068 / 濡れる山高帽
俺はこの界隈で、「山高帽のタケ」と呼ばれている。
それは、いつも黒い山高帽をかぶっているからであるが、比較的背が低く角ばった顔の俺の風貌とともに人の記憶に残りやすいためだろう、いつの頃からかそんなあだ名で呼ばれだしたのだった。
今夜も俺は、宮子ママが経営するスナックに顔を出す。
開店前にママと一発かましてから、奥のボックス席でゆっくりと煙草を吸いながら、客の入りを待つ。
やがて一人、また一人と、ママを目当てに客が入ってくる。
皆、仕事帰りの疲れた顔をしているが、ママと話していると段々と気分が軽くなっていくようで、酒が十分にまわる頃になると、グラスにやるママの両手に触ろうとする輩が出てくる。
そこで俺の出番である。
俺は静かにそいつの背後に近づき、耳元で言ってやるのだ。
「おい、今ママの手に触っただろう」と。
ドスのきいた声がいきなり耳元で響くので、大体の男は飛び上がらんばかりに驚く。
更に俺はもう一発かましてやる。
「ママは俺の女だ。手を出すなら俺を倒してからにするんだな」と。
ここまでくると相手は「そういうつもりじゃなかった」というようなことを、酔いのまわった舌でしどろもどろにかたる。
俺は「何言ってるか分からねぇなぁ!」と言って、相手をボックス席の方へと連れ込んでゆく。
相手は「ごめんなさい!」とかなんとかのたまうが、そこで俺は軽いジャブを一発入れてやる。
「有り金全部、置いてけや」
と、相手にしか聞こえない小さな声でささやく。
すると相手は顔を真っ赤にしたまま「ごめんなさい」を繰り返し、その通り、有り金をすべて置いてゆく。
そんな俺を見て、ママは「タケちゃん、今夜ももうかってるわね」なんて言ってくれる。
悪い気はしない。
「ママ、俺には惚れるなよ?」と俺が言うと、「いやねぇ、タケちゃん」などと言ってママは甲高い笑い声を発する。
こんな俺だが、先日再婚したばかりであることは、スナックの皆には言っていない。
家に帰れば妻の真美子が手料理を作って待っているのだが、俺はどうしてもいつものスナック通いがやめられない。
「ママ、一曲入れて!いつものやつ!」
どうしようもない俺は、今日もクレイジーケンバンドの『タイガー&ドラゴン』を歌う。
山高帽の下で両の瞳がにじんでいるのは、酔いがまわったからに違いない。




