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童女と顔のない旅人

 夏。梅雨も明けた快晴の空の下、

活気あふれる賑わいは東部有数の大町、布津母(ふつも)を包んでいた。


 往来が激しい宿場町には下げ看板が立ち並び、軒先に国一を(うた)う品々が景気のいい呼び声と共に売られている。

通りを歩くは物売りで日銭を稼ぐ農民や刀を差した侍や浪人、

昼間から飲んだくれ笑いながらふらつく男や

博打でできた借金を無心しに奔走(ほんそう)する若者など、正に玉石混交であった。


「まったく、人間という生き物は不思議なものじゃ、

かの地ではみな死人(しびと)のごとく暗~く沈~んだ顔をしておったというのに、

ここでは全員が生き生きとしておる」

 

 老成とした言葉遣いであるが、その声色は玉のように鈴やかな美しい女のもの。

否、童女(・・)の声。

茶屋の店先に置かれた長椅子に腰掛け、串にささった三食団子を咥えながら

その声色に違わぬ美しさを湛えた童女は不思議そうに眉に皺を寄せていた。


「それほどヨウガイへの恐れは根深いということか。

確かにこれほど寄り集まれば、いかに強力なバケモノでもおいそれと手出しはできないだろうしの」


 歳は七つ程度であろうか。

腰かけた長椅子から延びる足は地面に届かず、なにがしかの考えに耽る彼女の思考の如くゆらゆらと揺れている。


 その外見的な幼さとは裏腹に身に着けた服飾品はみな上質なもののように見える。

祝いの席にでも赴くかのような幾種もの花柄をあしらった白い振袖(ふりそで)

そしてなにより年端に似つかわしいとは言えない大きな花簪は町行く人々の目を大いに引いた。


「お嬢ちゃん次はなんに致しますかい?」

「同じものをもう一本頼む! さすがは布津母(ふつも)の団子、いくら食べても飽き足らんぞ!」

 

 女将が追加の注文を聞きに来た時、受け皿にはすでに三本の串が転がっていた。

今咥えているものを含めると都合五本目の注文になる。

童女の服装があれほど煌びやかでなければ勘定の催促でもされていただろう。


「ありがとさん。お嬢ちゃんみたいに景気よく食べてくれると作るこっちにも気合が入るってもんだよ」

「苦しゅうないぞ、どうせあやつが戻ってくるまでの暇つぶしじゃ」


 注文された品を手にやってきた女将から団子を受け取りながら童女はうそぶく。

宿場町を賑わす群衆の中で、保護者の帰りを待つ幼子の態度としてはいささか達観していた。


「お連れさんまだ戻らないのかい?」

触書(ふれがき)の内容を確認しに行くとしか言っとらんかったしの~、

この人込みの中で(わらわ)の手を引くのは嫌なんじゃと。まったく失礼な話じゃ」

「そうなのかい……」


 いつ戻ってくるかもわからない保護者を待つ童女一人。

この状況を客観的に見て思うところがあったのか、五本目の団子をほおばり始めた幼い客の隣に女将は腰掛ける。


「お嬢ちゃん、気を悪くしたら悪いんだけどさ。さっきのお連れさんとあんた、いったいどういう関係なんだい? 

