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斬鬼の剣

葦高VS清史郎


「……へえ、僕の一太刀目を躱すどころか受けるなんて。師匠以外だと初めてだなあ」


 仕事の選任が実力によって決まる。周防の放ったその言葉を契機に女が動き出し男の首を刎ねる。

鮮血をまき宙を舞う首が弧を描きながら鈍い音を立てて地に落ちる。

清史郎の刃が神速と形容するにふさわしい速度で葦高(あしだか)の首へと肉薄したのはそれと同時だった。


「もしかして仕込み篭手かなにかですか? 僕の刀を受けきるなんて相当のものですよ」


 いったいいつ柄を握ったのか、

 いったいいつ鞘から刀を抜いたのか、

 いったいいつい刃を振りぬいたのか


 見えず、感じぬ初激の一振りは、先ほどまで談笑していた若者の気配を吹き飛ばし、

ただ殺人の技のみを放つ斬鬼としての久世清史郎が瞳を開いた合図だった。


「篭手にしては感触が鈍いですね。それにただの防具なら間違いなく切り飛ばせたはず。

原因は外装ではなく中身か……」


 渾身の踏み込みをもって降りぬかれた清史郎の打刀は首元を守るように伸ばされた葦高の前腕によって防がれている。

葦高の旅装束に全霊の殺意とともに放たれた斬撃を防ぐ装備などない。

ゆえに清史郎は仕込みを疑ったが、同時に剣士としての直感がこれを否と告げていた。


「一番首をあの女に取られたのは不覚ですが、それでもやっぱりあなたに声をかけてよかった」


 くつくつと、こみ上げる歓喜を抑え込むように笑う清史郎。

その様子を隙と思えば次の瞬間には間違いなく首が飛ぶ。

これは獲物を前にした舌なめずりではない。

これは長らく待ち望んだ玩具を前にした子供の狂喜であり、自身の一刀を防ぎ切った頑丈さへの歓声。

そしてある種の安堵であった。


「この中でならあなたが二番目に強い。ゆえに相手は一番の僕こそが相応しいッ!」

「餓鬼め、口を開いていいと誰が言った」


 今にも腕に食い込まんとしている刃を受け、不機嫌そうに眉間に皺を寄せつつ無言を貫いていた葦高がついに口を開いた。

不愉快なのだ。目の前で満面の笑みを浮かべる武士(もののふ)崩れの小僧が己を殺せると思っていることが。

たかが殺人剣(・・・・・・)を極めたもの如きが己を同格だと見損なうことが。


 そんな葦高の心情を推し量る気など一切なく、高らかに名乗り上げる清史郎。

おそよ爽やかとさえ表現できる邪気のない声は、極まった殺しに対する実力の自負の表れに違いない。


而現(じげん)神刀流(しんとうりゅう)極伝(ごくでん)、久世清史郎!

僕が切り拓く剣の道。その第一歩にあなたは相応しいッ!」

「抜かすな狂人。貴様如きの道に俺を敷けると思うな」

「いざ尋常に勝負ッ!」


 まるで先の一合が遊びか何かであったとでもいうように改めて宣言される死合いの始まり。

その刹那、腕に食い込んでいた刃が消失し、一拍の間に下段からの切込みが再度葦高に迫まる。

それは清史郎の天才的な刀裁きが実現する無拍子の斬撃。

彼の振りかぶりも、切り下しも常人には視認どころか知覚すらもできはしない。

それは天が定めた裁きの如く、常人が下されれば命を落とす絶対の絶命剣に他ならない。


 ゆえに相対する男は常人にあらず。

神速の切り上げに対し自身の上体を反らすことで回避した葦高は

身体の回転運動を利用して振り上げられた刀を上空へと蹴り飛ばす。


「信じられないッ! 一度らなず二度までもッ!」


 得物を失ったにもかかわらず嬉しそうに笑う清史郎は刀が弾き飛ばされる金属音が耳に届くその瞬間、すでに次の攻撃へと移行していた。

刃を失った腕をそのままに繰り出す裏拳、続き正拳、膝、肘。

続けざまに放たれる徒手空拳による格闘術は全てが達人を超える域で完成された殺人拳。

刃などなくとも殺しの斬鬼は止まらない。


「あぁ、嬉しいなあ……、ここまでやって傷一つつかないなんて。

僕を相手にここまでやれる人が師匠以外にいたなんて、感動しましたッ!」


 数瞬の内に放たれた二十を超える四肢の連撃はすでに体術の域を超越し、

衝撃波を伴う破城槌が如き破壊力を内包し始めていた。その拳の速さはすでに音速を優に超えている。

だというのに防がれる、反らされる、躱される、当たらない。

 

