとつひとつ調べていたら、人生が何回あっても足りないわけで。
結局、私は、大勢の馬鹿と同じように、時代の流れに乗って、様々なものに触れながら、その影響を大なり小なり受けながら生きてゆくのだ。
駄目だな、「生きてゆくのだ」なんて、大仰な表現を使うあたり、まさに尻の青いガキって感じで鼻につく。
何が学年3位だ。
全国3位じゃあるまいし。
私はイヤフォンの音量を最大にして、ベッドにあおむけになり目をつむった。




