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『キリトリセカイ』  作者: 百字八重のブログ


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079 / 一通の社内メール


「水島さん、この伝票、ここに置いておいていい?」

上司の田口にそう尋ねられ、私は振り向いて確認をし、「はい、そこで大丈夫です」と返事をした。

なんということはない一般的なオフィス内でのやりとりである。

しかし私は、自分の声がいつもより上ずっていなかったか、心臓をばくばくさせながら何度も自分の発言を心の中で繰り返していた。


事の発端は先週末にさかのぼる。

仕事が終わり、上司の田口と二人きりになった時のことだった。

「水島さんて、離婚してるんだっけ」

と、田口がいきなり聞いてきたのだ。

「はぁ、一応、3年前に」

突然の質問に、ちょっと違和感を感じながらも、私はそんなふうに適当に答えた。

すると田口は、

「再婚、しないの?子供はいないんでしょ」

と尋ねて来た。

さすがに失礼なのでは、と思い、私は少々むっとしたニュアンスを含めながら「なんですかいきなり」とぶっきらぼうに答えた。

すると田口は、「いや、突然、ごめんね。誰かいい相手、いるのかな、と思ってね。っていうか、今度食事でも、どう?」と言って来たのだ。


私の頭の中は真っ白になった。

田口といえば、朝の挨拶は一人ひとり丁寧に頭を下げるし、食事の時にはきちんと手を合わせるし、トイレに行けばしっかりとハンカチで手をぬぐう、うちの部署では超がつくほどの堅物として知られている。

そりゃあ、見た目はいい感じのアラフォーだけれど。

確か年齢は私より五歳年上だったはずだ。

結局、その時は「いやー、どうなんですかね」などと適当に返事をごまかして逃げ帰ってしまったのだが。

それ以来、田口とのやりとりが気まずくて仕方がない。

私は、田口が机の上に置いていった伝票を処理すべく、パソコンの前に座った。

とその時、一通の社内メールが届いた。

送信元は、なんと田口である。

何かの業務連絡かな、そう思ってメールを開いてみると、「お世話になっております」からはじまり、「先週末は大変失礼いたしました」と続き、最後は短く、「例の件、いいお返事がいただけると幸いです」と締めくくられていた。


結局、私と田口はその後交際を重ね、一年後に結婚するのだけれど、その話はまた今度。

とにかく、この時のメールは今でも私と夫の間で語り草となっていて、ことあるごとに話題にのぼる。

夫に聞くと、その社内メールは、今でも夫のメールフォルダの一番上にピン止めされているという。


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