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バケモノ

戦いの始まり


 それからしばしの時が過ぎ、太陽が頭上に上り切った頃。

締め切られていた玄関の戸が開き姿を現したのは、(かみしも)姿の奉行(ぶぎょう)ではなく、どこか薄汚れた細身の男だった。

彼は無言のまま、集まった男たちを壇上から観察するように見渡している。

奇妙なことに現れたのはその一人のみ。奉行どころか部下と思わしき人影すら一人として見えない。

そして男はあろうことか一つため息をつくと、花見でも始めるようにその場で腰を下ろしたのでった。


 この場にいる男たちの大半は気性の荒い短気な者たちばかり。

自分たちを舐め切っているともとれる男の態度に加え、長らく待たされた自分たちを尻目にゆるりと腰を下ろすその態度。

腹を立てた一人が辛抱たまらず声を上げるのは時間の問題だった。


「おい! 黙って突っ立ってるのもいいが、ここにいる俺たちゃ長い時間待たされてんだ。

まずは一言労いの言葉でもかけてくれるのが温情じゃねえのか!?」


 治安を取り仕切る奉行に対してこのような物言いをしようものならたちまち拘束、勾留の対象になりかねないが、しかし上段に立つ者は誰とも知れぬ細身の男ただ一人。

いざとなれば軽々と袋叩きにできる。

そんな打算を他の者たちも感じ取ったのか、一人の声が複数のヤジへと拡大していく。


 にわかに広がっていく騒めきによって、もはや収集がつかなくなる暴言の嵐。

既にその混沌を細身の男が制することなど、誰もが思っていなかった。


「……えいえいとやかましいなあ。これだから無頼の輩は、

【者共、傾注(けいちゅう)せよッ!】」


 響き渡る胸声(きょうせい)。それは単なる怒声でも、ましてや叱咤に類する声ではない。

そういった通常の意図とは全くの別次元に作用するある種呪文めいた霊的効力を内包する音。

人の上位に存在する何者かの声を男は自身の喉を媒介に発していた。


「いやはや、長らく待たせて済まなかったね。私は周防正彦(すおうまさひこ)

