美女と若侍
新キャラ続々登場
布津母の広大な町内の一角。
喧騒賑わう宿場や町人の生活感に溢れる長屋通りから大きく外れた、町に隣接する森の目と鼻の先。
そこに奉行所はあった。
町の治安維持を一手に引き受ける役人の詰め所。
本来は町人らの平和な暮らしを守るために存在するはずの奉行所だが、その日の雰囲気は鬼気迫るものがあった。
普段は閉ざされているはずの正門が開け放たれており、中の広場には五十人を超える屈強な男たち集まっていた。
誰もが人相の悪い顔をさらして何か不満を吐いており、場所が場所でなければひと悶着起き始めそうな雰囲気である。
そんな男たちが集う奉行所へ葦高と恋鐘は到着した。
太陽はもうすぐ頭のてっぺんに差し掛かろうというところ。
どうやら触書に記載されていた時間には間に合ったようだった。
「おい、今度は子供連れと来たぜ」
「まったくどうなってんだ、仕事がもらえんのは『腕っぷしに自信のあるやつ』って話じゃねえのか!?」
「そもそも探し物ってだけでどんな仕事かも聞いてねえしな」
先に集結していた男たちは、やってきた葦高の隣に立つ恋鐘の姿を見ると、呆れと怒りの混ざった声を上げる。
彼らは皆葦高と同じく『ある仕事の噂』を聞きつけ布津母に集結したものたちだった。
誰も彼もが皆清潔とはいいがたい風貌をしており、ありていに言って野伏せりや盗賊然としたものたちばかりである。
皆が武の腕をひけらかすように各々の武器を弄びつつ、未だ締め切られた玄関を皆にらみつけるように雇人が現れるのを待っていた。
そんな男たち一人ひとりの要相を布で覆われた顔で遠巻きに観察し始めた葦高はややあって不機嫌そうに嘆息した。
「予想はしていたが、どいつもこいつも野党崩れではないか。
この面子でどうアレを探そうというのか。冗談ではないぞ」
「野盗よりよっぽど珍妙な顔をしておいて何を言うか。
そういうお主こそ、一人で探そうにも情報が得られぬから、わざわざ遠く布津母まで足を運んだのじゃろうに」
そんな二人のやり取りを知ってか知らずか、
集団の内にいた2人の男たちが葦高たちを視界に捉えると苛立った様子で近づいてくる。
「おいてめえ、ここは餓鬼を連れてくるところじゃねえんだ。仕事の宛ては他で探しな」
「詳しい仕事の内容は知らねえが、こんだけ頭数がいりゃあ報酬の分け前も減るかもしれねえからな」
そう言いながら男の一人はどこかの浪人を闇討ちでもして手に入れたのであろう刀を抜き放ち、脅しのつもりなのか葦高に突きつけた。
顔に巻き付けられた麻布を怪我の手当て後と思ったのか、その威勢はなかなかに大きい。
「大方顔でも切られてまともな仕事にありつけねえって口か?