 繰り出される連撃のすべてを完璧に捌きながら、猛る清史郎の対極を描くが如く葦高はただの一呼吸も息を切らしていない。

それが余裕のなさ故のものではないことも明白だった。その証拠にややあって口から洩れるのは不愉快気な舌打ち。


「先ほどから相手を気も知らずべらべらと好き勝手なことを言ってくれるな餓鬼め。

貴様の物言い。己が敗北するなどと微塵も疑っておらんその傲慢さ。

いい加減塞いでやりたくなってきたぞ」

「それはもう是非ッ! 願ってもないことですッ!」


 疾風を纏う裏回し蹴りを片手で受け止める葦高は、蹴りの勢いそのままに清史郎を投げ飛ばす。

放たれた矢じりが如く宙を駆ける清史郎は対空状態のまま体制を整えると、示し合わせたように上空から落下してきた己の愛刀をつかみ取った。


「僕にとって、相対する敵なんてもの師匠を除けばただの案山子ですよ。打ち込み人形と同じです。

型通りの剣筋に多少の応用を混ぜれば簡単に倒れる。これでは腕の磨き甲斐がない」


 難なく着地し、仕切り直しとばかりに再度刀を静謐(せいひつ)に構えなおした清史郎。

先ほどまでの怒涛の進撃と打って変わり、湖畔のような静けさをまとって、

徐々に、徐々に葦高との最適な距離を探るようににじり寄っていく。


「実際ここ数年は相手に困ってたんです。道場では誰も相手をしてくれませんし。

かといって辻斬りの真似をするほどの強者は僕の田舎にはいませんでしたし」

「突出した才能は人を孤独にすると?」

「寂しさというよりは虚しさですかね」


 周囲に敵うものなしと言われた若き剣豪。だが才気あふれるその腕も振るう相手がいなければ用もなし。

自身の実力域を自覚すればするほど、いずれ訪れる天下無双の虚しさは清史郎を蝕んでいった。


「ならばお前の言う師匠とやらと延々切り結んでいればよかろうに。

一つの玩具では満足がいかないとは、武家の小僧らしい傲慢さだ」

「あぁ、そのことでしたらご心配なく。その点は家を出る前に決着をつけてきましたから」


 どこか会話の噛み合わない二人の距離は三丈弱。常人にすればあまりに遠い間合いだが清史郎にしてみれば十分すぎる。

すでに死殺の間合い。次の一合で決着の天秤が傾く。その確信をもって清史郎の足が動き出す。


「老いさらばえた今の彼から学べるものはもはや皆無でしたから。

短い人生、意味のないことに費やすものではないでしょう?」


 葦高の腕と清史郎の刀が十字を描くように交差し重なり合う。

肉体と刃。その性質の違いをものともせず葦高の腕は清史郎の刃を受け止めている。

すでにその原因が仕込み篭手などという矮小なものでないことを清史郎は確信していた。


「風の噂に聞いたことがあります。

都の豊斉(ぶざい)にはヨウガイに対抗すべく編み出された七財(しちざい)なる奇天烈な技術があると」


 曰く、腕の一振りで海を割り、念じるのみで天候をも変えうるというヨウガイを殺すべく生み出された秘術。

豊斉が豊島統一という大偉業を成し遂げることのできた最大の理由と実しやかに囁かれる魔の業。

葦高の驚異的な身体強度はその技術によるものと清史郎は睨んだ。だが葦高は応えない。


 鍔迫り合いが如き停滞は一瞬。刹那の間に繰り出される第二、第三の攻撃がお互いの肌をかすめ、次第に鮮血を繁吹きながらも斬打の応酬は止まらない。

初激の際に刃を受け止めた葦高の腕にも徐々に血潮の色がにじみ始める。

それは清史郎の斬撃が段階的に力を増している証に他ならなかった。


「そういう貴様こそ、先ほどから細腕に似合わぬ撃を繰り返しているではないか。

ただの人に過ぎない貴様があれほどの力を振るえるとも思えんがな」

「あれは發號(はつごう)と言いまして、気の巡りを弄るよくある手法ですよ。

やろうと思えばだれでもできるものにすぎません」


 ただ速く、強く、上手く斬りたい、殺したい。その願望のもと励んだ修練の元に成り立つ殺人剣の極致。

曰く、やろうと思えばだれでもできる發號(はつごう)と言われる久世に伝わる技には

本来戦闘中に生じた軽度の不調を気休め程度に緩和させる効力しかない。


 それを規格外の武術探求心を生まれ持った清史郎がその効力を極致まで突き詰めた結果

彼の發號(はつごう)は一太刀で岩をも粉砕する魔の業へと変容していた。

だがそんなものも清史郎にしてみればなんてことはない小手先の技術の延長に過ぎない。


 そんな發號(はつごう)を纏った刃の切っ先が幾数十の切り結びの末、ついに四肢の防御をすり抜け肩口へと届く。

浅いが、その一太刀は清史郎の技が葦高の想定を上回った結果に違いない。


「要は刀の握り方や体捌きと同じです。

こう握れば刀が振りやすくなる。この位置に付けば技がかけやすくなる。

ここで身体の力を入れれば、殺しやすくなる」


 清史郎はこの世に生れ落ちて以来、本能のままに相手を殺す技術を磨き、

実際に切り殺した瞬間を思い返し、出来を分析して更新し続けてきた。

彼の殺人剣はおよそ個人で習得しうる限界の技術を内包し、既に魔の領域へと片足を浸しかけている。

