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上ノ国・豊島

ざっくり世界観

 彼の国、豊島(としま)は神が孕み産み落とした恵みの台地からなる楽園の島国であった。

神の微笑みが日照りとなり、神が泣けば雨となる。手を仰げば風が吹き、怪我を負えば災いとなった。

ゆえに豊島に住むものたちは神を崇め、労り、そして恐れた。


 神よりもたらされるは幸福のみにあらず。すべては陰陽の太極からなる網模様。

日が照り苗の萌ゆる豊作、活気栄える商いの声。

その陰でうごめく異形のものどもはいつの時代も人間の背を狙っている。


 曰く暗闇に住まうもの

 曰く弱心の内に巣食うもの

 曰く生き血を(すす)り死人の肉に群がるもの


 豊島の国に蔓延(はびこ)る人ならざるもの。それは蟲が如き様相に甲殻を宿す食人の怪物。

その恐ろしさ、残忍さは辺境の地に住む小僧から都の帝まで、誰もが知りうるものだった。


 人の歴史はすなわちそれら人外との戦いの歴史。

男子元服に達すれば刀を持ちて戦いを学び、女子婚姻を結べば子を産み繁栄を司る。

そうして繰り返されてきた闘争は豊島誕生より二五〇○年以上の年月が流れようともなお変わらず。

人間が人間同士の争いを覚え、戦いの知恵を無限に身に着けてなおその様相は崩れない。


 どれほど人が数を増やせども、豊島の台地全てを征服することはかなわない。

今でも暗い森の奥深く、立ち寄るもののない水底、疫病の舞う戦場の跡。

いたるところにそれは住みつき、何も知らぬものを喰らわんと闇夜に目を光らせている


 それは理を解さず、本能のまま、陽の当たらぬ陰を生きるもの。

人々はいつからか、闇を跋扈(ばっこ)し人肉を貪るその人外をヨウガイと呼んだ。


 これより紡がれるは、このヨウガイ蔓延(はびこ)る豊島で一つの秘宝を求めたものたちの物語。



・・・



 人の世に地獄が現れるとすればこのような景色だろうと男は思った。


 ここ数日雨を降らし続けている暗雲は空を覆いつくし、月明かりすら漏らすことはない闇夜。

流れる川の流水は墨のように黒く、どこかの山が土砂崩れでも起こしたのか、

水量の増した川の水はさながら龍のようにうねりながら大地を飲み込んでいく。

地に根を張っていた木々も、支流を作っていた巨大な岩も、一切合切全て。


 そしてまた一人呑まれていく。

眼前に立ちはだかる恐怖に耐えかね逃げ出した戦人(いくさびと)が呑まれていく。

勇ましく立ち向かった鎧武者の益荒男(ますらお)たちを引きちぎり、貪り、(すす)って、喰う。

それは無感情に、無感動に、ただ人間を殺すためだけに在るかのように、

人間の身の丈を優に超える巨大な百足(むかで)の如きヨウガイがそこにいる人間たちを殺しつくしていく。


 前方のヨウガイ、後方の激流。狩猟の獲物のごとく退路を断たれたのは獣ではなく人間だった。

近郊を治める大名の命でヨウガイ退治に集められた数十人の強者(つわもの)たち。

血気盛んに勇んで城を出た者たちは今、皆顔面を恐怖と絶望に染めながら殺されていた。


 鎧に包まれた胸部が胴を置き去りにして弾け飛ぶ。

刀を振り下ろした腕はねじ切られ、逃げ出した足は地を踏む前に引き抜かれる。

散じた血と臓腑(ぞうふ)が河原を赤く染めるが暗雲に包まれた暗闇の中ではだれも気が付かない。

漂う死の匂いすら感じている余裕のあるものはいなかった。


 かすかに脳裏に帯びる理性があったとすれば、それは後悔。

誰も油断などしていなかった。歴戦の(つわもの)としての矜持(きょうじ)こそあれど、(おご)りなど誰一人として持ち合わせていなかった。

あったのは仕えるものへの忠誠心と、力を持たない民草へを守る気概。

だからこそ彼らはヨウガイ討伐の任を自ら志願したのだ。


 地面を抉りながら甲殻類を思わせるヨウガイの足が武者の喉元に迫る。

その刺突にも似た強撃を無意識下に刀で受けたのは彼が歴戦の武者だからこそ成せた神業だった。


 しかし人の位階で成せる神業はヨウガイには通じない。

受けた刃は砕け散り、辛うじて喉元を外れた一閃は男の下顎から左眼球を吹き飛ばした。

これが最後の一人だった。


 もはやこの場に人間は誰もいない。

あるのは散り散りになった肉塊と流れ出た体液による屍山血河(しざんけつが)