だがよぁ兄ちゃん、俺たちにとっても今回の仕事にはなるべく深く噛みてえもんでな」
「なんせ奉行所が直々に取りまとめてる仕事だ。
おめえみたいな子連れの怪我人をわざわざ抱え込みたくねえわけよ」
豊島統一による国全体の混乱期が収まりを見せてすでに何年にもなる。
自治を任された各領の治安維持も進み、景気は上向いている。
半面、動乱期の混乱に乗じて不当を働いていた輩たちの懐事情は近年下り坂の一途だった。
そんな愚連共の事情を一蹴するように葦高は鼻を鳴らした。
「馬鹿め、俺が仕事を受けるのに貴様の許可が必要かよ。
その不似合いな刀を持ってさっさと失せろ。不愉快なのだ」
刀を喉元に突きつけられている状態にもかかわらず、煩わしそうな口調で返す葦高。
切っ先に当てた手を払い、まるで野良犬を追い払うかのような仕草で会話を拒否する。
その態度に平静でいられる男たちではなかったが、場所が場所だけに暴れるわけにもいかない。
「てめえ……舐めた口ききやがって。ここが奉行所の前だからって高括ってやがるな」
「ここでは見逃してやるが、せいぜい夜道に気をつけろ」
払われた切っ先を所在なく震わせる男は苦虫を噛み潰したような顔でそう脅しをかけると葦高たちに背を向け集団の中へと戻っていった。
「お主も難儀よのう、まったく来たばかりだというのに早々に絡まれおって」
「話しかけるな。そもそも目をつけられたのは貴様のその外見が原因だろうが。
……まったく、その目障りな術さえ失せれば、寸分の迷い無く殺せるというのに……」
「それならばなおのこと解くわけにはいかんの~。
童もこの姿は気に入っておるのじゃ、いい加減諦めよ」
軽口のような言葉交わしだが、その実葦高は本気の殺意を恋鐘に向けていた。
しかしこの童女は相変わらずの調子で朗らかに笑っている。暖簾に腕押しとはこのことか。
「あのう、すみません」
そのとき不意に二人に声がかけられる。振り返るとそこには女が一人正門の前に立っていた。
屈強な男たちが集まる今日の奉行所には特に似つかわしくない、束ねた髪をまとめ上げた華奢で美しい女だった。
その外見に違わず身に着けている衣服の生地も立派なものである。しかしいささか奇妙な格好であった。
身に着けている淡緑の小袖は、まるで下部をそのまま断ち切られたように丈が短い。雑に見積もって腿上程度。
半襦袢のような下着も見受けられず、代わりに下半身に身に着けているのは白い股引にも似た装束。
髪の束ね方も、まるで浪人のように伸ばしっぱなしのものを紐で結わえただけの簡素なもの。
端的に言って女のする服装ではなく、かといって男の格好とも異なる。
そこらの百姓や町人の娘がこのような格好をしていたら、さぞかし奇異の目を向けられ下手をすれば笑いの的になっただろう。
だが目の前の女。その姿には、有言にしがたい格のようなものがあった。
奇妙な格好であるにもかかわらず、その姿に違和を感じさせない気品。
化粧っ気がないにもかかわらず白く美しい肌は通りすがりの男たちを魅了してきたに違いない。
「突然お声掛けしてすみません。町奉行の詰め所はこちらでよろしかったでしょうか」
「……案内が欲しければそこの男たちに聞くがいい」
だがそんな美女の声掛けにも葦高は高圧的な態度を崩さずにいた。
その対応にはむしろ何かを警戒するような声色をわずかにだが滲んでいる、その身はいつの間にか半歩後ろに下がっていた。
そんな彼の心中を知りもしない恋鐘は無邪気に女へと話しかける。
「お主のような女子がこんなところになにようじゃ?」
「……探し物のお仕事がもらえると聞いたので、その役目に預からせてもらえないかと思いまして」
「ほほお~主もそうか、童たちとおんなじじゃの葦高!」
他愛ない恋鐘の言葉と笑顔を微笑ましそうに一瞥した女は葦高に一礼すると、静かな足取りで男たちの方へと紛れていった。
みればにわかに騒めきの色が濃くなっていく。
女の美しい外見に鼻下を伸ばすもの、仕事の現場に女を連れることに抵抗を示すものと、
好感、嫌悪はいざ知らず、集団の注目は一気に彼女へと注がれていった。