それでも高みを、深淵を求める渇欲は抑えられない。


 ゆえに放たれた殺人を狙う一撃がわずかだが葦高に傷を負わせた。

だが堅牢な防御を無理に掻い潜って放たれた一撃はその後に確実な隙を生む。

葦高はそれを見逃さず、自身に朱の一字を刻んだ清史郎の側頭部を蹴り飛ばした。


 頭部への打撃は言わずもがな致命となる。

しかし吹き飛ばされた清史郎は広場を囲む塀に叩きつけられ、頭から血を流しながらも笑っていた。

彼は至高と信じるこの戦いの中で自分の刃が相手に届いたことに歓喜している。

客観的に見れば肉を切った代償に骨を断たれたも等しい状況だが、当事者である葦高自身も驚愕に目を見開いていた。


「まさか貴様の様な餓鬼に血を見せられるとはな」

「えへへ……少しは見直しましたか?」


 目の前の若き剣士はたかが殺人剣を極めただけで満足する器ではない。

他の誰にも到達できない武の極限へと至り、なおも先の神域へと研鑽の歩を進み続ける。

この男に目指す()など存在しない。在るのはただ果て(・・)のみ。


「……いいだろう。貴様にも一本通った筋があることは認めてやる」

「そう言うなら……そろそろ本気でお相手してくださいよ」


 刀を杖代わりに立ち上がる清史郎はすでに満身創痍と言っても過言ではない状況だった。

全てを斬ることに帰結させる斬鬼が編み出した發號(はつごう)は必然、全てが攻撃に特化している。

言い換えれば半面防御に関してはまったく頓着がないとも言えた。

ゆえに破格の戦闘能力を有する彼も自身を守るうえで必須となる身体強度はなんら常人と変わらない。


「俺が貴様に手心を加えていると?」

「ええ、まったく腹立たしいことにその通りですよ」


 それでもなお刀を握りこみ葦高へと対峙するその闘志は微塵も損なわれていない。

清史郎は満身創痍を自覚しながらも戦いの続行を、決着を切望する。

ゆえに不満なのだ。いまだ自分を餓鬼と見下す死合い相手が本気で殺しに来ないことが。


「……あなた、その場から一歩も動いてないでしょう」


 最初の一合も、続く剛打も、先ほどの斬撃も、そして間合いの開いた今も、

葦高は清史郎の攻撃に反撃する形でしか攻撃を行っていない。

まるでじゃれつく子どもを押しのけるように、周囲を飛び回る羽虫を払うかのように。

それは絶対的な高みから剣士を見下す強者の振る舞いに他ならない。


「正直拍子抜けですよ。手加減のこともそうですが、貴方には僕を殺す気がない」

「だったらなんだという? 白けたと死合いを投げ出すか?」

「貴方が言ったんじゃないですか。自分が負ける可能性を露ほども感じていない傲慢さに腹が立つと」


 殺意のない相手など案山子も同じ。人生で何度とも出会えない強者との死合いがそんなつまらない戦いで終わっていいはずがない。

地面に突き立てていた刀を引き抜き、頭部から流れ出る血潮を拭い去ると清史郎は切っ先を葦高に向け言い放つ。


「貴方のその態度、僕の力不足ゆえというならいいでしょう。次の一合に全てをかけます」

「……おもしろい」


 戦いに殺意を込めないというのであれば、無理にでも引き出すまで。

清史郎は刀を鞘に納め居合の姿勢をとると眼光をたぎらせ葦高を見据える。

距離にして六丈以上、およそ刀身三十倍もの間合いで放つ居合になんの意味があるのか。

その真意を知ってか知らずか、葦高は動かない。


「この技を前に、手加減などさせはしない」


 そして祝詞が如く、紡がれる言葉は言うなれば鍵のようなものだった。

自身の神経階層を別の次元へと移行させ強制的に己の精神を極限状態へと追いやる言霊の羅列。


【ここに御刀(みかはし)(さき)()ける血、

湯津石村(ゆついはらむら)(たばし)り就きて、成れる神の名は石拆(いはさく)の神】


 それは久世の家に伝わる古の詩。

幾百人に詠い継がれ、もはや擦り切れたその詩自体には魔術的な効果などありはしない。

久世の家でもせいぜいが精神統一の一環として使用されるばかりだった伝え詩である。

ゆえにこの技もまた發號と同じく、清史郎がより上手く剣を振るうために自ら生み出した技術の一つ。


御刀(みはかし)手上(たがみ)に集まれる血、

手俣(たなまた)より()き出でて、成れる神の名は、 闇御津羽(くらみつはの) 神】


 詩に魂が乗り移り居合の構えを取った状態で静止しているはずの清史郎の像が次第にぶれ始める。

身体の中に奔流している激動の精神燃料が体外へと放出され、その力は次第に鞘に納めた刀へと流れていく。


(かみ)(くだり)石拆(いさはくの)以下(よりしも)

闇御津羽(くらみつはの)以前(よりさき)

(あわ)せて 八神(やはしら) は、 御刀(みはかし) によりて() れる神なり】


 それまで碌な構えを見せなかった葦高が、初めて迎撃態勢をとるかのごとく腰を落とす。

既に放出された気の濁流は目視すら可能な密度を持って渦巻き清史郎の刃へと収束していた。

そして巨大な流れを呑込んだ器は必然、大いなる爆発を引き起こす。


【ここに伊邪那岐命(いざなぎのみこと)

