076 / とめどなく流れる
「おい岩田、今から俺の言うことを真似してみろよ」
小学校の頃、後ろの席の前橋にそう言われて、俺はとりあえずうなずいた。
「あいうえお」
と、前橋が言う。
俺も同じように口を開くが、
「あ、あ、あ、あ、いーっ、いっい、う、うう……」
と、最後まで言い終わらないうちに、前橋が隣の男子とクスクス笑い始めた。
自分のしゃべり方が変なのだと気づいたのは、そんな子供故の残酷な経験からだった。
それから、俺は家から帰るとすぐに五十音のページを開いて、発声練習をするようになった。
毎日、毎日、懸命に練習した。
すると何回かに一回は、スムーズに言えるようになってきた。
そう思って次の日、学校で張り切って発言をして、皆の前で大失敗をする、という経験を繰り返した。
そんな俺を、両親は「頑張ってるね」と、いつも応援してくれた。
俺は、毎日、毎日、発声練習を続けた。
中学生になり、高校生になり、社会人になっても、俺は毎日練習を続けた。
しかし、社会人三年目を迎えた頃のこと、昇格試験を迎えた俺は、そのテストで大失敗をしてしまう。
言葉が、出てこなかったのだ。
「よろしくお願いします」と言うのに、1分もかかってしまい、結局タイムオーバー、俺の昇格は実らぬものとなってしまった。
家に帰って、俺は泣いた。
なぜ、俺は吃音なんだ。
なぜ、俺は他の人みたいに流暢にしゃべれないんだ。
日常生活の雑談はいいとしても、昇格試験まで諦めないといけないなんて。
俺は一生、平社員なのか。
ただ吃音というだけで。
神様、不公平じゃないか――。
そう嘆いてみても、俺の吃音は治らなかった。
俺は思った。
もう、頑張るのをやめよう、と。
苦しかった。
悔しかった。
でも、いや、だから、もう無理をするのはやめようと思った。
昇格を諦め、他人と流暢にしゃべる自分を想像するのを諦め、人前でアピールすることを諦めた。
その代わり、黙々とする事務作業に力を入れ、喋らなくて済む仕事に精を込めた。
すると、なんとなく周囲の視線が変わってくるのが分かった。
前は、どこか腫れ物に触るような接し方だった同僚たちが、なんとなく自然に接してくれるようになったのだ。
なんだ、もっと気を楽にして、周りに甘えてもよかったのだ。
俺が無理をすると、相手もそれを感じ取って構えてしまうのだ。
俺は俺のままでよかったのだ。
なんだ、そういうことか。
今日も俺は会社へ行く。
そこにある、俺の仕事をこなすために。