これより仕事の内容を説明させてもらうよ」


 女の様に長く美しい髪を妖しく揺らめかせながら名乗るこの男。

治安を司る奉行所に立っていながらその雰囲気は誠実さや真摯さとは対極を成すものだった。

それは服装の生地や清潔さ等の所謂外見的な話ではない。言うなれば気配が違う。

この男は現世にいながら、その目で常世を見ている。


「君たちにはさるお方のご用命で、あるものを探してもらいたい。

中には過去にその存在を伝え聞いたものもいるだろう。

古来より伝説とされてきた秘宝。『黄泉がえりの縁』だ」


 先ほどまで騒ぎ立てていた男たちの誰もが、一切の口を利かず壇上の言葉に耳を傾けている。

口だけではない。振り上げていた拳や、皺を寄せていた眉間、その他感情に起因するすべての行動を彼らは停止させていた。

傍目に見て尋常な光景ではない。

この状況を引き起こしたであろう周防(すおう)と名乗る男は淡々と説明を始めた。


「『黄泉がえりの縁』。その秘法にまつわる伝承は数あれど、時代や土壌によってその姿は大きく異なり、

ある時代では断崖に咲く花とも、ある土壌では大海に沈む真珠ともいわれている。

つまるところ秘法がどんな姿形をしているのか、そもそも実在するものなのかどうかすら確証がない代物なわけだ」


 もったいぶった言い回しに不満の声をあげる者は誰一人としていない。

お伽噺に語られる死者蘇生の宝を探すことに異議を唱え始める者もいない。

だが目の前に繰り広げられるその光景を引き起こした張本人である周防(すおう)の眼はなぜか失望に揺れていた。


「……我々はそんな伝説の秘宝を捜索するに値する者。

実在の保証もないナニカを探し続け、苦境に迫られても任務を遂行できる真に強きものを望んでいる」


 例え成果の出ない旅路であろうとも、ヨウガイが跋扈(ばっこ)する無法の地に自ら足を踏み入れる道程であろうとも、

恐れず、迷わず、戦い、探し続ける者こそ、この任に相応しい。

そう語る周防(すおう)はおもむろに三本の指を立てた。


「三人だ。この中から強きもの三人を選出し、任を与えることにする」


 すでに広場に集まった男たちの数は六十人以上。雑に換算して二十人に一人の割合でしかこの仕事にはありつけない。

先ほどまでならば多くの男たちが不満をぶちまけていただろう。

この中には仕事の噂を聞きつけて遠方より布津母(ふつも)へ出向いてきた者もいる。

決まりであるからと、おいそれと頷き返すことはできなかったはずだ。

だが周防(すおう)の声はそれを許さない。


「選出の基準は単純明快だ。君たちにとってもそれが一番わかりやすく納得しやすいだろう?」


 だが、絶対の力というものは得てして存在しない。力には必ずそれに均衡するまた別の力が存在する。

重要なのはそれを見極める目。

人外とも呼べる力を宿したものが養わなければならないのは、人外である己を屠る、更なる人外を炙り出す嗅覚。


「それすなわち……実力だ」


 その言葉を待っていたとばかりに一つの影が脈動する。

餌を待つ雛鳥のように周防(すおう)の声をただ呆けて聞いていた男たちの中で唯一動き出すそれは、先ほどまで自身の身体に触れていた男の首を跳ね飛ばした。

静寂に包まれた広場の中央で、男の胴体から噴出する血の雨が水音となって響き渡る。


「……実力を示す。要は、こういうことでしょうか」


 次いで呟かれた声は美しい女の声。屈強な男たちの中でこのような美声を持つものはただ一人しかいない。

首から絞り出すように血をまき散らした男が、今更自身が死んだことに気が付いたかのように倒れ伏す。

その背後に立ち薄い笑みを浮かべている女は、先ほど男どもに揉まれていたあの女だった。


「ああ、話が早くて助かるよ。我々は多忙な身だ。可能ならば早々に決着をつけてくれ」


 女の足元に広がっていく血潮はまるで波紋のように周囲の男たちの足を赤に染め上げ、それをきっかけに彼らが徐々に正気を取り戻し始める。

最初は微睡(まどろみ)に似た呆けた様子で足元に広がる赤を眺めていた男たちが、次の瞬間には喚き声をあげて後ずさる。

彼らは知っている。鼻孔に届くこの臭いが、殺しの香りであることを知っている。


「それは手間が省けました。先ほどから私、身体に触れてきたものは必ず殺すと決めていましたから」


 その言葉を言い終わる時点ですでに五人の男たちが死んでいる。

腕を毟られ、足を捥がれ、胸を貫かれ、胴を断ち割られる。

全ての所業が人間業ではない。どれほどの大男が暴れようともこのような惨状には決してならない。


「バケモノ……」


 男の一人がそうつぶやくのも無理からぬ話。なぜなら女は刃物の類を一切持っていない。

すべてが己の四肢による徒手空拳。

その一撃をもって己以上の体躯を有する男どもを屠っている。


「ええ、おっしゃる通り。私はバケモノです。

では、そのバケモノに対峙したあなた方はいったいどうされますか」


 己が自慢の武器を手にして女の周囲を取り囲む男たち。

しかしその数と間合いに何の意味もないことを彼らは実感させられていた。

女が一歩、歩を進めるごとに男たちが三歩引いていく。それは戦うものだからこその生存本能。

必ずしも勝利こそが自身を生き永らえさせるものではない。


「待ったッ! 待て待ってくれッ! 降参するッ! 俺たちはもう降参だッ!」

「そうだッ! もうこの仕事にはかかわらねえッ!」

「こんなあぶねえ奴との仕事なんてこっちから願い下げだッ!」


 ゆえに降伏もまた生存の術として間違ったものではない。

むしろ自身と相対するものの実力を正確に測れるものに与えられた戦術の一つとも言える。

しかし戦術は読み違えれば参事を引き起こすこともまた戦の常。


「残念だが降伏は許可できない。君たちは最後の三人になるまでここを出られないよ」


 冷酷に、一切の感情を乗せずにそう言い放つ周防。見れば街道へ通じる正門が閉じられている。

これよりこの場から逃げ出すには、奉行所を守る門を打ち壊すか、身の丈を優に超える堅牢な塀を乗り越えるほかない。

そして、そんな醜態をさらすものをこの女は決して逃がさない。


「我々が正規の兵を頼らず、君たちのような無法者にこのような仕事を任せるのは

誰にも知られたくない(・・・・・・・・・・)からだ。ゆえに誰一人として逃がさない。

この場は蟲毒(こどく)。生き残りたくば殺し合うほかないよ」


 告げる周防の声は先ほどの失望に染まった目とは打って変わって色めき立っていた。

まるで自分のかけた暗示を打ち破る者を待っていたとばかりに。


 その裏でまた一人、また一人を女の腕が男どもを屠る。

背を向けて逃げ出すもの、武器を手に抵抗するもの、額を地に擦り付け命乞いをするもの。

皆例外なく殺す、殺す。殺しつくす。


 逃げる者には背後から骨を引きずり出す。

武器を取る者には斬奪した得物を突き刺す。

命乞いには下げた頭を頭上から踏みつぶす。


 斬首の一撃から始まった殺戮の嵐は止まらない。

一人の女が繰り広げる人外の暴風は周囲の常人を巻き込み拡大していく。

すでに全体の半数を殺しつくそうとしている女を見て、周防(すおう)はほくそ笑んだ。


「どうやら気骨のある者が一人……いや三人か」


 そして視線はこの激流とほぼ同時に発生したもう一つの戦場へと向けられた。


二話連続投稿です

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