その子 迦具土 (かぐつちの)神の(くび) を斬るッ!】


 それが引き金の言霊だった。


而現神刀流(じげんしんとうりゅう)奥伝、こうの第三……御佩(みは)かせる……十握剣(とつかのつるぎ)ッ!】


 空を震わせ叫ぶ清史郎の激とともに繰り出されるのは神速の居合術。その抜刀速度は言うも及ばず目視不可能。

常人の視認速度を優に超えた不可視領域の剣戟はもはや死の風というに相応しい。

だが特筆すべきはその速さにあらず。


 清史郎の袂より放たれた刃。せいぜいが二、三尺程度の刀身しか持たないはずのそれが瞬間的に伸長していた。


 鉄と鋼で構成された物理的な刀身はそのまま、練り上げた気の濁流が刃となって刀の延長上に形成されていた。

それは清史郎の殺意。相対する敵を必ず斬り倒す執念の具現化。

ゆえに殺傷能力は絶大。その切れ味は先ほどまで振るっていた刀の比ではない。

輝く極光の刃に葦高も感嘆の息を漏らす。


「……これが人の身で武を極めんとするものの剣ということか」


 横凪ぎに振るわれた居合の一撃が六丈以上離れた葦高へと繰り出される。

威力は絶大。速度は神速。加えてその攻撃範囲は刀剣の常識を完全に逸脱した想定外の長距離斬撃。

対象を確実に討滅せんと首に迫る光の刃は常人はおろか、人外のものすら一撃で殺しきる殺意の具象剣であった。


 ゆえに葦高は認める。目の前の男が自身の片鱗を見せるに値する男であると。


(こほり)(くに)大水(おほみづ)ありて()ゑ、(あるに)(ひと)(あひ)()む……】


 それは清史郎の口にした詠唱とも異なる、内から溢れ出る原初的欲求が言霊となって現出したものだった。

言葉ではない、葦高はそれを口に出しておらず、清史郎の耳にも届いていない。

そもそも音速を優に超える清史郎の斬撃を前にしてそんなものを口する余裕などあるはずもない。


「……何……だとッ」


 ゆえに清史郎は驚愕した。


「いいだろう久世清史郎。貴様のその力、俺が喰うに値すると認めてやる」


 横凪ぎに振り払われたはずの清史郎の刃が直撃と同時に消失していた。

先ほどまで大地が震えるとも思えるような力の奔流が巻き起こっていた清史郎の剣からはもはや何の力も感じられない。

代わりにその切っ先に伝わるのは微かな震え。


「……信じられない」


 だがその顔は恐怖に屈した男のものにあらず。


「僕にとっての最強は常に師匠だった。その師匠を超えた今、僕はずっと探していた。

僕が斬るに値する存在を、僕が求めるに値する存在を……ッ!」


 重症の状態で大技を繰り出し、気を絞りつくした清史郎はすでに精神肉体共に限界を超えている。

だが身体の内から、血が沸きあがるような武者震いを止められない。

久世清史郎は、今案山子ではない久方ぶりの好敵手を探し当てたのだ。


理屈は全くわからない(・・・・・・・・・・)が自身の全力を賭した技を軽々と無効化された事実は、強敵を求め続けていた清史郎をにわかに湧きあがらせる。

尽き果てようとしていた清史郎の精神燃料が狂喜を発端として爆発しようとしていた。喜びの斬鬼は止まらない。


「さあ、勝負はここからですッ! いざ尋常に……」

「勘違いをするなよ」


 盛り上がる情感そのままに駆け向かってくる清史郎の言葉を遮るように葦高は口を開く。

彼の眼は清史郎の狂喜とは対を成すような起伏に乏しいものだった。

戦場で敵を見据える戦士の目でも、狩場で獲物を見定める猟師の目でもない。