「童のような幼子が来たかと思ったら今度はあのような美女とは。男らも心中穏やかではなかろうな」
「口を開くな耳が腐る」
口ではそう言いつつ葦高は男たちに取り囲まれている女を見やった。
ここにいる大半の男たちはおよそ合法とは言えない手段で日銭を稼ぐ荒くれ者たち。
当然婦女子の扱いをわきまえているのもなどいるはずがない。
みれば女の尻や胸を劣情にまみれた手つきで触れているものが早々に出始めている。
しかし女はそんな男たちになんの反応も示していなかった。
抵抗もせず、かといって誘う風でもなく、ただ先ほど葦高に声をかけたのと同じようにここが奉行所であることを確認するとあとは姿勢を正して立ち尽くすだけ。
見知らぬ男に身体に触れられる羞恥など微塵も持ち合わせていないと言わんばかりだった。
「いや~先ほどは災難でしたねお二人とも」
そんな騒ぎを遠巻きに見つめる葦高の肩に手を置きながらなれなれしく声をかけるものが一人。
乗せられた手を払いながら声の主に向き直るとそこには随分と幼い印象を受ける青年が立っていた。
元服から数年といった年頃だろう。ざっと見た限りこの青年以上に歳若い者は見当たらない。
「なんだお前は」
「名も名乗らずに婦女子に声掛けとは失礼であるぞ」
「おっと失礼しました。僕は久世清史郎と言います。
といってもとうの昔に勘当された身なので、今はただの清史郎ですが」
謝罪の言葉を述べる割に、申し訳なさを微塵も感じさせない男は無邪気な笑顔を湛えながら払われた手で頭をかいていた。
先ほどの女と同じく彼もまたこの場所から浮いた存在だった。
おそらく身なりはこの場所に集まったものの中でだれよりも武者然としている。
さすがに甲冑こそまとっていないが羽織姿に裁付袴、手足には手甲と脚絆を身に着け、まさに戦前の侍といった風である。
「久世というと、江抄の武家か。
布津母の懐刀と言われた久世の息子がよもやこんな場所で仕事探しとは、堕ちたものだな」
葦高の辛辣な物言いに苦笑いを浮かべる清史郎。
その笑顔は事態の困窮さを取り繕うというより、いたずらを咎められた子供のように、いささか深刻さに欠ける態度だった。
「その年から身一つで生活を送らねばならぬとは、そなたもなかなか苦労しておるようじゃの」
「あはは、まあ宿代くらいは手持ちがあったのでなんとか」
「なるほど、それも元武家の強みということじゃな。うらやましいのう葦高」
「黙れ」
一切の会話を拒否する葦高をよそに自己紹介を済ませる恋鐘。
連れの男とは正反対によく喋る童女と腰を落として会話を続ける清史郎はやはり粗暴な男たちがひしめくこの場からは浮いていた。
唯一その存在感をこの場になじませるものがあるとすれば、腰帯に差し込まれた大小一組の刀くらいか。
「でも実際家を出ると色々事情が違いますね。情けない話さっきまで困ってたんです。
この中じゃあだいぶ若輩なもので、周りの人たちのあたりがキツイったらないですよ」
「まあ、あの輩の中に身なり正しい小僧が放り込まれたらば、そりゃあ盛大に絡まれるじゃろうなあ」
今こそ先ほどの女に注目が集まっているが、先ほどまで四、五人の男たちに取り囲まれてあわや追いはぎまがいな目にあいそうになったということらしい。
清史郎はその時の状況をまるで噺家のような調子で面白おかしく話しては恋鐘を大いに笑わせていた。
しかし相変わらず葦高の対応は辛い。
「俺には関係のない話しだ」
「まあまあそういわずに。正味な話一人でいるとまた絡まれそうなんですよ。
鬱陶しいというなら良いと言うまで口を閉じてますから!ね、いいでしょう!?」
「許してやらぬか葦高。話し相手がいっぱいの方がわらわも退屈せんで済む」
恋鐘の言葉にひざを折って礼を述べる清史郎。
勘当されたとはいえ、およそ武家に身を置いていた者らしい凄味は感じない。
葦高の印象のみで語るなら、今男たちの中で文字通り揉まれている先ほどの女の方が言い知れぬ迫力を感じたものだ。
葦高は未だ談笑を続ける恋鐘と清史郎を脇目に見やると、不機嫌そうにため息をつくのだった。
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