そのどれもが明日には豪雨と氾濫(はんらん)した川の濁流にのみこまれてしまうだろう。

彼らが戦い果てた証は何も残らない。


 そして彼らを殺しつくしたヨウガイは再び人を襲う。これは人外蔓延(はびこ)る豊島の国の原風景。

果てなく続いてきた人間とヨウガイの戦い。その勝敗の末に起きる結果の一般図式に過ぎなかった。



・・・



……人の世に地獄が現れるとすればこのような景色だろうと男は思った。


「そして俺はこの地獄を知っている」


 暴れまわっていたヨウガイが一旦の納まりを見せたことを悟った男はようやく口を開いた。


 すでに思考能力を有する人間は全て死に絶えている。

否、そもこの状況を見て、『地獄のようである』と述べるような客観にすぎる感性を持ったものなど死した武者たちの中にいるはずがない。

彼らは今まさに食い殺されんとしていた当事者である。

まるで無残絵を鑑賞する画商が如き他人事な口を利けるはずがない。


 そんなものがいるとすれば、彼らを殺したヨウガイ側に属するものか、

あるいはあれら人外を屠る、より深淵の存在であるか。


「幾日ぶりの大物だ。運がよかったな貴様。」


 暗がりの中に響き渡る不遜な声に反応し、ヨウガイは光を持たない無数の眼球を向ける。

すでに二十人以上の人間を捕食し血にまみれた口部を不気味に開閉しながら、新たにやってきた獲物を見据える。


「お前のような木偶では言っても理解できんだろうが、なるべく抵抗しろ。

俺の血肉となるのが不本意ならば、先ほどの武者ら以上に抵抗して見せろ。

それが俺の舌を、腹を、そして心を満たす」


 苦笑をにじませつつも、歓喜と期待を抑えられないその声色は、食事を前にした空腹の幼子にも似ていた。

先ほどまで歴戦の男たちを貪っていたヨウガイが今、目の前の男に食欲という名の殺意を向けられている。


 しかしヨウガイは気が付かない。

無感情に、無感動に、ただ人間を殺すためだけに在るヨウガイは目の前の捕食者の異常性に気が付かない。


「町に入ればしばらくは断食になる。その巨体が紙風船でないことを祈るぞ」


 その声はすでにヨウガイの攻撃圏内にあった。

捕食という本能に従って、発声と同時にヨウガイの節足が音を裂きながら男に迫る。

いまだ粘性を保ったまま付着していた血液が降りぬかれた足と共に闇夜に飛び散った。


 すでに人間は一人残さず死に絶えている。すなわちこれは人外と人外の戦いであり喰らい合い。

勇気と誇りではなく、本能と食欲を満たすためだけの生存に直結した闘争。

そして繰り広げられる激闘の様相は、もはや喰らい合いと呼ぶにはあまりに一方的な蹂躙だった。


「どうしたッ!? 貴様まさかそんなものか? 

村を三つ四つ潰した大物がいると言うから、旅路をわざわざ迂回させてまでやってきたのだ。

相応に楽しませるのが道理だろうがッ!」


 鋼の如き甲殻に包まれたヨウガイの胸部が胴を置き去りにして弾け飛ぶ。

振り下ろした足はねじ切られ、自重を支える足は地を踏む前に引き抜かれる。

散じた血と臓腑(ぞうふ)、そして先ほど食い殺したばかりの人間が引き裂かれていくヨウガイの肉体から吹きこぼれていく。


 すでにヨウガイは攻撃ではなく痛みによる悶絶によって体をがむしゃらに動かしているに過ぎない。

弱肉強食の法則が、ついさきほどまで捕食者だったヨウガイを無残に(むしば)んでいく。


「殻が硬いものは総じて肉が美味い。それに貴様、随分と多く目をぶら下げているな。

目は好物だ。脂がのってこれまた美味い。一つずつ頂くとしよう。」


 もはやヨウガイの動きは筋肉の伸縮運動による痙攣のみを残して止まっていた。

闇夜に響く人外の悲鳴を聞くものは誰もいない。

無数の目を一つずつむしり取って頬張っていく男だけが、血を吐きながら衰弱していくヨウガイの絶叫を楽しんでいた。


「言ったことを忘れるな。なるべく抵抗しろ。貴様らヨウガイはこの程度では死なん。

足の一本になっても俺の心臓を狙って抵抗し続けろ。そんな貴様らの抵抗が俺の愉悦を満たすのだ」


晩餐の夜は更けていく。幾人もの人間を喰らったヨウガイを貪り笑う男の夜はここから始まる。

もはやこの場に人間は誰もいない。あるのは散り散りになった肉塊と流れ出た体液による屍山血河(しざんけつが)

そのどれもが明日には豪雨と氾濫(はんらん)した川の濁流にのみこまれてしまうだろう。

彼らが戦い果てた証は何も残らない。


ヨウガイを喰らった男の存在もまた、誰も知ることはない。


※主人公です

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