「貴様は案山子と言ったが、俺にとっての貴様は……」


 その瞬間の怖気を清史郎が感じ取れたのは、長年殺人の技術を極め続けてきた直感ゆえだった。

それまで攻撃のみに尖らせていた思考を一斉遮断し、瞬時に全精神を守りに集中させる。

あらゆる方位からの攻撃に対応すべく防御姿勢をとり、足を止める。

理屈ではない。そうしなければ死ぬ(・・・・・・・・・)と頭が割れるほどに本能が警鐘を鳴らしていた。


 清史郎の顎から雫のような汗が滴り落ち、同時に眼前に佇む葦高の姿が掻き消えたのは全く同時にだった。


「……喰らう(・・・)と言ったはずだ」


 呟かれる声の発生源は清史郎の背後。

咄嗟に放った振り向きざまの切り上げを葦高は真正面から掴み取ると(・・・・・)がら空きとなった鳩尾にぞんざいな蹴りを放つ。

その威力は先ほどまで清史郎が振るっていた剣技以上。明らかに一撃目の蹴りとは別次元の破壊力を伴っていた。


「馬鹿なッ!?」


 成すすべもなく吹き飛ばされ、体勢を立て直す暇もないまま清史郎は地面にその身を擦り付けながら倒れ伏す。

衝撃で頭の傷は完全に開き、今の一撃で蹴り破られ肉の露出した腹からは(おびただ)しい量の血が流れ出ている。

わずか二度の蹴撃でもはや清史郎は死に体同然のあり様だった。すでに人間が戦える状況ではない。


 だが己の命が危ぶまれる程度で武に生きる清史郎は動揺などしない。

ゆえに喉から血の泡を吹きあげながら驚愕の声を上げたのには別の理由があった。


「……解りましたよ、僕の剣がなぜ、貴方に通じなかったのか」


 練り上げた気を纏うことによって、清史郎の振るう剣はその威力を爆発的に増大させていた。それは血を滲ませる葦高の腕を見ても確か。

そして絶大な攻撃力を伴って放たれた斬撃を無傷で受け止めた最後の二合。

これが指し示す事実は一つだけ。


「貴様が言ったのだろうが。やろうと思えばだれでもできると」

「……はは、まったく自分の言ったことも、忘れてちゃあ、世話ないですね」


 それは恐ろしいほどに単純な帰結。

強力な力も、全く同種の力、もしくはより上位の力をぶつけられれば研ぎ澄まされた刃も枝切れとなる。

葦高がその身に纏うものが清史郎と同じものあるかは定かではないが、

少なくとも戦技としての完成度は清史郎の發號を完全に上回っていた。


「嬉しいなあ……こんな人に僕は出会えたのか。僕を殺せる人に、僕を超える人に」


 すでに頭部への負傷に加え、大量の出血により清史郎の視界は霞み、意識は何度か飛びかけていた。

それでも懸命に思考を絶やさず、気力をもって意識を繋ぎとめるのは

戦いに生きる者として、己に勝利した男を刹那でも長くその瞳に映していたいから。


「さあどうか、意識がある内に、とどめを」

「言われずとも、お前は俺が喰う」


 ここは戦場。相対した敵に感情は不要。葦高も清史郎も、お互いにそんな感情とは無縁のものである。

勝者は勝者として生き、敗者は敗者として死ぬ。戦うものが負うべき弱肉強食の常識。

それはこの広場に集まった誰もが持つ共通認識。


 ゆえに倒れ伏す清史郎に止めを刺さんとする清史郎を止める者は誰もいなかった。


「ご苦労様、そこまでだ」


 周防正彦。この男を除いて


決着

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