081 / 一本の針の向こうに
光代は今日も、スポーツ『AGASA』のカウンターに立つ。
二、三十代の若い他の店員と同じ制服(ただしサイズは大きい)を着て、首にはおそろいのスカーフを巻いて。
光代が鍼灸の学校に入学したのは、十八の頃だった。
田舎から出てきて、右も左も分からない中で、当時の光代は懸命に勉学に励んだ。
というのは半分嘘で、半分本当。
田舎から出てきて、すっかり舞い上がってしまった光代は、化粧や煙草を覚え、徐々に都会の色に染まっていった。
仕送りでは十分に遊べないため、夜の仕事に手を出し、その分、光代は昼の勉強では決して手を抜くことはなかった。
遊びに勉強に、とにかく光代は懸命に励んだ。
そのかいあって、無事卒業し、はり師、きゅう師ともに資格を取得することに成功した。
はじめての仕事は、町の鍼灸院だった。
商店街の一角にあるこじんまりとした店で、ガラス製の開き戸には、縦にでかでかと白い文字で『なかむら鍼灸院』と記されていた。
そこで光代は、持ち前の愛嬌を武器に、順調に客をつけていった。
そして、ちょうど二十五歳の時に結婚。
相手は親の紹介による見合い相手だった。
会社員勤めの夫を支えるべく、また子育てに専念すべく、光代は仕事をやめる。
再び仕事を始めたのは、下の子の手がかからなくなった四十五歳頃のことだった。
再就職先は、住宅地の真ん中にある『ひまわり鍼灸院』という名の店だった。
さっぱりとしたセンスのいい店で、若い店長の下、ここでも持ち前の愛嬌を武器に順調に客をつけていった。
とはいえ、姿形は若い頃とは違うので、同じ愛嬌でも「かわいいお姉さん」ではなく、「元気なおばちゃん」としての人気ではあったが。
毎日元気に働いているうちに、光代は次第に同年代の中年男性の人気を集めていった。
その中でゴルフなどに精を出す、いわゆる金持ちにかわいがられるようになり、その流れで光代は昨年、スポーツ『AGASA』へと転職した。
夫は一昨年にがんで亡くなっており、子供たちも独立しており、光代は今、一人暮らしである。
「この年で転職するなんてねぇ。やっていけるかしら」
先日、珍しく弱気な発言を上の子供に吐いてみると、「何言ってるのお母さん。お母さんなら何が起こっても大丈夫だよ」と言われた。
そんなもんかしら。
鏡を見てにっと笑って、今日も光代は出勤する。
多くが自分より若く、多くが自分より弱っている、そんな客たちを元気づけるために。