言っちゃあ悪いけど親子って雰囲気には見えなかったよ」

「それは是非もないの。童とあやつとの関係か……どう言い表したものかの~」


 頭の花簪を揺らしてう~んと唸る童女を見て女将は何とも言えない不安感を覚える。

連れとの関係を言い表せないと悩む彼女だが、その様子に不安や焦りといった後ろ暗いものは感じない。

むしろ真剣に言い表そうと『ああでもないこれでもない』と、知っている言葉を掘り巡らしている様子である。


 近しいものとの関係性を、幼子ゆえの稚拙(ちせつ)語彙(ごい)で必死に言い表そうとする姿は端的に言って微笑ましいものだ。

女将も普段ならそんな姿を笑って見ていただろう。


 しかし、この童女を店に置いて人込みに姿を消した男。

初めて訪れた町の初めて訪ねた店に年端も行かぬ娘を置いていった男。

彼が店を出る寸前、その要相を垣間見た女将は、一目でまともではないと思った。


「強いて言うならば……」


 長い思考の中で組み立てた関係性を表す言葉をついぞ口に出そうと童女が息を吸う。

そのタイミングで女将も思考を打ち切り顔を上げた。しかしそれは童女の言葉に耳を傾けるためではなかった。


 二人が座る長椅子に影が差す。梅雨も明けた夏の快晴。その空から差し込む日差しを遮る男の影。


「伴侶……かの」


 幼子の口から出るにしては語句の選びもその意味合いも不釣り合いに思える言葉。

しかしそんな言葉に対しての返答を本人の前で口にする度胸を女将は持っていなかった。


「なにを日の高いうちから間の抜けたことを口にしている|愚図め。

余計なことを口走らんために団子を食ってろと言ったのも忘れたか」


 童女を見下ろして立つ男は、その要相からして薬売りなのだろうか。

煌びやかな童女に対して男の灰色然としたくすんだ旅装束姿はみすぼらしいと言わないまでも質素なものだった。

背負っている薬箱は打ち捨てられたものをどこかから拾ってきたもののように数多の傷と染みにまみれている。

およそこの薬箱からものを買おうとする者など、少なくともこの町にはおるまい。


葦高(あしだか)ッ! いったい何をしておったのじゃ、童は待ちくたびれたぞ」

「口を閉じろ蒙昧(もうまい)が。貴様に口を利く自由を許した覚えはない」


 そしてなによりも目を引くのはその顔。

美しい童女を口汚く罵るその顔は首元から頭の先まで幾重にも重ね巻かれた麻布によって覆い隠されていた。

防寒のために着用する頭巾などの比ではない。

口はおろか、鼻や目元まで一切を覆いつくし、顔面の肌は一切の露出がなされていなかった。

もはや顔の輪郭すらも失せている葦高(あしだか)と呼ばれたその男の異様な姿は皮肉にも童女の美しさ以上に待ちゆく人の目を引いていた。


「それで葦高(あしだか)御触書(おふれがき)は見つかったのか? そもそも本当にこの町で合っておったのか?」

「口を閉じろと言ったぞ。貴様の声は耳に障る」


 葦高(あしだか)が口にする声色と口汚さは、勝手知ったるがゆえの気安さからくるものではなく、純粋な嫌悪と悪意に満ちていた。

顔を隠しているばかりに歳を推し量ることはできないが、少なくとも十に満たないであろう幼子に向ける感情ではない。ましてや剥き出しの殺意などもってのほかだった。

生まれてこの方、争いごとに縁遠かった女将でさえ無意識にこの男の端々から香る死の匂いを恐れという形で感じ取らざるを得なかった。

 

しかしそんな葦高(あしだか)の言をどこ吹く風と受け流しながら童女は長椅子から飛ぶように立ち上がる。

すでに五本目の団子は食べ終わっていた。満足そうに腹をなでながら笑顔で女将に向き直る。


「そなたの団子、美味であったぞ! 大変満足な味じゃった。礼を言うぞ!」


 そうにこやかな顔で童女がお礼を言うと同時に、葦高(あしだか)は懐から幾ばくかの小銭を出すと、半ば腰を抜かした状態で座ったままの女将に手渡した。


「足りるな?」


 渡された金額の確認をする前に条件反射的に頷く女将。

その内心を知ってか知らずか、葦高(あしだか)は童女になにを告げるでもなく茶屋を背にして歩き出す。

背丈の低い幼子に気を遣うそぶりも見せない広い歩幅と早い歩調で人込みに消えゆく男の背を童女は慌てて追いかけようとする。


「……まちな!」


 果たしてこの子をこのまま行かせてよいものか。

一瞬頭によぎった考えがそのまま口に出てしまい、女将は思わず手で口を塞いだ。

彼女は一介の商人に嫁いだ女に過ぎず、自ら進んで厄介ごとに首を突っ込むべきではない。

しかしそれでも目の前の童女にはそんな理屈を無視してでもその手の内に留めておきたくなる何かがあった。

それは母性による保護欲ともまた異なる歪な何か。


 そのとき、自身の呼びかけに振り向いた童女の目が、刹那(せつな)(あや)しく光ったような様を女将は幻視した。


「童は恋鐘(こがね)と申す! こんど来たときには贔屓(ひいき)に頼むぞ!」

 

 手を大きく振りながら雑踏へと消えていく童女、恋鐘(こがね)

すでに女将は先の一瞬に垣間見た光景を忘却していた。

童女が名乗った名の通り、その瞳が黄金色(こがねいろ)に光った記憶も、彼女を迎えに来た男に感じた恐怖も全て。

不安や疑い、恐れといった不純物を取り除かれ、女将の濾された心に残ったのは、美しい童女がまた店に顔を出してくれるかもしれないという高揚感だけだった。


主人公とヒロイン

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